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本部の会議室には、張り詰めた空気が満ちていた。重苦しい沈黙が場を支配し、
出席者たちの視線が交錯する。議題は、昨日発覚した、ただならぬ事態についてだった。
帝都軍の隊員であるメイが襲われ、それに介入した魔獣によって、一人の隊員が命を落としたのだ。
その事実を前に、彩国(さいこく)の司令官である鷲尾(わしお)が、怒りに顔を紅潮させていた。
拳を机に叩きつけんばかりの勢いで、彼は声を荒げる。
「どういうことだ!私の隊員が一人、魔獣にやられているんだぞ!」
その怒声は、会議室に響き渡った。鷲尾は、被害者が自部隊の隊員であるという一点に固執し、
責任の所在を追及する。そして、即座に命令を下した。
「すぐにその魔獣を捕まえろ!生きたまま連れてくるんだ!」
しかし、その剣幕にも動じず、國光(くにみつ)が冷静な声音で応じた。彼の表情には、感情の揺れが見られない。
「たしかに、現場の状況を見る限り、隊員は魔獣にやられたようだね」
國光は、魔獣の関与という事実だけを認めた。だが、その言葉には、それだけでは済まされない
他の側面があることを示唆する響きが含まれていた。
さらに、國光の傍らに座っていた凌(りょう)が、厳しい視線を鷲尾に向けながら、冷静かつ鋭く切り込んだ。
「ですが、いくつかの不審な点があります。なぜ隊員たちは、見回りルートから外れた
人目につかないあの場所にいたのでしょうか? 公式な任務の報告はありません」
凌は、単なる事故や偶然ではないことを指摘する。そして、今回の事件のもう一つの側面
メイへの暴行について言及する。
「そのうえ、我々の隊員である霜月は、貴殿の部隊員と思しき二名に暴行され
全身が打撲で腫れ上がるほどでした。現場の状況や隊員たちの行動から見て、
貴殿の部隊が今回の事件に関与している可能性が極めて高いと考えられます」
明確な言葉で、凌は鷲尾の部隊の責任を追及した。メイの無残な姿が、その言葉に重みを与えた。
しかし、鷲尾は凌の追及を一蹴する。彼の顔には、侮蔑の色が浮かんでいた。
「それがどうした、単なる隊員同士の喧嘩だろう。お前らの隊員が無能すぎるんだ!」
事件を軽視し、自部隊の非を認めず、挙句の果てに被害者である
メイ、そして國光や凌の部隊を侮辱する言葉。会議室の空気は、再び一気に凍り付いた。
それぞれの思惑と立場がぶつかり合い、静かな、しかし激しい火花が散っていた。
鷲尾は、凌の容赦ない指摘に反論したものの、その目は泳いでいた。
彼の言葉に、確固たる自信は微塵も感じられない。しばらくの沈黙の後、
鷲尾はまるで己に言い聞かせるかのように、荒々しい声で宣言した。
「いいか、もし貴様らがグズグズして軍を出動させないというのなら、俺たちが討伐するまでだ!」
その言葉は、事件の責任から逃れ、同時に手柄を立てようとする焦りのようにも聞こえた。
しかし、國光は鷲尾の挑発に乗ることもなく、静かに目を細めただけだった。
その細められた瞳の奥に宿る光は、鋭利な刃物のようで、鷲尾に突き刺さる。
國光は、テーブルに置かれた資料に指先で軽く触れながら、氷のように冷たい声で言った。
「魔獣を狩るのは好きにすればいいさ。無論、情報共有はしてもらうがね。」
そこまで言って、國光は顔を上げ、鷲尾をまっすぐに見据えた。
その視線には一切の感情が排され、あるのは純粋なまでの観察眼と、隠しきれない威圧感だけだ。
「しかし、次に僕の隊員に―――少しでも手出しをすることがあれば、僕は容赦しないよ。」
その声は静かであるにもかかわらず、会議室の凍てついた空気をさらに冷たく変えた。
鷲尾は思わず息を呑む。國光の言葉の裏に隠された本気の怒りと、
それを実行するであろう冷徹さが肌を刺すように感じられたからだ。
國光は、表情を変えずに問いかけた。
「……その覚悟はあるんだろ? 貴方には。」
國光の言葉は、鷲尾の心の最も弱い部分――隊員を危険に晒(さら)すことへの躊躇(ちゅうちょ)
そしてこの状況を制御しきれていない自覚――を見透かしているようだった。
鷲尾は「くっ!」と短く呻き、國光の圧倒的な迫力に気圧された。
これ以上この場にいることは、己の無力さを晒すだけだと悟ったのだろう。
彼は慌てた様子で椅子を蹴るように立ち上がり、一瞥もくれずに会議室を後にした。
その背中には、先ほどの威勢は見る影もなかった。
鷲尾が去り、重い扉が閉まる音が響くと、会議室には再び静寂が戻った
凌は、どこか心配そうな面持ちで國光に尋ねた。
「よろしいんですか、この地で彩国に魔獣狩りをさせて。向こうはどんな手を使うか…」
國光は、鷲尾が去った方向をしばらく見つめていたが、やがてゆっくりと視線を凌に戻した。
そして、少しだけ考えるそぶりを見せてから、どこか悪戯めいた響きを帯びた声で答えた。
「うーん。ま、いいんじゃないかな。どうせ、こちらが先に見つけて討伐しちゃうんだから。」
その言葉に、凌は小さく息を吐き出した。
「まったく…」
呆れとも感心ともつかない凌の呟きが、静かな会議室に小さく響いた。
國光は口元に微かな笑みを浮かべただけで、次の行動を考えるかのように、再び資料に視線を落とした
このやり取りの中で、緊張が高まる一方、それぞれの立場と思惑が交錯していた。
鷲尾の激昂、國光の冷静さ、そして凌の懸念。この三者三様の対応が、
今後の波乱に満ちた展開を予感させるのだった。
一方、襲撃事件の怪我から退院したメイは、自室で3日間の待機命令を受けていた。
まだ身体の節々は痛み、心の奥にはあの夜の光景が焼き付いていたが、
命令に従い、彼女は事件に関する報告書に向かっていた。
ペンを走らせながら、あの時の恐怖と屈辱を思い出し、幾度か手が止まる。
しかし、これからは逃げないと、心に決めたばかりだった。書き終えた文字をなぞりながら、
メイはふと顔を上げ、窓の外に目をやった。春の陽光が、広場を明るく照らしているのが見える。
「今頃、みんな……魔獣討伐の準備をしているのかな」
ぽつりと、誰に聞かせるでもなく呟いた。その声には、事件のせいで皆と共に
戦場に立てない悔しさと、危険な任務に向かう仲間たちの安全を、
ただひたすらに願う気持ちが込められていた。置いていかれたような寂しさと、
それでも皆のために何かしたいという思いが交錯する。
椅子から立ち上がった。このまま部屋にいても、気持ちが沈むだけだ。
部屋の隅、立てかけてあった練習用の木刀に手を伸ばす。
木の冷たい感触が、掌(てのひら)に心地よかった。
強くなる。
病院で、蓮隊長と交わした誓い。
そして、悪夢の中で出会った霊獣、魔狼に言われた言葉――お前の心の中に秘められた強さが、
この世界の運命を変える鍵となる――。それらが、胸の中で熱となって燃え上がるのを感じた。
過去の孤独な自分はもういない。守りたいものがあり、共に歩んでくれる仲間がいる。だから、強くなる。
決意を新たに、メイは木刀を手に、静かに自室のドアを開けた。
向かう先は、もちろん練習場だ。確かな一歩を踏み出し、メイは廊下へと足を進めた。
練習場に到着すると、メイは深呼吸をし、木刀を構えた。
日差しが差し込む中、彼女の影が床に映し出される。メイは一心不乱に木刀を振り始めた。
その動きは、まるで仲間たちと共に戦っているかのように力強く、そして正確だった。
「私も、ここでできることを全力でやるんだ」とメイは心の中でつぶやいた。
彼女の背中には、仲間と肩を並べて戦うことを夢見ながら、特別な覚悟と決意が内に生まれていた。