テラーノベル
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「……あの、お父様。今日のお見合い相手の方は、どこへ行かれたのかしら?」
豪華なシャンデリアが眩い光を放つ、公爵家の応接室。
私は引きつった笑顔を張り付かせたまま
目の前の「もぬけの殻」となったソファーを見つめていた。
そこには数分前まで、隣国の伯爵家の三男
エリック様が座っていたはずだ。彼は爽やかな笑顔を浮かべ
「アリア様、噂通りお美しいですね。本日はお会いできて光栄───」と、初対面の挨拶を口にし、私の手を取ろうとした。
……そう、しようとした瞬間に、彼はそのまま白目を剥いて卒倒し
使用人たちによって静かに運び出されてしまったのだ。
「……アリア様。あのような軟弱な男、お側に置く価値もございません。同じ空気を吸っているだけで貴女の清らかな魂を汚す、不届き極まりない害獣です」
鼓膜に直接冷気を流し込むような、低く冷徹な声。
私のすぐ右背後に控える執事、セシルが氷のような眼差しで言った。
艶やかな黒髪の間から覗く、ピンと立った三角形の耳が、不快感を隠しきれずにピクリと動く。
彼は世界でも希少な「黒猫の獣人」だ。
私の身の回りの世話から領地の事務、分刻みのスケジュール管理まで完璧にこなす超エリート。
だが、彼には致命的な欠点がある。
私に近づくすべての男性を、即座に「駆除対象」と見なす極度の独占欲だ。
「そうですよアリア様! あいつ、アリア様の手の甲に不埒な唇を寄せようとしたんですよ!?許せません、僕が今すぐ噛み殺して……いえ、二度と公爵家の敷居を跨げないよう、物理的に追い払ってきます!」
元気よく、それでいて狂気を含んだ声を上げたのは、左側に控える執事、ルカ。
太陽を閉じ込めたような金色の髪を揺らし、立派なゴールデンレトリバーの尻尾をブンブンと……
いや、もはやビュンビュンと凄まじい速度で振り回している。
その猛烈な風圧で、テーブルに飾られた百合の花瓶がガタガタと悲鳴を上げている。
彼は私の護衛を兼ねた執事で、一見大型犬のように人懐っこいが
その本性は「主を脅かす者は塵一つ残さない」という苛烈な防衛本能の塊だ。
「二人ともやりすぎよ!エリック様はただ、貴族としての挨拶をしようとしただけじゃない。セシル、あなたは無言で魔法を使って、部屋の温度を瞬時に氷点下まで下げたわね?」
「…そ、それは……」
「エリック様のコーヒーが凍りついていたわよ。それにルカ!」
「はいっ!」
「あなたは背後から猛獣のような唸り声を上げて彼を威嚇したでしょ?!蛇に睨まれた蛙のように硬直していたじゃない!!」
私が深いため息をつきながら振り返ると
二人は示し合わせたように、ピシリと背筋を伸ばして胸を張った。
「すべてはアリア様のため。あのような弱々しい羽虫を寄せ付けないよう、我々が鉄壁のガードを敷くのは当然の責務です。アリア様が傷つく可能性は、微塵も残したくありませんので」
「そうですよ! アリア様は僕たちだけ見ていればいいんです。他に何も必要ありませんよね?」
ルカがグイッと顔を近づけてくる。
黄金の瞳はキラキラと輝いているが、その奥には執着の炎が揺らめいている。
逃げ場を許さない、純粋ゆえの狂気。
一方で、セシルは音もなく私の死角に回り込み、耳元で熱を帯びた吐息を漏らす。
「……さあ、あのような下俗な男のことは忘れてください。それに、お詫びとして特製のハーブティーをご用意しました。私の調合した香りの中で、ゆっくりとお休みを」
……これよ。これなのよ。
物心ついた頃から、ずっと一緒に育ってきた幼馴染兼執事の二人。
身寄りのなかった彼らを、私が強引にお父様を説得して拾い上げ、共に成長してきた。
今や彼らは公爵家になくてはならない、最高の執事へと成長した。
けれど、その成長の過程で
彼らの私に対する「忠誠心」は、いつしか歪で巨大な「狂信的な愛」へと変貌を遂げていた。
朝目覚めれば二人の顔があり、食事をすれば二人の視線に射抜かれ
眠りにつくまで二人の気配に包まれる。
これじゃあ、お見合いなんて何度やったって無駄
私の周りには、もう彼らという名の絶壁しか残っていないのだから!
「……二人とも。ちょっとそこに直りなさい」
私は決意を固め、勢いよく立ち上がった。
このまま甘やかしていたら、私は一生
この「犬」と「猫」が作り上げた甘い監獄の中で過ごすことになってしまう。
それは確かに心地よいかもしれないけれど
二十歳を迎えた一人の女性として、あまりに自由がなさすぎるわ!
「私、決めたわ。今日から───」
期待に満ちたように、二人の獣の耳がピンと跳ねる。
「何なりとお命じください、我が主様」とでも言いたげな恍惚とした表情。
けれど、次に私の口から飛び出した言葉は、彼らの完璧な世界を粉々に打ち砕くことになる。
「今日から、あなたたちを『モフモフ』するのをやめにします!」
私の宣言が落ちた瞬間
応接室の空気が、今度こそ物理的に凍りついた。
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