テラーノベル
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第九話 静かな落下
水音は、まだ続いていた。
どこか遠くで、規則正しく、一定のリズムで落ちる雫の音。
けれどそのリズムは、先ほどよりもずっと近く、晴明の足元へと迫っているように思えた。
(……もう、限界だ)
視界の端に映る教室の風景は、色を失い始めていた。
黒板の文字が白く薄れ、机の輪郭が水に溶かされたように崩れていく。
夢だ。
ここは夢だ。
この朽ちていく世界は、誰かが勝手に継ぎ合わせた偽物だ。
晴明は自分の手首を見下ろした。
指先で皮膚をつねる。
強く。
骨に食い込むほど。
――何も感じない。
(……確信した。やっぱり夢だ)
どれほど強く指を立てても、痛みはただの“想像の空白”に吸われるだけだった。
ならばどうすれば夢から覚められるのか。
“目を開けるほどの刺激”が必要だ。
この世界で感じない痛みなら――
現実の自分へ届くはずだ。
晴明は深く息を吸った。
教卓の下、床に落ちていた割れたコップの欠片を拾う。
ガラス片は光を吸い込み、色のない世界の中で鋭く輝いた。
(これで……目覚められる)
その瞬間、背後から声がした。
「――晴明くん」
振り返ると、霧の中からゆっくりと学園長が姿を現した。
しかしその顔は今までのような慈愛ではなく、“ひどく必死な色”に染まっていた。
「何を……しているのです」
「学園長。僕は、もう……ここにいたくないんです。」
晴明はガラス片を握り直す。
掌に切り傷が走ったはずなのに、ただ“温度”すらなかった。
「これは夢です。僕が勝手に見ているだけの……残骸にすぎないんです。」
学園長の目が小さく揺れた。
否定しようとしないことが、逆に真実を濃く浮かび上がらせる。
「晴明くん。それを今すぐ手放しなさい。」
「嫌です。僕は目を覚まします。」
「……晴明くん、聞いてください。」
学園長は歩み寄る。
足音はやはりしない。
ただ影だけが床へと伸びていく。
「あなたがこの夢から覚めたら、非常に良くないものを見ることになります。」
「“良くないもの”って……現実のことですか?」
「……」
答えない沈黙が答えだった。
晴明の胸に、冷たい決意が固まる。
「ならなおさら、帰らなきゃ。」
ガラス片を喉元へとゆっくり持ち上げる。
学園長は手を伸ばした。
「やめなさいっ……!」
その叫びは、初めて聞く焦りの色を帯びていた。
まるで、何か取り返しのつかないものを奪われようとしているような――そんな声。
「あなたはまだ知らないでしょう……?
現実の私がどうなったか。」
晴明の動きが止まり、わずかに息を呑む。
「どう、なったんですか。」
「言えません。」
学園長は低く、しかし決然とした声で言った。
「言えば、あなたは必ず……戻れなくなる。
だから言えないのです。言ってはいけないのです。」
「それじゃ、僕は永遠にこの夢に閉じ込められたままじゃないですか。」
「それでも構わないですから」
学園長の声は震えていた。
「ここなら……痛みも、恐怖も、何もありません。
あなたを傷つけるものは何ひとつ――」
「でも学園長、あなたはもうここに”いない”じゃないですか……」
そのひと言が、霧の中に落ちた。
水面に落ちた石のように、小さな波紋を広げて。
「……晴明くん」
「僕はずっと気づかないふりをしてた。でももう無理です。
影が揺れるのに、あなただけ揺れない。
世界が壊れていくのに、あなたの輪郭だけが色を保ってる。
それがもう、違和感なんてレベルじゃない。」
学園長の瞳が、悲しみにゆっくりと沈んだ。
「だから……僕は帰ります。」
晴明は静かに、割れたガラス片を喉へ押し当てた。
ひやりとした温度だけがあった。
その冷たさが、夢である証拠。
「晴明くん! やめなさいッ!」
学園長は一歩踏み出す。
「現実へ戻れば……私を失います!」
「もう、とっくに失ってますッ!!」
晴明は叫んだ。
ガラス片を強く押し当て、そのまま喉元へ滑らせ――
――何も、痛みはなかった。
ただ、
“世界が裏返るような音”がした。
霧の色がはじけ飛び、教室の床が砕け、天井が反転し、
すべてが音もなく落下していく。
学園長が霧の向こうで伸ばした手は、もう届かない。
「晴明くん……!!
そちらには行ってはいけません……!
そこには、あなたが望むものは何も……!」
声が遠ざかる。
まるで深い湖に沈んでいくように。
最後に見えた学園長の表情は、
この夢の中で見せたどんな表情よりも苦しげで、
そして――
僕を呼んでいた。
(さようなら……学園長)
風が消える。
霧が裂ける。
暗闇が一気に晴れた。
世界が、音を取り戻す。
まばゆい白。
鼻に刺さる消毒液の匂い。
そして、
――シーツの触感。
晴明は、病院のベッドでゆっくり目を開けた。
主でぇす⭐︎
次のお話とんでもなく捏造なので気をつけて、、、
流石にこれはないやろ〜キャラ的にみたいなのがある可能性があるので地雷な方はにげて!
忠告はしたからね?
コメント
1件
晴明君自分から喉を切りにいくとわ勇気あるな…学園長やっぱり現実に居ないのか、晴明君は病院のベットの上とゆことは明くんくるか? 楽しみにしてます!