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第二夜はボードレールと太宰治です
カウンターの隅。
グラスの中で、濃い色の酒が揺れている。
シャルル・ボードレールは指先でそれを弄び、飲まずに香りだけを確かめていた。
その隣に、いつの間にか太宰治が腰掛けている。
「飲まないんですか?」
太宰が、いつもの調子で笑う。
「飲む価値があるか、考えているだけだ」
ボードレールは目も向けない。
「快楽というのは、いつも期待を裏切る」
「わかります」
太宰は自分のグラスを一気に空にした。
「だから僕は、期待しないことに期待してるんです」
沈黙。
その間に、ボードレールの異能の気配が、薄く空気を腐らせる。
誰かの後悔。誰かの倦怠。
見えない花が、足元に咲きかけては、消える。
「君は――」
ボードレールがようやく太宰を見る。
「堕ちる理由を、最初から失っている顔だ」
太宰は少しだけ目を細める。
笑顔は崩れない。
「それ、褒め言葉ですか?」
「忠告だ」
ボードレールはグラスを置く。
「君は、私の花すら咲かせない。
それは美徳でもあり、呪いでもある」
太宰は立ち上がり、軽く手を振った。
「じゃあ今夜は、互いに無傷ってことで」
「花も咲かず、首も吊らず。平和ですね」
去り際、太宰は振り返る。
「でも――」
「あなたみたいな人がいるから、世界はまだ腐りきらない」
ドアが閉まる。
残されたボードレールは、ようやく酒を飲み干した。
「……腐敗を希望と呼ぶ時代か」
黒い花は、今夜も咲かなかった。