テラーノベル
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第二話 痛みのない世界
それは、昼なのか夜なのかも分からない時間だった。
晴明は縁側に座り、ぼんやりと庭を眺めていた。
風は吹いているはずなのに、木々はほとんど揺れない。音だけが、形だけをなぞるように存在している。
「……静かすぎる」
ぽつりと零れた声は、すぐに空気に溶けた。
返事はない。けれど、不思議と孤独は感じなかった。
『ここは、落ち着くだろう』
いつの間にか、隣に晴明公が立っていた。
気配を感じたはずなのに、思い出せない。
「はい……落ち着きます。でも……」
言葉を切る。
“でも”の先を口に出すのが、少し怖かった。
『でも?』
晴明公は、急かさない。
ただ、穏やかに続きを待つ。
「……落ち着きすぎてて。
心臓、ちゃんと動いてるのかなって思う時があるんです」
冗談めかして言ったつもりだった。
けれど、自分の声は思ったよりも弱く、真剣だった。
晴明公は、ふっと笑う。
『動いているよ。君は、ここにいる』
「……それって」
ここにいる、という言い方が、引っかかる。
「生きてる、って意味ですか?」
晴明公は、少しだけ首を傾げた。
『それ以外に、何があるんだい?』
即答だった。
迷いも、躊躇もない。
晴明は、庭へ視線を戻す。
白砂の上に、小さな石が落ちているのが見えた。
何気なく、立ち上がり、その石を拾おうとして――
指先を、ほんの少しだけ擦った。
「……あ」
皮膚が切れた感触は、確かにあった。
なのに、次の瞬間には、何もなかった。
血も、痛みも、傷跡すら残っていない。
晴明は、自分の指をじっと見つめる。
「……今、切れましたよね」
『そうだね』
晴明公は、否定しなかった。
「でも……痛くなかった」
『ここでは、必要ないからね』
必要ない。
その言葉が、胸に沈む。
「……必要ないって、どういう……」
『君が苦しむ理由は、もう十分だった』
晴明公の声は、変わらず優しい。
まるで、当たり前のことを説明するように。
『痛みも、恐怖も、後悔も。
それらは、君を守るためにあるものだ』
「じゃあ……」
晴明は、ゆっくりと振り返る。
「それがない僕は、何なんですか」
一瞬。
本当に一瞬だけ、晴明公の目が揺れた。
けれど、すぐに微笑みが戻る。
『晴明だよ』
それ以上でも、それ以下でもないと言うように。
『君は、君でいればいい』
「……それ、簡単すぎませんか」
自分でも驚くほど、言葉が鋭くなった。
「何も感じなくて、何も失わなくて、
それで“僕”って言えるんですか……?」
空気が、少しだけ重くなる。
晴明公は、縁側に腰を下ろし、晴明と同じ高さになる。
『君は、ずいぶん苦しい世界にいたんだね』
「……覚えて、いるんですか」
『もちろん、晴明の記憶はすべて覚えているよ?』
優しく、でも逃げ場のない言い方。
『だから、もう戻らなくていい』
晴明の胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「……戻るって、どこに」
そう聞いた瞬間、
遠くで、かすかな音がした。
――ピッ、ピッ、という、一定のリズム。
聞き覚えが、あるような。
ないような。
「今の……」
顔を上げた瞬間、晴明公の手が、そっと晴明の耳元に触れた。
『気のせいだよ』
その声と同時に、音は消える。
『ここには、君と僕しかいない』
言い切りだった。
「……ご先祖様」
喉が、少しだけ震える。
「僕、ここにいていいんでしょうか」
晴明公は、迷わず答える。
『もちろんだよ』
そして、少しだけ声を落として、付け加えた。
『君は、ここにいるべきなんだ』
“いるべき”。
その言葉が、晴明の中に静かに沈んでいく。
必要ない痛み。
存在しない不安。
変わらない世界。
それらすべてが、優しさで包まれているはずなのに――
なぜか、息が詰まりそうだった。
「……分かりました」
そう言うと、晴明公は満足そうに微笑んだ。
『いい子だね』
その一言で、胸の違和感が、少しだけ薄れる。
晴明は気づかない。
今、自分が感じた“息苦しさ”こそが、
この世界で唯一残された、現実への感覚だということを。
そして晴明公が、
その感覚すら、いずれ消すつもりでいることを。
コメント
2件

何だろう🤔話の書き方が凄く好き❤️落ち着いた雰囲気?と言うのかな?上手く文字にできないけど凄い好き これからの展開が待ち遠しいです!
晴明公…やっぱり気配がしないまま晴明君の隣に現れるこれはビックリしそうだけど晴明君がビックリしてないのがスゴイ! 晴明公はなにを思っているのか 晴明君にはなにが起こってたのかそして 最後に聞こえた一定のリズムの音はもしや?…続き楽しみにしてます!