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その一


出勤途中の満員電車の中でスマホを見ていた梢の目に、あるネットニュースの記事が目に入った。

『西園寺久子、情報番組でこたつ記事を痛烈批判!』

見出しが気になった梢はリンクをタップして、記事を読み始めた。

それは、朝の情報番組で、大した取材やリサーチもしないのに、ただテレビに映っていた様子を記事に書くだけの仕事をする者が『物書き』を名乗るなと、出演していた久子のコメントがそのまま記事になっていた。また久子は、番組内においてネットニュースの誤字脱字や乏しい文章表現の酷さも指摘し、挙句こたつ記事を書かせている新聞社や週刊誌といった各メディアの存在までも否定するような発言をしたのだ。

生放送で編集もできない中での久子の辛口コメントは、時に番組出演者や制作陣もヒヤヒヤさせるほどで、今回の発言はこたつ記事の存在も相まって、瞬く間に炎上することに。

久子を担当している梢にとっては、こういったトラブルの積み重ねがストレスの要因になっていたが、頭を悩ませているのは上司の高梨も同様だった。

「西園寺先生の世界観は独特で、固定のファン層も多いけど、こういうのがきっかけでファンが離れると、本の売り上げにも影響するんだよな」

今でこそ管理職となり落ち着いている高梨だったが、かつては敏腕編集者として数多くの小説家を育て上げ、同僚や後輩、そして作家とも浮名を流した噂があるほど、まさにギラギラした男であった。普段は温厚な性格だが、出版会議での意見交換や、流通が決まった新作をチェックする際に見受けられる、目の奥から伝わる殺気のようなものは、やはりかつての名残があるのだろう。


午後になり、梢がいつものように仕事をしていると、メールの通知が来た。送信元を確認すると、それは渦中の人とも言うべき、久子であった。

以前久子とは新作のプロットに関して相談をしたことがあったが、久子は既に初稿を書き上げ、原稿データを梢宛てのメールに送ってきたのだ。出版会議にも通っていない状態で初稿を書いてきたことに梢は驚き、既に書き始めてしまった以上は、何とかして形にしなければそれこそ久子に何を言われるか分からない。

別会議から戻ってきた高梨に、梢はこの件を相談した。

「西園寺先生の企画が通らないことはないが、こういうフライングは困ったな。俺から伝えとくよ」

「申し訳ありません」

「気にするな」

この日だけで、梢自身、何度溜息をついたのか分からないほどだった。



その二


久子の炎上に関するネットニュースの記事を見たのは、笑理も同じであった。

クライマックスを迎える新聞連載小説の執筆の途中、参考資料を調べるためにネットを立ち上げたとき、記事の存在を知った。

「ああ、炎上してるよ」

笑理は呆れたように、記事を閲覧した。また、他のメディアやネットニュースでも、同じような内容で、久子の記事がアップされていた。誤字脱字や乏しい文章力を批判した久子のことが書かれている記事そのものが、誤字脱字や文章力が酷いのが何とも皮肉であると、笑理は記事を見ながら思っていた。と同時に、久子の担当をしている梢のことも心配になっていた。

「梢、大丈夫かな……」

久子のことを考えるとバカバカしいと思ったが、梢のこととなると話は別である。笑理はスマホを手にすると、梢を気にかけるLINEを送り、再び執筆作業に取り掛かった。


梢は、自ら久子の新作原稿をプリントアウトしたうえで一通り読み終わった後、その原稿を高梨にも渡した。高梨もその場で原稿を読み終えたようで、梢はミーティングルームに呼ばれた。

「悔しいが、作品のクオリティは間違いないな」

「ええ、私もそう思います」

梢も高梨も、その考えは同じであった。人間性に難ありな久子だが、やはり長年文芸の世界に足を踏み入れているだけあって、作品の質は期待以上のものだった。

「来月の出版会議では、形式的に承認を得ることにしよう。西園寺先生には、フライングしたことはちゃんと伝えておく。承認を得てから、山辺君も本格的に西園寺先生と作業を進めてくれ。だが今回は、作業時間を多めに見積もっておいた方が良いだろう。またどこで、炎上するか分からないからな」

「はい、よろしくお願いします」

ミーティングルームから戻った梢は、デスクに置いてあるパソコンで充電をしてあったスマホを手に取り、そこで初めて笑理からLINEが届いていることに気がついた。

『大丈夫? いつでも、うちにおいで』

短い一文ながら、梢は笑理から伝わる深い愛情を感じていた。今すぐにでも笑理に会いたい衝動に駆られた梢は、『今晩、マンション行っても良い?』と返信をした。するとすぐに、笑理からメッセージが届いた。

『OK。いつでも待ってるね』

週末ながら久子の炎上という爆弾と向き合わなければいけなかっただけに、今日の仕事終わりに笑理に会えるということは、梢にとっては何にも代えがたいプレミアムフライデーだった。



その三


笑理のマンションに向かう途中で、梢はコンビニに立ち寄り、何本もの缶チューハイや、カルパスや柿の種などのおつまみを購入した。決してアルコールが強いわけではない梢だったが、久子の件もあり、今日は飲みたい気分だった。

「いらっしゃい」

ドアを開けて迎えた笑理を見るなり、梢は笑理に抱き着いた。

「会いたかった、笑理」

「はいはい。さ、上がって」

笑理に促され、梢はそのまま中へ入った。

「今日は随分飲むつもりなんだ。まあ、無理もないか。あのババアのこともあるんだから」

梢の持っているコンビニの袋を見て、笑理は苦笑して言った。

「だって、飲まなきゃやってられないんだもん」

梢は膨れっ面で呟く。

「今日は私も付き合ってあげる。さ、飲もう」

テーブルに缶チューハイとおつまみを並べ、梢と笑理は二人だけの飲み会を始めることになった。


一方、駅前にある個室居酒屋には、仕事終わりの高梨が来店していた。店員に席を案内されると既に久子が来ており、掘りごたつに足を延ばしながら、焼き鳥をつまみにして、中ジョッキのビールを飲んでいた。

「和彦、待ってたわよ」

高梨は呆れたように、向かい合うように座ると、

「だから、下の名前で呼ぶなって言ってるだろ。今日は、仕事のことで君に言いたいことがあって時間作ってもらったんだから」

店員に芋焼酎のソーダ割を注文すると、高梨は仕事の顔になった。

「今日、うちの山辺君宛に、最新作の原稿送っただろ?」

「あら、見てくれたの」

「相変わらずのクオリティで感心するよ、悔しいけどな」

「そりゃ、あなたのおかげで、私はここまで来れたんですもの」

久子は呑気そうに言っていたが、高梨は不機嫌そうに煙草を吸い始めた。

「作品のことは評価するさ。だが、まだ出版会議の承認も得てないのに、フライングで執筆するのはやめてもらえないか。作品ありきで企画を進めるようなことはしたくない」

「私たち、もう二十年近い長い付き合いなのよ。それぐらいのこと良いじゃない。あなただって、今や『ひかり書房』の文芸部長なんですから」

軽くあしらう久子に対して、高梨は続けて、

「でもな、お互いの立場を考えたうえで、もっとフェアに行かないと」

「あなたも変わったわね。昔は、置きに行くようなタイプじゃなかったのに」

お互い還暦を間近に控えて少しは落ち着いたかと思ったが、二十年近く経ってもかつての愛人の性格は全く変わっていなかったと、高梨は呆れ顔で久子を見つめていた。



その四


何本も買った缶チューハイは、ほとんどが空き缶になっていた。

ゆっくり飲む笑理に対し、今日の梢のペースは速かった。

「梢、飲みすぎじゃない?」

笑理は心配そうに声をかけるが、梢はそれでも飲み続けていた。

「だって、今日は飲みたいんだもん」

メトロノームのように、体を左右に揺らしながら、梢は缶チューハイを飲み続けている。顔もほんのり赤くなっており、酩酊状態になるのも時間の問題で、笑理は心配そうに梢を見つめた。

「まあ、あの西園寺久子に振り回されたら、飲みたくなる気持ちも分からなくないけどね」

「でしょ。最初はさ、西園寺先生の作品が好きで、担当になったときは嬉しかった。でも、いざ仕事の付き合いを始めたら、自分勝手だし、感情の起伏激しいし、何より画が強いし……。もうあんな人に振り回されたくない」

梢が大きな溜息をついて顔を伏せると、笑理は優しく梢の頭を撫でた。

「苦労してるんだね、梢は……」

もう一度梢は勢いよく顔を上げた。

「ねえ笑理、キスしよう」

笑理が返事を返す前に、うつろな目になった梢から唇を奪われた。梢は笑理の首元に腕を回しており、しばらく唇を離さなかった。

「ありがとう」

ようやく唇を離し、デレデレと酔いが回った梢を見て、笑理はそんな梢の姿が愛おしく思えた。

「何か、暑くなってきちゃった」

梢はブラウスを脱ぎ、キャミソール姿になった。

「梢、今日はもう寝よう」

「うん」

笑理は、千鳥足になっている梢を抱えながら、寝室のベッドに寝かせた。あっという間に梢は、スヤスヤと眠ってしまった。梢に布団をかぶせ、梢の額におやすみのキスをした笑理は、そのままリビングに戻ると、空き缶やおつまみのごみを片付け始めた。


翌朝、目を覚ました梢が体を起こそうとすると、激しい頭痛に襲われた。

梢は昨晩の記憶が曖昧で、自身がキャミソール姿のまま眠っていることに驚いていた。そこへ笑理が入ってきた。

「おはよう、起きた?」

「私……昨日、何かした?」

「覚えてないの、昨日のこと?」

「うん」

「私にキスしたんだよ。しかも私の首の後ろで腕組んで、しばらく唇離さなかったんだから」

笑理は苦笑しながら話した。

「嘘……」

梢は唖然顔になった。

「それに、暑くなってきたって言って、自分から服脱いでさ。私、ちょっとドキッとしちゃったよ」

「……ごめんなさい」

笑理に向かって、梢は深々と頭を下げた。

「良いよ。昨日は、飲みたかったんだもんね」

梢は小さく頷いた。



その五


小さくソファーに座っている梢の元に、笑理がインスタントの味噌汁を運んできた。

「はい、しじみの味噌汁。飲むとスッキリするよ」

「ありがとう。作ってくれたの?」

「まさか。さっき、コンビニ行って買ってきたの」

梢は味噌汁を一口飲むと、ホッと溜息をついた。

「美味しい」

「昨日は相当飲んでたね」

久子の愚痴を言いながら缶チューハイをいくつも飲んだことは覚えているが、いつ自分がブラウスを脱いだのか、どうやって寝室まで行ったのか、梢の記憶は途中から曖昧だった。

昨晩の記憶を思い出そうとしていると、梢は突然笑理から肩を抱かれた。

「ねえ、今お風呂沸かしてるの。一緒に入ろうか?」

「えッ……一緒に?」

激しく梢は動揺し、胸の鼓動が早くなる。

「人前でブラウス脱いだ人が、そんなに動揺する?」

笑理がからかうように言った。

「それは言わないでよ……」

「私たち、付き合ってるんだよ。裸の付き合いもしなきゃね」

笑理に言われるがまま、梢は一緒に風呂に入ることになった。

浴槽の中で背後から笑理に抱き着かれている梢は、緊張と幸福の二つの感情が交差し、風呂湯の暖かさと笑理の体の暖かさを同時に肌で感じながら、うっとりしていた。

「たまには、こういうのも良いでしょ」

耳元で笑理にささやかれて、梢は照れながらも大きく頷いた。

「うん。ちょっと恥ずかしいけど」

「私は全然恥ずかしくないよ」

「すごいね、笑理は」

「これからも、うちに泊まりに来たときは、一緒にお風呂入ろうね」

梢と笑理はお互いにじっと見つめ合うと、優しく唇を重ね合わせた。笑理と一緒にいるときは、仕事のことも何にもかも忘れることができ、改めて自分にとっての大切な人であることを実感していた。

「酔った時の梢って、結構積極的なんだね」

「え?」

自分から笑理にキスをした記憶も、梢はうる覚えだった。

「シラフの時も、梢からキスされたいな」

「私だって、やろうと思えば、それぐらい……」

「本当に?」

笑理から挑発するような目で見られた梢は、笑理の両頬に優しく手を当てると、ゆっくりと顔を近づけて唇を奪った。

笑理は一瞬驚いた様子だったが、

「何だ、やればできるじゃん」

「当たり前でしょ」

「あ……来週、どっか一緒に出かけようよ」

すると笑理は思いついたように提案をしてきた。

「それって、デートってことで良い?」

「ああ、確かにデートだね」

梢にとって、笑理とのデートと言う、新たな楽しみができた瞬間であった。

私と先輩のキス日和

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