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「ねぇ、さ。…一緒に壊れたら、怖くないと思うんだよね」
夕焼けに染まる屋上で、美咲はぽつりと呟いた。
その声は冗談のように軽く、でも確かに“本気”だった。
優羅は何も言わず、美咲の横顔を見つめる。
真っ直ぐ前を見つめるその目に、怯えも涙もなかった。むしろ、どこか安堵すら浮かんでいるようだった。
「壊れるって、どういう意味?」
「普通のこととか、夢とか、将来とか……そういうの、全部捨てるってこと」
「……死ぬってこと?」
「そういうのも、含まれてると思う」
返事はすぐに返ってこなかった。
だけど、ふたりの間に沈黙はいつものように居心地よく流れていく。
夕日が、ゆっくりと地平に溶けていく。
まるでふたりの存在を、そっと隠そうとしているかのように。
それはある日、突然だった。
「優羅さーん、進路調査票、まだ出してないでしょー?」
担任の声が飛ぶ。
クラスの一部がくすくすと笑った。
優羅はただ無言で、机の中から白紙の用紙を取り出して提出した。
そこには何も書かれていなかった。志望校も、将来の夢も、好きな教科すら。
それを見た担任は呆れたように笑ったが、何も言わなかった。
その白紙が、今の優羅のすべてだった。
放課後、屋上に行くと、美咲が少しだけ暗い顔をしていた。
「……進路の話、された?」
「うん。何も書かなかった」
「私も」
そう言って、美咲は制服のポケットから、くしゃくしゃになった調査票を取り出して見せた。
「破っちゃった」と笑う彼女の目は、どこか涙を堪えているようにも見えた。
「夢とか希望とか、ないんだよね。私には。未来って、誰か“まともな人間”だけに与えられるものでしょ」
「じゃあ、私たちには?」
「うーん……“終わり”しかないんじゃない?」
優羅は何も言わず、手を伸ばして、美咲の指先をそっと撫でた。
ほんの一瞬触れただけで、胸がぎゅっと痛んだ。
「でもね、終わりが怖くないって思えるの、優羅さんと一緒にいるときだけ」
「私も」
「じゃあさ――壊れようよ。一緒に」
その言葉は、誘いだった。
優羅はゆっくりと頷いた。
そのとき、自分の心がどうなっているか分からなかった。
でも、“一緒に壊れる”という言葉は、妙に優しく響いた。
「何から壊す?」
「自分の中の“普通”から」
「…いいね」
その日、美咲はスマホを海に投げたと告げた。
「連絡も、誰からも来ないし、もういいやって思った」
優羅は、それを聞いて笑った。
「じゃあ、私も明日捨てようかな」
ふたりは、“世界との接点”をひとつずつ手放していく。
誰かと話すこと。
授業に集中すること。
食べること、笑うこと、未来を考えること。
“当たり前”が一つずつ崩れていき、
代わりに、“ふたりだけのルール”が積み上がっていく。
・誰にも見せないノートに「ふたりだけの秘密」を書くこと
・学校で笑ってはいけないこと
・誰とも目を合わせないこと
・放課後、必ず屋上に来ること
それは、まるで儀式のようだった。
この世界に“ふたり”を保つための、最低限の約束。
「壊れてもいい。でも、一緒に」
それだけが、ふたりの生きる理由になっていた。
誰にも言えない。
誰にも見つからない。
この関係に、意味や名前はいらない。
ただ、美咲が隣にいる限り、優羅は生きていけた。
逆に、美咲もまた、優羅がいなければ――壊れてしまうのだった。
世界から目を背けるように、ふたりはふたりだけの深淵へと手を繋ぎながら、ゆっくりと落ちていく。
そして、ふたりは確信する。
“誰にも理解されなくていい。誰にも見つからなくていい”
“私たちだけが、私たちを知っている”
壊れることは、もう怖くなかった。
むしろ、救いのようにさえ思えた。
ふたりで、落ちていけるなら。
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