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急遽、同行することになった大塚フードウェイの創業100周年パーティー。
それは大手食品会社らしく、都内の高級ホテルで開催されていた。
大塚フードウェイは創業者一族が代々経営する老舗の食品メーカーだ。
創業者一族で、専務の大塚高志《おおつかたかし》氏はモデルと結婚、常務の大塚亮祐《おおつかりょうすけ》氏は女性誌の「経済界で注目のイケメン特集」にも紹介され顔がよく知られている有名人である。
老舗なのに新しいことにチャレンジする風土もあるらしく、ベンチャー系のIT企業である当社ともコラボしたりしている。
「さすが大塚フードウェイ、今日のパーティーも出席者が多いね」
受付を済ませてホテル内の会場に入るなり、周囲を見渡して瀬戸さんが声を上げた。
「確かに大勢いらっしゃいますね」
「詩織ちゃん、今日は健一郎に代わって同行ありがとね」
瀬戸さんは先日仕立てたスーツを着こなし、私に明るく笑いかけた。
こんな華やかな場でも瀬戸さんは一際目立つ。
すれ違う出席者の女性が必ずチラリと振り返っていた。
「詩織ちゃんの今日の服装、すごく似合ってるね。急に出席することになったから大変だったんじゃない?」
「正直なところ急遽用意しました。お褒めいただけたってことは変じゃないってことだと思うので安心しました」
高級ホテルで開かれるパーティーという場の雰囲気に合わせて、今日はダークネイビーの上品なフレアレースワンピースという格好だ。
昼間のパーティーのため肌の露出を控え、首周りから袖の部分はレースになっているものを選んだ。
地味になりすぎないように、髪はアップにまとめ、真っ赤な口紅とパールのピアスで華やかさを出している。
社長に同行する以上、会社の顔としても見られるので下手な格好ができないと思ったのだ。
パーティーは立食スタイルのため、出席者が思い思いに会話を楽しんでいる。
瀬戸さんと私もフルートグラスに入った飲み物を受け取り、面識のある方々との挨拶に回る。
まずは主催者だ。
ちょうど亮祐氏が他の方との挨拶が終わったようだったので、すかさず瀬戸さんが近づく。
私は瀬戸さんの横で控えめにしていることが仕事だ。
「大塚常務、いつもお世話になっています。このたびは創業100周年おめでとうございます」
「ああ、Actionの瀬戸社長。ありがとうございます。先日の御社とのコラボは大変好評で、その節はお世話になりました」
亮祐氏はさすが類稀な容姿端麗さだ。
存在するだけで女性の視線を引き付けるようで、周囲から視線をものすごく感じる。
瀬戸さんと並ぶとそれがより一層強くなる。
「弊社も御社とのコラボで新しい顧客層の開拓ができ、大変良い機会でした」
「こちらも商品の売上に繋がったと社員からは報告を受けています」
「そうですか。そうそう、ご結婚されたと伺いました。おめでとうございます。創業100年に加えておめでたいですね」
「ありがとうございます。籍は昨年入れていて、挙式と披露宴が先日だったんですけどね。慶事続きでありがたいと思ってます」
そう話す亮祐氏はちょっと冷たそうに見える整った顔をわずかに緩め、遠くの方に視線をチラリと向ける。
視線の先を追うと一眼レフを構え忙しそうに動き回るきれいな女性が見えた。
主催者側として動いているようなので、社内報の取材などをしている広報担当のようだ。
……あの人がお相手の方なのかな?ということは、並木さんのお姉さん?
女性を見つめる亮祐氏からは幸せそうなオーラが窺える。
女性はどことなく並木さんに似ている感じがするからおそらく間違いないと思う。
創業者一族で、容姿にも恵まれ、なんでも持っているような亮祐氏と結ばれるなんて、並木さんのお姉さんはよっぽど魅力的な人なんだろう。
叶わぬ恋を拗らせている私とは雲泥の差だ。
思わず意味もなく自分と比べてしまうと同時に兄の顔が頭に思い浮かび胸が痛む。
そんな邪念を必死に振り払った。
亮祐氏への挨拶を済ませ、その後に大塚社長と専務とも挨拶を交わす。
主催者へひと通り挨拶を終わらせ、その後瀬戸さんは面識のある方々と交流したり、面識のある方から紹介された方と名刺交換をしたりと社交に励む。
私はそれについて回って、隣で控えながら、適宜社長のフォローをする。
出席者のほとんどが経営者で、そうでない場合は社長の代理として来ている重役ポジションの役員ばかりだ。
声をかけられたら会話に加わるが、失礼のないように言葉少なにあいづちをうった。
「結構新しい人とも挨拶したなぁ。モンエクに興味持ってくれた社長さんもいたし、今後に繋がるといいけど」
パーティーも終盤に差し掛かった頃、瀬戸さんが交換した名刺を見ながら、社長らしい表情を浮かべる。
せっかく時間を割いて出席しているのだ、ただの交流で終わらず次に繋がる縁が欲しいのは当然だろう。
「あとでこの名刺ファイリングしといてもらっていい?できれば会話した内容も覚えてる範囲で名刺の裏に書き込んでおいてもらえると助かるな」
「はい、もちろんです」
私は瀬戸さんから名刺を受け取る。
さっきから忘れないように頭の中で会話の内容はメモを取っていたから、あとで書き出すだけだ。
「ちょっと休憩しようか。俺はお手洗い行ってくるね」
「はい。私はこのへんで少し休んでますね」
瀬戸さんはほとんどずっと喋りっぱなしだ。
私は基本的に横で控えてるだけだけど、瀬戸さんは相当疲れているんだろうなぁと思う。
相手もみんな重役ポジションの人ばかりでさぞ会話にも気を使うに違いない。
瀬戸さんが会場を出て行く姿を見送り、私は会場内の壁際の方に寄り、目立たないように大人しく佇む。
一人でいる私にこの場で話すような人もいないし、なにより私は今回あくまで添え物なのだ。
それなのに……
「あれ?もしかして詩織さんじゃない!?」
突然私の名前を呼ぶ女性の声がした。
こんな場でこんなふうに親しげに呼びかけられる心当たりなんて全くない。
不思議に思いながら声の方に視線を向ける。
すると、そこには思いもよらない人の姿があった。
「……響子さん」
「やっぱり詩織さんじゃない!わぁ~こんなところで会えるなんて嬉しいっ!」
なんと先日紹介された兄の彼女がいたのだ。
兄の彼女、響子さんはこの前会った時と同じハツラツとした笑顔でフレンドリーに話しかけてきた。
響子さんとはこの前兄に紹介してもらって以来、会うのは2回目だ。
あの時の苦しい気持ちが蘇ってくる。
……お兄ちゃんの彼女。もうすぐ結婚する、お兄ちゃんが愛する人……。
響子さんの笑顔とは裏腹に、私の心は急速に冷たくなっていく。
なんでここに響子さんがいるのだろう。
まさかこんなところで遭遇するとは1ミリも予想しておらず突然のことに心が動揺する。
響子さんはパーティーにふさわしい服装であるものの、首からストラップをかけていた。
まるで関係者パスのような感じだ。
私の視線に気付いたのか、響子さんが口を開いた。
「ああ、これ?これはゲストと社員を区別するためのパスなの!あ、私ね、大塚フードウェイの社員なのよ!」
響子さんは総務部で働いているという。
この式典も総務部が関わっているらしく、今日は仕事でこの場に来ているそうだ。
……響子さんが大塚フードウェイの社員だなんて知らなかった……。もしかしたら初めて会った日に言っていたのかもしれないけど、あの日の私はそれどころじゃなかったしなぁ……。
「詩織さんは?」
「あ、私は社長に同行してきただけで……」
「あれ?アパレル勤務じゃなかった?アパレル系の企業って出席者にいたっけな?」
「転職して、今はIT企業に勤めてます」
「そうなんだぁ!ん?IT企業?えっ、もしかしてモンエクのActionだったりして?」
「はい」
出席企業のこともある程度把握しているのだろう。
響子さんはIT企業と聞いただけで、どこの会社なのか見当がすぐについたようだ。
「うっそーー!詩織さん、Actionに勤めてるんだ!じゃあ百合の弟、あ、並木蒼太くんとも知り合いだったり?」
「並木さんは同僚です」
「わぁ、世間狭いねぇ!私、蒼太くんのお姉さんと同期で仲良いの。あそこの姉弟は眩し過ぎよね!あ、小日向兄妹もだけど!」
初めて会った時の印象通り、響子さんはとても明るくて元気な人だ。
私に偶然会えたことをすごく嬉しそうにしてくれて、それが会話の節々からも感じられる。
「ねぇ、詩織さん、今度休みの日にカフェに一緒に行かない?」
「えっ」
「悠くんから詩織さんはカフェ好きだって聞いたの。私、もっと詩織さんとは仲良くなりたいって思っててね。この前はほとんど話せなかったし、今日も仕事の場だし。今度ゆっくり話したいなって。どうかな?」
そのお誘いに私は言葉を詰まらせる。
響子さんが心から私と仲良くなりたいと思ってくれているのは伝わる。
彼女は本当に素敵な人なんだろう。
とても良い人で何も悪いところはない。
だけど……
……彼女を見ているのはツライ……。
完全に私の心の問題だった。
いずれは兄嫁として歓迎しなければいけない人だ。
でもまだ私の心が追いついていない。
動揺と苦しさで小刻みに震える手を私はギュッと握りしめた。
「小日向さん?」
必死に心を押し殺していると、ちょうどその時瀬戸さんが戻ってきた。
「あ、瀬戸社長……」
「えっ、Actionの瀬戸社長ですか!」
響子さんは驚いたように瀬戸さんを見る。
瀬戸さんは怪訝そうな顔をしていて、今この場がどういう状況なのか、私と響子さんがどういう関係性なのか測りかねているようだ。
「えっと……?」
「お世話になっています。私、大塚フードウェイの総務部に所属する西野響子と申します」
「Actionの瀬戸です。はじめまして。うちの小日向とはどういったご関係で?」
「詩織さんのお兄さんと婚約してるんです。詩織さんともつい2ヶ月前に初めてお会いしました。まさかこの場で遭遇するとは思ってなくて、今お互いに驚いていたところなんです」
「お兄さんのご婚約者ですか」
私が黙っていたら代わりに響子さんがすべてを的確に説明してくれた。
それで瀬戸さんも納得がいったようだ。
しかし、チラリと私を見た瀬戸さんは、なぜか突然変なことを言い出した。
「小日向さん、ちょっと顔色が悪いね。もしかして人酔いしたんじゃない?」
「えっ……」
響子さんと会って動揺はしているが、特に体調が悪いという自覚は私にはない。
「少し会場の外で休憩したら?ほら、行こうか」
「あの……?」
「ということで、西野さん、小日向はちょっと外に連れて行きますね。これで失礼します」
私の疑問の声は一切かき消され、瀬戸さんは明るい笑顔で響子さんに一言挨拶を入れると、私の手を引いて会場の外へ進み出した。
唐突なことに面食らいつつも、私は大人しく瀬戸さんのあとに続く。
……良かった。あれ以上あそこにいたくなかったから助かった……。
瀬戸さんの突然の行動はよく分からないけど、正直なところ、響子さんとの会話を切り上げられて少しホッとしている部分もあった。
しばらく手を引かれて歩く。
瀬戸さんが足を止めたのはホテル内の|人気《ひとけ》のないガーデンテラスだった。
「……瀬戸社長?」
ようやく立ち止まった瀬戸さんに声を掛ける。
振り返った瀬戸さんは何かを真剣に思案するような顔をしていた。
「あのさ……」
「はい?」
何かを決意したようにゆっくりと口を開いた瀬戸さんの声は、なぜかやや戸惑いが含まれている。
呑気にそれに返事した私だったが、次の言葉を聞いた瞬間、顔色を失うことになった。
「………もしかして詩織ちゃんってお兄さんのことが好きなの?」
発された言葉は思いもよらないモノだった。