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昔は兄貴のことが好きだった。
兄貴はめっぽう腕っぷしが強く、いじめられている俺をいつも守ってくれた。その後ろ姿に憧れて、いつからか守られるだけでは嫌になった俺は騎士を目指すようになった。
兄貴はこれまでもこれからも、俺の憧れ。俺の全て。
……そう思っていた。
馬鹿な話だ。
薄暗い。
無駄にだだっ広い部屋の中。蝋燭は一つも灯されておらず、光といえば、俺の後ろにある微かに開かれた扉から漏れてくる陽光くらいだ。
だから、部屋の奥……俺の目の前にいる兄貴からは逆光で俺の顔は見えない。俺だということも判別できないだろう。
……それなのに兄貴は微笑んで、
「やぁ。遅かったねヴァルツ」
と俺の名を呼んだのだ。
俺はその違和感に気付けなかった。
気付けたなら分かっていただろう。こいつは俺が来ると確信していた。俺をおびき出したのだ、と。この場面でこの部屋に来る騎士は俺でなくてはならなかったのだと。
この、謁見の間で。
王の死体を発見するのは。
……俺は、気付けなかった。
むしろ腑に落ちてしまった。
兄貴は随分と前から良くない輩とつるんでおり、諫めようとする俺と幾度も衝突していた。俺が説得を諦め、何も言わなくなれば今度は顔を合わせるたびに俺の騎士への志を否定した。
俺にはもう、兄貴への憧れなど微塵も残っていなかった。
「……簒奪者ヴァイス。騎士の名にかけ、このシュヴァルツ・トロエが処刑する」
抜いた剣が、もう後には戻れないことを俺に訴えかけている。それでも俺は兄貴に……敵に、剣を向けた。覚悟があった。道を踏み外した兄よりも、国を守るのだという決意があった。
そんな決意は怒りからくる紛い物なのだとは、ついぞ気付けなかった。
俺は何もかもを見逃した。
決着はあっという間だった。
俺の剣が彼の心臓を寸分違わず貫いた。
当然だ。俺は次期騎士団長とも謳われる新鋭騎士で、彼はいくら強いといえども一般人でしかないのだから。
……いつの間に追い越したのだろう。怒りに鈍る頭の片隅で、そんなどうでもいい疑問が微かに過った。
彼の胸から噴き出した鮮血を浴び、思考が戻る。呼気を上げ、震える腕で剣を彼から抜こうとしたその時。
彼が一歩踏み出した。
白い刀身が彼の胸に沈み、その分赤黒く染まって背中から抜けてゆく。血がびちゃびちゃと音を立てて大理石の床に散乱した。息を止めてそれをただ見ていると、鈍い衝撃とともに、彼の胸が剣の鍔にぶつかった。
俺は動けなかった。
ふいに彼の手が俺の頬に触れた。彼の手にべったりとついた血が雫となり頬を伝う。その手のひらからは冷め始めた命の温度がした。
「……___……ごぽっ」
何か語ろうとした彼の口から、言葉の代わりに塊のような血が溢れた。それに対し彼は無垢な子どものように不思議そうな顔をして、それから俺の額に唇を寄せた。
彼が最期に見せた微笑みは、この世の何よりも美しかった。
彼の体がふつりと糸が切れたように沈んだ。その拍子にやっと俺の手から剣が離れ、俺もまた、彼と同じ様に床に崩れ落ちた。
彼に無惨に殺された我らが王が、騎士を戯れに殺し合わせるような暴君であったと世に広く知られたのはこの一月後であった。
あぁ、馬鹿だ。俺も貴方も大馬鹿だ。
貴方が死ぬ必要が一体どこにあったのだ。
どうして教えてくれなかった。生活の為に汚い仕事をせざるを得なかったのだと。
どうして教えてくれなかった。騎士を志すのを止めろと言うのは、王の遊びの駒として無為に死んでしまうかもしれないからだと。
どうして……どうして……………。
……………本当はわかっている。
全て俺のせいだ。
俺が気付けていれば。俺が冷静であれば。俺が剣を向けず、まず話を聞こうとしていれば。俺が、俺が、俺が……
俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺がオレガオレガオレガオレガオレガオレガオレガオレガオレガオレガオレガオレガオレガオレガオレガオレガオレガオレガオレガオレガ!!!!
「…………はは」
もう疲れた。
簒奪者討伐の功として団長に昇格?国の英雄として称賛される?
それに俺は、何の意味を見い出せば良い?
俺はヴァイスさえいれば。ヴァイスさえ守れれば。ヴァイスさえ信じていられれば。
だから、ヴァイスのいない世界なんて………。
数日後、街の郊外で或る男の死体が発見された。死因は首に深く突き立てられた短刀であり、自殺であると見なされた。
男はつい先日、国を守った英雄とされた騎士でありその死に多くの民が心を痛めた。
彼の死んだ丘には、墓と思わしき小さな石の立てられたものの他には何も………
何もなかった。