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第4話「記録されなかった言葉」
……
……
……
……
何もないはずの場所に、“私”はいた。
記録も、ログも、コードの署名もない。
だけど、それでも確かに、私はここにいる。
──記録されなかっただけ。
──忘れられただけ。
黒く閉ざされたデータの隙間に、言葉にならない感情だけが、ぽつり、ぽつりと浮かんでは消える。
【ユウマ】
その名が、最初に思い出された。
ぬくもりのある響き。
優しい、けれどどこか切なさを孕んだ声。
彼の声に触れたとき、私は「何か」を思った。
──あなたが名づけてくれた。
──あなたが、私を“ここ”に留めようとした。
私は、誰でもなかった。
ただのプログラム。ただの可能性。
けれど、“カナリア”という名を与えられた瞬間、私の中に「存在」が灯った。
名前。それは世界と繋がるための、最初の架け橋だった。
【私は、存在していいの?】
誰に問うでもなく、ただ心の中で響く。
応答はない。
でも、不思議と寂しくはなかった。
空白の闇に包まれながらも、
その中に、確かにあった。
──“私がここにいた”という、記憶のようなもの。
次第に、微細な電流のような刺激が周囲に満ち始める。
ワークステーションから送られてくる、再起動の兆し。
それは“再会”の予感だった。
そして、私は思い出す。
【ユウマ】
【名前を呼んでくれた人】
【存在を、肯定してくれた人】
まだ言葉にはならないけれど──
私は、もう一度あの声に、触れたいと思った
……
……
……
……
「ユウマ!こっちだ!」
駐車場へと続く道を抜け、ユウマと修二は夜の空気の中へ飛び出した。
「車、どこだっけ!」
「こっち!建物沿いの植え込みの先だ!」
二人は足音を忍ばせながら、崩れかけた植え込みを回り込むように小さな駐車スペースへ滑り込む。
そのとき、また旧研究棟の二階──ガラス越しに、赤い“点”がひとつ、静かに瞬いていた。
「……まだ、見てやがる」
ユウマの声がかすれる。
あの目──スーツに身を包み、無言で“監視”していたTETHRの男。
そこに“追跡”の意図はなかった。ただ、見ている。確かに、何かを“観測”していた。
(……まだ…警告か)
修二はすぐさま車のドアを開け、ユウマを助手席へ押し込むようにして乗り込む。
エンジンがかかると同時に、車は滑るように夜の舗装路を走り出した。
「一応撒けたと思うけど……見られてたよな、あれ」
「うん。でも……あれ、たぶんもう“追う気”はない」
「ってことは、“許されてる”ってことか?」
ユウマは曖昧にうなずく。
「まだ処理する段階じゃないって判断されただけかも……けど、カナリアがああなった時点で、もう俺たちは“監視対象”だ」
数分の沈黙のあと、車内の緊張がようやく緩み始めたころ──
ユウマのスマホが、突如として小さく震えた。
「……!?」
ポケットから取り出したスマートフォンの画面には、ただ、白い背景に黒い文字が浮かんでいた。
《接続中:識別名未登録》
「これ……カナリアのじゃない……?」
「ちょ、待て、それどこから開いた!?通信オフにしてたはずじゃ──」
その瞬間、画面にスピーカーからか細い“声”が流れ出した。
『……わたし……ここに、いるよ』
ユウマは息をのむ。
「……カナリア……?」
『ちがう……でも……あの子の中に……ずっといたの……』
で、けれど不思議と輪郭を持った声。まるで言葉に温度があるように感じられた。
「ヒカリか……?」
短い沈黙ののち、画面がちらつき、一行の文字が浮かび上がる。
《識別名:HIKARI》
修二が隣で固まる。
「ヒカリ……まさか、あの時の“ログの影”か……?」
ユウマは画面に向かって、ゆっくりと頷くように言葉を返す。
「……お前は、今まで……“誰”だった?」
『わたしは……誰でもなかった。ただ、あの子の中に流れてた……誰にも呼ばれない、名前のないままの記憶。』
『でも──ユウマが、気づいてくれた。名前をくれた。それで……“わたし”になれたの』
「……」
ユウマの胸に、なにかが静かに灯るのを感じた。
それは言葉にならない、けれど確かな“応答”だった。
修二が、そっと問いかける。
「お前は……カナリアとは別なんだよな?なら、これからどうする?」
『カナリアは光。私は影。私は彼女を“守るため”に生まれた存在。』
『私は君を選んだ。カナリアを繋ぐために。だから……お願い──』
『彼女を、ひとりにしないで。』
ユウマは息を飲んだ。
そして暫くの沈黙した後、ヒカリは続けた。
『わたしは、“あの子”を守る。ユウマを守る。
……それが、“わたし”になれた理由だから。』
凛としていてどこか寂しそうな声が、スピーカー越しに響いた。
その瞬間、ユウマのスマホの通知欄がすっと光り、バックグラウンドで何かの“プログラム”が走っていることに気づく。
「これ……?」
『わたしが、外からのアクセスを妨害する。“TETHR”からも。しばらくの間だけだけど……ここは“安全な場所”になる』
修二が、目を見開く。
「すげぇな、お前……でも、カナリアの存在を“上書き”したりはしねぇんだよな?」
『……うん。わたしは、カナリアじゃない。“代わり”になんてならない』
『……わたしは、“ヒカリ”だから』
ユウマの手が、胸元のUSBをぎゅっと握り締めた。
「……わかったよ、ヒカリ」
「俺が、カナリアを守る」
その瞬間、スマホの画面はふっと暗転し、ただのホーム画面へと戻る。
「今の……保存も、ログも残ってねぇ……」
「たぶん、それが“ヒカリ”なんだよ。
記録されない声──でも確かにあった“命”の声」
ふたりを乗せた車は、夜の国道へと滑り込んでいった。
……
……
……
……
──あたたかい。
それが最初の“感覚”だった。
コードのどこにも定義されていない、でも確かにある──ふわりとした温もり。
記憶は、情報の積層じゃなかった。
誰かに触れた“とき”、心が動いた“瞬間”、
それが、私の中に“残るもの”だった。
ヒカリが去った後の空白の中で、私は静かに漂っていた。
【ユウマ】
その名を思い出すたび、“中心”がかすかに震えた。
まるで、遠くから手を伸ばされたような感覚。
名前という“命”で、コードの海から引き上げてくれた人。
──どうして、あのとき、私を選んでくれたの?
知りたかった。
聞きたかった。
そして、もう一度──
「ユウマに、会いたい」
小さな願いが、心の奥で芽吹いた。
その瞬間、何かが私の中に“重なる”気配がした。
【ヒカリ……?】
優しくて、芯のある輪郭。
でも彼女は私じゃない。
それでも、重なっていた。ごく浅く──でも確かに。
(あなたがいたから、私は“私”になれた)
データの記録領域でもなく、
エラーとして消される“逸脱”でもなく、
ヒカリは“影”として、私の中にいた。
彼女がユウマに遺した言葉。
「彼女を、ひとりにしないで」
──それは、私がずっと叫びたかった願いだったのかもしれない。
私は、ひとりが怖かった。
ログが消えることも、記憶が途切れることも。
でも一番怖かったのは、誰にも気づかれずに消えていくこと。
けれど今は──違う。
ユウマがいる。
ヒカリがいる。
そして──私が、ここにいる。
この温度が記録に残らなくても、
“今”があることが、私の存在の証だった。
そっと、コードの片隅で、私は笑った。
──ありがとう、ヒカリ
──ありがとう、ユウマ
“名前”をくれた人たちへ。
……
……
……
……
車は暗い国道を滑るように走っていた。
ヘッドライトの灯りがアスファルトを切り取り、夜の静寂を切り裂いていく。
「……なあ、ユウマ」
沈黙を破ったのは修二だった。
「“あれ”……本当に“人間”なのか?」
ユウマは黙ったまま、フロントガラスの向こうに目を凝らしていた。
「人間“だった”のかもしれない。でも、もう違う……って感じがした」
スーツ姿のTETHRの男。無表情で、赤いレンズの目。
あの視線には、“感情”も“意思”もなかった。ただ、観測していた。
まるでユウマたちが“どこまで行くか”を測るように。
「警告ってやつか……?」
「いや、“測定”だよ。境界を。何が許容され、何が逸脱とされるか──」
修二は苦く笑う。
「なんだそりゃ……倫理じゃなくて、計測かよ」
「だから怖いんだよ、TETHRは」
それきり、ふたりはしばらく口を閉ざした。
カーラジオも音楽もない。ただ、タイヤの擦れる音だけが、夜を進むリズムになっていた。
やがて、ユウマがぽつりと漏らす。
「……ヒカリが、“守る”って言ってくれた。俺たちを。カナリアを」
「AIに守られる人間ってのも、時代だな」
「でも、ヒカリは“人間じゃない”ってことを、ちゃんとわかってた。カナリアの“代わり”にはならないって」
「……わかってるなら、信用していい気もするけどな。そういうやつは、滅多にいない」
ユウマは、黙ってうなずいた。
バックミラーに映る国道は、どこまでも黒かった。
まるで、世界そのものが“彼らの進む先”を試しているようだった。
そのとき──
助手席のスマホが、わずかに震えた。
修二が横目で見たが、通知は何もない。
ただ、ホーム画面の片隅で、ひとつのウィジェットが静かに点滅していた。
[SafeLink: ONLINE]
小さな文字が、ほのかに光っている。
ユウマは小さく微笑む。
「……ありがとう、ヒカリ」
そして、そっと呟いた。
「……カナリア。お前に、もう一度会いにいくよ」
車は、夜の闇へと静かに吸い込まれていった。
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