テラーノベル
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「……はぁはぁ」
上手く息が吸えない。吐けない。苦しい。心臓が痛い。目が霞む。視界が狭い。でも逃げなきゃ。早く遠くへ。
帰るなら勇太くんの両親に挨拶するべき。分かっているけれど、リビングに泣いてぐちゃぐちゃになった顔を出すのは抵抗があった。いや、違う。真琴ちゃんがいるだろうリビングに顔を出すのに抵抗があったんだ。
恐怖に負けた。無礼を承知で誰にも気付かれない様に玄関の扉をそっと開けた。
外の景色が目に入った瞬間、安堵で意識を失いかける。こんなところで倒れちゃダメだ。もっと遠くに行かなきゃ。
塀に寄りかかりながら道路に出ると、
「大丈夫ですか?」
近くを歩いていた男の人が駆け寄って来た。
「……大丈夫です。お気になさらずに。本当に何でもないので。気にかけて下さってありがとうございます」
必死に平気を装った。
この人は困っている人を見過ごせない親切な人なのだろう。だから、変な呼吸を繰り返す私を見て救急車を呼びかねない。そんなことをして騒がれたら、勇太くんの家族に見つかってしまう。それだけは嫌だ。
「アナタ、この家から出てきましたよね? 俺、この家の人間と知り合いなんで、呼んできますよ。
……ていうかもしかして、真琴のお兄さんの婚約者さん? 確か真琴が『お兄ちゃんが婚約者を連れてくる』って言ってたから。俺、真琴の彼氏で日下と申します。ちょうど真琴を迎えに来たところなので、一緒に中に入りましょう」
勇太くんの家を指差しながら微笑む目の前の男の人に、寒気がした。
親切だと思っていたその人が、一瞬にして敵に見えた。
「違います‼ 本当に違うので、真琴ちゃんには外に私がいることは言わないでください‼ 絶対に‼」
この場から逃げようと駆け出した足が縺れ、その場に倒れ込む。
「早くて浅い呼吸を繰り返している人間が走れるわけがないでしょう」
そんな私を日下さんが抱き起した。
「お願いですお願いです。見逃してください」
親切そうに見える日下さんが、本当に親切な人であって欲しいと願いを込めて懇願する。
日下さんは真琴ちゃんの彼氏。怖い人なのかもしれない。
だけど、自分の力で逃げることさえ出来ない私は、頭を下げる以外ない。
「『見逃す』って何を? どうしたの? あの家で何かあったの?」
切願虚しく、日下さんは私を解放してはくれなかった。
「何もないです。お願いです」
今度は更に深く頭を垂れる。そもそも、日下さんには何の関係もない。話す義理がない。
ここでもたもたしている場合ではない。一刻も早くこの場から立ち去りたい。
「ねぇ。俺、真琴の彼氏だって言ったよね? あの家から息を切らせた女の子が出てきて気にならないわけないよね? 今、俺に担がれてあの家に連行されるのと、場所を移して何があったか話すの、どっちがいい? どうせ逃げる体力ないんでしょ? どっちかしか選択肢ないよ」
それでも日下さんは私を逃がしてくれず、選びたくもない2択まで突きつけてきた。
日下さんは、私たちの結婚には無関係だけど、勇太くんの家とは関係があった。
「……肩を貸して頂けませんか? ここから離れた所で話します」
本当は2つ共拒否したい選択肢。それが出来ないのなら、私が選べるのは後者しかなかった。
肩さえ貸してもらえれば、何とか歩ける。
兎に角、兎に角、是が非でも遠くへ。
「肩は貸しません。背中を貸します。乗って」
日下さんは私の前で背を向けてかがむと、『おいでおいで』と手招きをした。
「大丈夫です。歩けますから」
さすがにおんぶしてもらうのは忍びないし、いい歳をして恥ずかしい。やんわり断るも、
「早くしないとあの家から誰か出て来ちゃうかもよ。見つかりたくないんじゃないの?」
日下さんは『早く乗って』と私を急かした。
『早くしないとあの家から誰かが来る』。日下さんの言葉に、背中がゾクっとした。
「すみません。お言葉に甘えます。重いのに申し訳ないです」
そっと日下さんの背中に身体を預けると、
「俺、女の子をおぶれないほど軟弱じゃないんんで」
日下さんは私を持ち上げて腰を起こすと、
「しっかり掴まっててね。ダッシュするよ‼」
と言って走り出した。
しかし2分後くらいに突然自販機の前で足を止める日下さん。
「この近くに公園があるんだけどね、話はそこで聞こうと思うんだけど、その前に何か飲みもの買ってからにしようよ。どれ飲みたい?」
日下さんは『好きなの選んで』と言いながら、私を降ろすことなく、自分のお尻のポケットに器用に片手を入れると、スマホを取り出し、自販機に翳した。
「……じゃあ、お水を頂けますか?」
「じゃ、水とコーヒーのボタン押して。あ、ブラックね」
しかし、ボタンは私に押させる日下さん。
おんぶされながら自販機のボタンを押すのは子どもの頃以来で、懐かしくて、ちょっと楽しかった。更には、
「悪いけど、持っててくれる?」
と、背中をかがめて出てきた飲み物を私に取り出させると、そのままそれを私に持たせる日下さん。
「ふふふ」
日下さんが、子どもに初めて自販機に触れさせる親の様に見えて、思わず笑ってしまった。
「あ、笑った。良かったー。キミ、俺を邪険に扱いすぎ。出会った瞬間に嫌われるって、何事⁉ 俺、キミに何したよ? こんなに親切なのにー。ショックだわー。謝って。名前教えて」
日下さんが私をおぶりながら『謝れ』『ホラ、名前!!』と膝を曲げたり伸ばしたりして、私の身体を揺さぶった。
「すみませんでした。木原です」
素直に謝り、名乗ると、
「それ、苗字。な・ま・え‼」
日下さんは更に激しく私を上下に揺すった。
「美紗です。美紗ですから‼ 止めてください‼ 落ちる‼」
振動で落下しそうになり、慌てて日下さんの首に絡みつく。
「締まってる‼ 首‼ 何なの⁉ 殺す気なの⁉」
私がしがみついたせいで日下さんの首が締まっていたらしく、日下さんが『緩めて緩めて‼』と私の腕をポンポンとタップした。
「あ、ごめんなさい。ていうか、だったら揺らさなきゃいいじゃないですか」
力み気味の腕をそっと解きながら言い返すと、
「あんだけ俺に、何か汚いものでも見るかの様な視線を飛ばして嫌っておいて、ちょっと意地悪し返したくらいでコレだよ」
日下さんに嫌味を返された。
「……すみません。私、降ります」
正直、精神的に参ってしまっている今、初対面の人間にまで攻撃されて平気でいられる程、私の心臓は鉄壁ではない。
日下さんの背中を滑り落ち、地面に足をつこうとすると、
「拗ねるし。女子ってホント、面倒臭い」
今度は日下さんの方が腕に力を入れ、私を自分の背中に押し戻した。
日下さんは、私の身体を気遣って、私を歩かせようとしないのだろう。
「もう大丈夫なのに……すみません」
正直、呼吸はだいぶ楽になっていた。
「日本人って、『すみません』と『ありがとう』の使い方おかしい人多いよね。今は『ありがとう』を使うべき。そっちの方が言われて嬉しいし、言う方も気持ちいいでしょうが」
日下さんが私をおぶり直して歩き出した。
「……ありがとうございます」
「You bet!」
「日下さん、外国人?」
「純日本人」
日下さんが『ふっ』と息を漏らして笑った。
確かに『ありがとう』の方が嬉しいし、心地よい。
日下さんに連れられて近くの公園へ。
日下さんは、公園にある大きな木の下に設置されていたベンチに向かうと、ゆっくり私を降ろし、そこに腰を掛けさせた。
そして自分も私の隣に座ると、私の手から水とコーヒーを抜き取り、水が入ったペットボトルのふたを開けて私に手渡してくれた。ジェントルマンなのか。女を喜ばせるのが上手いのか。
「御親切にどうも」
日下さんから水を受け取ると、
「Sure thing」
またも英語で答えるアメリカンな日下さん。
「だから、外国人?」
「純国産」
日下さんは、こういうやり取りが好きなのか、目を細めながら自分の缶コーヒーのタブを開けた。
それぞれの飲み物を一口含み、一息ついたところで、
「で、何があったの?」
日下さんが本題に入る様に切り出した。
「……日下さん、聞いたら100%嫌な気持ちになりますよ。それでも聞きたいですか?」
さっきの『ありがとう』とは正反対。
これから話そうとしていることは、言う方も言われる方も最悪な気分にしかならない。
それに、私が口にするのも嫌なんだ。思い出すことさえ辛い。
「うん。じゃなきゃ、何の為に美紗ちゃんとココに来たか分かんないじゃん」
だけど、日下さんは聞きたいらしい。
日下さんにとって真琴ちゃんは、愛する彼女。知りたいに決まっていた。
コメント
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第2話、読み終わりました。冒頭の美紗さんのパニック状態、息苦しさがこちらにまで伝わってくるようでした。そこに現れた日下さん、一見親切だけど「真琴の彼氏」と名乗った瞬間の寒気、ゾッとしました。でもおんぶされて自販機で水を買うやりとりで、思わず笑ってしまう美紗さんの気持ち、すごく分かります。あの「ありがとう」の使い方の指摘も、じんわり響きました。最後の「で、何があったの?」——読んでいるこちらも続きが気になって仕方ないです。日下さんの胡散臭さと優しさのバランス、絶妙ですね。