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引越し業者も帰り、冷たい部屋だけが広がっていた
段ボール箱を床に置いた瞬間、がたん、と棚が揺れた。
陽菜「……え?」
陽菜は一瞬だけ固まった。
誰も触っていない。
床も揺れていない。
陽菜「……ま、まぁ古いしね」
そう言って箱を開けようとした瞬間、
今度は背後でコップが、からん、と音を立てた。
陽菜「っ……!」
さすがに肩が跳ねる。
振り返ると、テーブルの上でコップが一つ、勝手に転がっていた。
陽菜「……あ、やっぱいる感じ…カナ」
その瞬間、くすっと笑う声がした。
「そこ、驚くところじゃないの?」
陽菜「うわっ」
今度こそ、陽菜はびっくりして振り返った。
宙に浮いた少女が、当たり前みたいな顔でそこにいた。
長い黒髪がゆらりと揺れて、赤い瞳が楽しそうに細められる。
――あ、幽霊だ。
「……」
数秒、見つめ合う。
陽菜「……あれ?」
陽菜は首を傾げた。
陽菜「思ったより普通だね」
「いきなりそれは失礼じゃないかな?」
少女はくるりと宙で回る。
「もっと悲鳴とかさ、『きゃー!』って逃げるとか期待してたんだけど」
陽菜「さっきはちょっとビックリしたけど……」
陽菜は正直に言った。
陽菜「姿見えたら、なんか安心したよ」
「安心?」
少女は心底不思議そうな顔をする。
「普通逆でしょ」
陽菜「だって、見えない方が怖くない?」
しばらく沈黙。
それから少女は、ふっと笑った。
「……君、面白いね」
陽菜はにこっと笑い返す。
陽菜「一人暮らし初日で寂しかったし。誰かいるなら、嬉しいなって」
「へぇ……」
少女は宙に寝転がるみたいに浮かびながら、陽菜を眺める。
「ここ、事故物件だよ?」
陽菜「知ってるよ!」
即答だった。
陽菜「家賃安かったし!」
「……なるほど」
どこか納得したように頷く。
「じゃあさ」
少女は、にやっと意地悪そうに笑った。
「私がここに居続けても?」
陽菜「いいよ」
即答。
「一緒に住むってことだよね?」
「……ほんとに怖くないんだ」
陽菜「うん!」
陽菜「私の名前は 陽菜!キミは?」
「名前なんて忘れちゃった」
陽菜は少し考えてから、付け足す。
陽菜「名前ないと不便だよね。えっと……」
少女が瞬きをする。
「名前ね〜」
陽菜「うん。……じゃぁ幽霊だからレイちゃん!」
少女は一瞬、きょとんとしてから、肩をすくめた。
「まぁいいけどー」
どこか他人事みたいな口調。
「どうせ、名前なんて飾りだし」
「じゃあレイちゃん、よろしくね!」
その言葉に、少女――レイは、少しだけ目を細めた。
「……よろしく、陽菜」
その声は、思ったより近かった。
陽菜は一瞬だけ瞬きをしてから、へらっと笑う。
陽菜「うん!よろしく!」
そう言って、段ボールに手を伸ばす。
その横で、レイは宙に浮いたまま首を傾げた。
「……本当に、何も聞かないんだ」
陽菜「なにを?」
レイ「どうしてここにいるのか、とか。
私が何者か、とか」
陽菜は段ボールのガムテープを剥がしながら言う。
陽菜「そのうち話したくなったら、話してくれたらいいよ」
レイ「……」
陽菜「今はとりあえず、荷解きしないと」
服を一枚取り出す。
陽菜「レイちゃんも手伝う?」
レイ「幽霊に?」
陽菜「浮いてるし、軽そうだし!」
レイ「理屈おかしいでしょ」
そう言いながらも、
レイは棚の上に置かれていた小さな箱を、すっと宙で動かした。
がたん。
箱が床に降りる。
陽菜「え、すご!」
レイ「まぁね」
少し得意げ。
「この部屋から出られない代わりに、こういうのは得意」
陽菜「へぇ〜……」
その言葉に、レイの表情が一瞬だけ曇る。
でも、陽菜は気づかない。
陽菜「じゃあさ」
陽菜はぱっと顔を上げた。
陽菜「これから一緒に住むんだし、ルール決めよ!」
レイ「ルール?」
陽菜「うん。例えば〜……」
指を折りながら考える。
陽菜「勝手に物落とさない!」
レイ「それは私への苦情〜?」
陽菜「びっくりするから!」
レイ「善処する」
陽菜「あと、夜中に急に話しかけない!」
レイ「それも善処」
陽菜「あと……」
少し考えてから、照れたように笑う。
陽菜「私が怖がってる時は、ちゃんと出てきて」
レイは、ぴたりと動きを止めた。
レイ「……怖いの?」
陽菜「さっきは平気だったけどさ」
陽菜は正直に言う。
陽菜「夜とか、一人だとちょっと心細いかも」
レイ「……」
数秒の沈黙。
それから、レイは静かに言った。
レイ「それは、約束できる」
陽菜「ほんと?」
レイ「うん」
レイ「陽菜が呼ばなくても、ちゃんとそばにいてあげる」
その言い方が、妙に重たくて。
陽菜は少しだけ首を傾げたけど、すぐ笑った。
陽菜「ありがと、レイちゃん!」
その瞬間。
部屋の電気が、ちかっと一度だけ瞬いた。
陽菜「……今の、停電?」
レイ「違う」
レイの声が、少し低くなる。
レイ「この部屋、私だけじゃない」
陽菜「え?」
レイは、壁の隅を見つめた。
レイ「……しばらくは、私が守るから」
陽菜「守る?」
陽菜が聞き返すより先に、
レイはいつもの軽い調子に戻る。
レイ「気にしない気にしない」
くるっと宙で回って、笑う。
レイ「新生活でしょ?
最初くらい、楽しくいこ?」
陽菜「うん!」
何も知らない声。
レイは、その笑顔を見つめながら、
心の中でだけ呟いた。
(――ここに来たのが、陽菜でよかった)
(それだけは、本当)
部屋の隅で、
誰にも見えない影が、静かに揺れた。
夜。
段ボールの山はまだ部屋の半分を占領していて、
陽菜は床に座り込んだまま、膝を抱えていた。
陽菜「……あー」
レイ「もう疲れた?」
天井近くをふわふわ漂いながら、軽い声。
陽菜「ちょっとだけ。思ったより荷物多くてさ」
レイ「人間って、無駄な物多いよね」
陽菜「ひどい!」
笑いながら、一本ペットボトルを開ける。
ごく、と喉を鳴らす音が、妙に部屋に響いた。
レイは、その音をじっと見ていた。
陽菜「……レイちゃん?」
レイ「ん?」
陽菜「喉、乾かない?」
レイ「……さあね」
肩をすくめる。
レイ「忘れた〜」
陽菜「そっか〜」
それ以上、踏み込まない。
代わりに、陽菜は立ち上がってキッチンを見る。
陽菜「とりあえず、今日はカップ麺かな」
レイ「引っ越し初日の正解」
陽菜「でしょ」
お湯を沸かしながら、ふと思い出したように言う。
陽菜「レイちゃんさ」
レイ「なに?」
陽菜「ここ、ずっと一人だったの?」
一瞬だけ、空気が止まった。
レイは、答えない。
代わりに、壁際の少し暗い方へ視線を流す。
レイ「……まあね」
陽菜「そっか」
それだけ。
陽菜は、それ以上聞かなかった。
カップ麺にお湯を注ぎ、タイマーをセットする。
ピッ、という電子音。
その間、二人は特に何も話さなかった。
気まずさはない。
ただ、まだお互いの距離を測っているだけ。
陽菜「……あ」
突然、陽菜が声を上げる。
レイ「今度はなに?」
陽菜「カーテン、閉めてなかった」
窓の外は真っ暗で、
ガラスには部屋の中がうっすら映っている。
その向こうに、
一瞬だけ、知らない影が揺れた気がした。
陽菜「……?」
目を凝らす。
でも、何もいない。
レイは、その一瞬を見逃さなかった。
レイ「……窓、閉めたほうがいいね」
いつもより、少しだけ早口。
陽菜「うん」
陽菜がカーテンを引く。
しゃ、と音がして、外界が遮断される。
その直後。
――カチ。
どこかで、何かが鳴った。
陽菜「……今のなに?」
レイ「家鳴り」
即答。
陽菜「へぇ〜……」
納得したように頷く。
陽菜「古いもんね」
レイ「……そう」
嘘ではないけど、真実でもない。
タイマーが鳴る。
陽菜「できた!」
箸を探して、きょろきょろする。
陽菜「……あれ、箸どこ入れたっけ」
レイ「引き出し、二段目」
陽菜「え、見てたの?」
レイ「さっき入れてた」
陽菜「さすが幽霊!」
レイ「褒めてないよね?」
箸を取り出して、床に戻る。
陽菜はカップ麺をすすりながら言った。
陽菜「ねえ」
レイ「ん?」
陽菜「レイちゃんって、ずっとここにいるならさ」
レイ「うん」
陽菜「暇じゃない?」
レイは、少しだけ考えてから答える。
レイ「……暇だよ」
陽菜「そっか」
陽菜は、笑った。
陽菜「じゃあさ、暇つぶし相手にはなれるね」
レイ「……」
その言葉が、胸の奥に、静かに落ちた。
レイ「……それ、軽く言ってる?」
陽菜「うん」
即答。
陽菜「だって、今日から一緒に住むんでしょ?」
レイは、思わず目を伏せた。
レイ「……気が変わっても知らないよ」
陽菜「その時はその時!」
麺を食べ終えて、満足そうに息をつく。
陽菜「ごちそうさま〜」
その夜。
陽菜が布団に入る準備をしている間、
レイは部屋の中をゆっくり見回していた。
クローゼット。
壁。
天井。
そして――陽菜。
無防備に、背を向けている。
レイは、ほんの少しだけ眉をひそめた。
(……まだ)
(今は、まだ)
レイは何も言わず、
いつもの軽い笑顔を作る。
レイ「おやすみ、陽菜」
陽菜「おやすみ〜、レイちゃん」
電気が消える。
暗闇の中。
部屋の隅で、
影が、確かに動いた。
レイは、それを見つめながら、
何も言わなかった。
――まだ、踏み込まない。
それが、今の二人の距離だった。