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第十四話 忘れてよ
今日は教会へ行く日だった。
風が強い朝で、窓の外の木々がざわざわと落ち着かない音を立てている。
こんな日は体を冷やしやすいから、出かける前にウラシェルへ声をかけた。
「今日は風が強いので、ちゃんと着込みましょう」
マフラーを巻いて、キルトの上着を着せて、手袋も確認する。
どれももう見慣れた光景だ。
世話を焼くたび、少しずつ人らしい生活に慣れていってくれている気がしていた。
馬車の中でも彼は静かだった。
窓の外を見ている横顔は相変わらず何を考えているのかわからない。
それでも、前よりは棘が取れてきたように思っていた。
教会へ着き、私は祈祷書を胸に抱えて先に歩く。
ふと気づくと、ウラシェルの姿が少し後ろにない。
振り返ると、通り沿いの小さな売店の前にいた。
何をしているのかと思って見ていると、彼は棚の上の商品を手に取り──そのまま懐へ入れた。
一瞬、意味が理解できなかった。
時間が止まったみたいだった。
風の音だけがやけに大きく聞こえる。
彼がこちらを振り向く。目が合う。
そのとき初めて、私は自分がそれを見ていたのだと実感した。
祈祷書が手から滑り落ちる。
石畳に当たる乾いた音が、やけに遠い。
「……ウラシェル。それはどうしたのでしょう」
自分の声が、ひどく頼りなかった。
彼は少しだけ歩み寄ってきて、淡々と言う。
「……盗みました。申し訳ありません」
申し訳ない、と言っているのに、声は凪いだ水面みたいだった。
怒りが湧くより先に、胸の奥がひどく冷えた。
どうして。
どうしてそんなことをするの。
私は彼の手首を掴んで、人目の少ない路地まで歩いた。
歩きながら、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
叱らなければいけない。
正さなければいけない。
そう思うのに、言葉がうまく形にならない。
立ち止まった途端、喉の奥から声がこぼれた。
「どうして……そんなことをするの」
怒鳴るつもりなんてなかったのに、声が震えて大きくなる。
「う……うわ……うわあああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
堪えきれず私は叫んで膝から崩れ落ちる。
それでもウラシェルは見下ろしたままだった。
それが許せなくって。
私は感情に任せて、ウラシェルの顔に振り下げた。
鈍い音が路地に響き、ウラシェルが体勢を崩す。
そのまま、ずっと。ずっと。
「なんで……なんでなんでなんでなんでっ……なんでなのっ!」
胸が痛い。
苦しい。
まるで、自分の何かが否定されたみたいだった。
「どうしてっ!?私は何も知らないあなたに正しいことを教えてきたのに!!!どうしてこんなことをするの!?どういうつもりだったの!?」
ウラシェルは口を動かしていたが、私の手は止まらず、聞き取れなかった。
「私が教えてきたことは全部無駄だったの!?ああ、そうだったのね!私なんか私なんか私なんか!そもそもあなたは話なんて聞いてなかった!私がどれほどあなたを心配してあなたを正しい道に乗せてあげようとしていたか分からなないでしょう!?あなたとは分かり合えないっ…!うあああああああああああああっ!」
振り下ろす拳をなんとか抑えた。
ウラシェルは私の下敷きになっている。
せっかくの綺麗な顔を、私が台無しにしてしまったことに気がついた。
手が震えて、思わず彼の胸元を掴んだ。
指に触れたのは、私が巻いてやったマフラーの柔らかい感触。
締めつけるつもりなんてないのに、布を握る手に力が入る。
「わからないの……どうしたらいいのか、わからない……」
視界が滲む。涙が落ちる。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
貴族としての威厳も、教える側としての余裕も、全部崩れていく。
正しいことを教えれば、正しく育つと思っていた。
優しくすれば、心はほどけると思っていた。
なのに現実は、私の知らないところで、勝手に壊れていく。
犯罪を犯すような人間はシャンベリー家の屋根の下には、いらない。
彼が苦しんでいることもわからないほど涙が溢れた。
荒い息を整える。
手の甲で視界を覆っていた涙を拭い、ウラシェルの顔を見た。
謝らないと──
「……え?」
顔が。
生気が感じられない。
肌の色が変色している。
「ウラ、シェル」
名前を呼んでも体を譲っても彼の口から返事が返ってくることはなかった。
血の気が引いた。
私は……。
「……あ……い、いや……あぁ……っ」
殺してしまった?
どうしよう。
シャンベリー家は、戦闘に関しては右出るものはいないほど優秀だった。
その力を見せつけるために作られた、栄光の手が受け継がれている。
伯国になった今、もう人を殺めることはないと母も父も祖父も祖父も安心していたのに。
シャンベリー家の恥だ。
平和を壊した。
ばれたら、駄目だ。
何もかもが、終わってしまう。
死体を、隠さないと。
……どこに?
私はふと、建物の隙間から顔を出すアルプスに視線を向けた。
立派に聳え立ち、一面に雪を被っているアルプス。
ああ、そうだ。
馬車を呼ぼう。
館まで馬車へ行き、そこからアルプスの近くまでまた馬車を呼ぼう。
ウラシェルは体調が悪くて立っていられないからと近くの教会の者を呼んで運んでもらおう。
教会の鐘が鳴った。