青桃・かなり雑
彼氏と交際を初めてからはや6年が経ち、数日後には7年記念日が待ち伏せていた。
交際から間もなく7年、同棲開始から間もなく4年と言ったところか。相手の好きなところ、嫌なところが浮き彫りになり、全て引っ括めて愛する至高の関係となったと思う。
5年目は喧嘩ばかりだった。些細な言動ですらお互いの鼻につくことが蔓延していた時期だった。ただ、6年目に入ってから、彼の態度は一変したと思う。
時を経てからだろう、お互いの過干渉がパタリと止んだ。
相手のパーソナルスペースを適度に確保し、愛を伝え、言動に気を使い始めた末、そろそろ婚約を考える頃合になってきた。
そんなことを考えながら、本日のデートの支度を終え、バッグを持った。
「まろー、もう行けるよ」
「おまたせーっ」
腹に力を込め、声をはりあげて出発のサインを出すと、わかった、と伸びしながら大声で返答してくる彼の声が耳に届いた。
「行こっか」
「ショッピングモールでデートとかいつぶりかな笑」
「ひっさしぶりよなぁ…」
「ところで映画は決まったん?」
「きまった!これなんだけど〜…」
彼の隣の助手席に座ることが大好きだった。ハンドルを握ろうが人格は変わらないし、綺麗な横顔を眺めることが好きだった。
でも何より、彼の口ずさむ歌声が好きだった。優しい声が単調なリズムに乗っていて、聞き心地は至高で堪らない。
また一緒にカラオケいきたいな、なんて内心ボヤき連ね前に視線をやると、お目当ての大きな大きなショッピングモールは、すぐそこに凄んでいた。
「いやーーっ、たのしかったねーっ!」
「ほんまになぁ。またこよっか」
「うんっ」
大量の購入品を抱えながら、文句1つ言わずに隣を歩いてくれる彼に甘え、軽くてたまらない足をスキップさせて車に向かった。
彼が荷物を後部座席に詰めている最中、スタバのフラペチーノを片手に、彼のコーヒーをもう片手に、彼の作業を眺めていた。
バランスよく崩れないように積む彼を横目に、着信音が車内に響く。
自分のスマホが鳴ってしまっているのかとバッグから取り出し確認するが、ロック画面に友人からのLINEの通知が何件か届いている程度で、不在着信の履歴は確認できない。
なら彼のスマホだ、そう確信し、電話きてるよと差し出すために手を伸ばした途端、重なったのはスマホの冷たい感覚ではなく、人肌を感じる彼の手だった。
「ごめん、出てくるな」
「あ、おっけー…」
バタン、と閉じられる車の扉。それはいつもより力が込められていて、俺の体が驚きで跳ねるほどの音だった。
いつもなら扉なんて閉めないのに、と不貞腐れながらフラペチーノの啜り、友人からのLINEに返信タイムをとった。
「すまん、おまたせ、帰ろう」
申し訳なさそうな顔をしながら愛想笑いを浮かべる彼に、揶揄うつもりで疑問を投げかける。
「だれから?」
「上司やで、どうしたん?」
「嫉妬でもした?」
「…べつに?」
「嫉妬やんか!笑」
別に嫉妬なんかじゃなかった。なんでドアを勢いよく閉めたんだ、スマホを半ば強引に奪ったのかと不満を浮かべただけだった。
ただ、ここでまた過干渉な束縛を披露し、喧嘩になることは絶対に避けたかったから、可愛らしい嫉妬で不貞腐れているんだと主張してやった。
「機嫌直して?」
「うーん…」
愛くるしい小動物を見るかのような目でこちらを見つめる彼の瞳に呑まれ、甘い後味が残る口付けを交わした。
窓にかかるカーテンの隙間から差し込む光に目を打たれる。眩しくてたまらずに目を開き、半ば強引に目を覚ました。
酷く荒れたダブルベッドのシーツを、自らがグシャグシャにした痕跡を見て取れる。
することしてからご自慢の寝相で彼を弾き飛ばしたのだろう。最悪な目覚めで仕事へ出向かせてしまったと思う。
出る時くらい起こしてくれればいいのに、と少々不貞腐れながら見を起こすと、13時58分と有り得ない数字を示すデジタル時計と目が合った。
「…」
「寝坊!!!」
大急ぎでベッドから身を退け、洗面所に向かう。今日は銀座で20時から友人との予定を拵えている。こんな時間に目を覚ますなんて大誤算だ。
粗方準備を終え、ふとテーブルに目をやると、丁寧にラップが掛けられたオムレツとその他諸々と目が合った。その横に添えてある1切れの紙はどうやら置き手紙のよう。
置き手紙を手に取り、汚くとも丁寧に書かれた時と睨めっこをした。
『おはよう』
『しっかり食べてから楽しんできてな』
朝から仕事なのに朝ごはんまで作って置いていてくれた彼氏の愛を噛み締めながら、ほぼ昼食の朝ごはんを喉に流し込んだ。
「ごめん!おまたせ!」
銀座駅の約束の店前に到着し、久しぶりに会うメンツと顔を合わせ喜びを顕にした。
「早く入ろ〜、お腹空いたよ」
入店し、予約していた者ですと言えば真っ先に4人のシート席に通される。
久しぶりのメンツで最初の会話はぎこちなかろうとも、酒を混じえば話は別だ。
最近彼女ができたとか、婚期を逃しそうだとか、バンドが上手く行きそうだとか。
他愛もなくはない会話を酒と共に交わし、時刻は夜の23時38分を回っていた。
そろそろ帰るか、という合図で店の表へと出向く。その間に奢りをかけた男気ジャンケンを繰り広げ、見事惨敗した後、3万円以上の金額が財布から巣立って行った。
ベロベロに酔いながら繁華街を友人らと歩く。銀座だからか、エリートリーマンの中年太りが目立つメタボ男性が多く見られる。だんだんホテル街へ近づくに連れ、スタイルのいい整形顔の女性と中年男性が腕を絡めて歩く姿が多くなって来るのが見受けられる。
その中で、1つ頭が抜けた青い髪を靡かせる姿が見えた。
「え、ないこどうした?」
「…いや、その」
絞り出して、やっとのことで出た言葉は子鹿のように震えていた。
どう見ても、あの顔は、自らが付き合って7年を迎える彼氏の顔だった。
横にいるのは、華やかに笑う可愛らしい女性。
フリーズする脳と体は、その場に立ち尽くし、人の波は俺たちを避けるように自然と広がっていく。荒波の、台風の目にいるような、不思議な感覚に陥った。
そんな中、横からスマホのシャッター音が響く。驚いて視線を向けると、友人が察してくれたようで、彼らの不貞シーンを見事カメラに残してくれていたのだ。
「今は行こう、このまま突っ込んでも上手く喋れないでしょ」
友人に腕を引かれ、まだ気力の入らない足で連れていかれた先は、タクシーの停留所だった。
タイミングよくタクシーが停り、後部座席のドアが開かれる。
「奢ってもらったから金は出してやんよ、今日は帰れ」
「あと、これ」
エアドロップで先程の写真が己のスマホに転送される。
すかさず万札を手に握らせ、じゃあな、と男らしくドアを閉められた。
今日は帰って寝よう。明日、何かの間違いだと信じて、問い詰めることにする。
「おはよ」
「ん、おはよう」
呑気にコーヒーを片手にスマホをいじる彼の顔は、余りにも憎たらしくて仕方がなかった。上手く挨拶も交わせなければ、なんならあのスマホで、今も浮気相手と連絡をとっているのかと憎悪に塗れていた。
「…ないこ?座らんの?」
不思議そうにこちらを見つめる顔を、どうしても見れなかった。
少し目を逸らしながら、彼に投げかける。
「嘘つき」
なんだなんだと驚く彼の顔に、有り得ない程腹が立ち、彼の胸ぐらめがけて手を伸ばしながら駆け寄った。
「ちょ、落ち着けって…っ」
彼の静止しようと拒む声を払いのけ、そのままひたすら噛み付いた。
「落ち着けるわけねーだろっ」
「なに俺とデートした次の日に浮ついてんだよ」
「出社もどうせ嘘だろ、よく平気なかおしてホテルいってコーヒーのめるよな…っ」
「まじ…ありえないんだけど…っ」
感情が吐きでて仕舞いそうになった瞬間、彼の顔は戦意を失い、バレたかと言わんばかりの顔で目を逸らした。
「…付き合う前のないこに、似てたから」
己が愛していた彼と、幸せな日々は虚像であった。
婚期が近づいたから、お互いの過干渉が収まったワケでも、信頼しあったワケでも無かった。彼が他の依存先を見つけ、癒しを求めただけだった。
「なんだよ、それ…」
「そんなこといえば許されるとでもおもってんの…?」
「…ごめん」
溢れ出す涙は、どう堪えても止められなかった。下を向いているせいなのか、己の意思でないことを願うばかりだ。
好きになるのなら、浮つくのなら、まったく俺に似ていない真逆の若い女性を選んで欲しかった。
俺の6年間の愛は無駄だったのか。
変わってしまったのは彼じゃなく、俺の方だったのか。
崩れ落ちる体は、彼の胸元へと落ちていき、優しさか、せめてもの罪滅ぼしか、優しく抱きとめてくれる大きな手の感触がほのかに伝わった。
「…だいすきだった」
「…うん」
「否定してほしかった」
「…うん」
「真反対のひとを、好きになってほしかった」
「…ごめん」
「別れて、ください」
「……」
「わかった」
彼は俺の頭を抑え、自らの胸元に軽く押し付けた。己のスーツが涙に濡れることなんてお構い無しに。
カレンダーに記された1週間後の“7年記念日”に、過ぎた印を付けることは、1度として訪れなかった。