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常陸之介寛浩
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翌朝のこと。
アーリックまでは何日かかるのだろうかと、不安に思いながら朝食を終えて旅支度をしていると、ヴィンセント様が迎えに来てくださった。
「滞在は一晩だ。荷物は最小限でいいだろう」
「何を言っているのですか、ヴィンセント。お洒落《しゃれ》は淑女の嗜《たしな》みですわよ」
ローゼマリア様は少し唇を尖らせ、子どもっぽい不満顔をヴィンセント様に向けている。本当に遠慮がなく、仲のいい親子なのが伝わってくる。
「こちらと違い、アーリックに夜会はありません。ドレスやアクセサリーは不要ですよ」
「あちらでご挨拶をするのに、旅装束では失礼じゃありませんか!」
「この装いで十分でしょう」
ちらりと私を見たヴィンセント様は、ローゼマリア様が用意してくださったほとんどの荷物を、若い侍女達に片付けるように言い始めた。おそらく、夜通し揃えてくださったのだろうに、申し訳ないことをしてしまったわ。
心苦しく思い、そっと頭を下げた。
「皆さん、申し訳ありません。私のために用意をしてくださったのに……」
「ご心配には及びません」
「若奥様、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「お帰りをお待ちしています」
片付けている侍女たちに声をかければ、彼女たちはにこにこ笑って答えてくれた。
ほっと安堵していると、ヴィンセント様は私の手を引いた。
「では、行って参ります」
「族長によろしくお伝えください。また、美味しいお酒をお送りしますと」
「心得ております」
ローゼマリア様に見送られて部屋を後にした。
私たちの後から着いてくるダリアは、最低限の荷物を詰めたトランクを持っている。どうやら、ついてくる侍女は彼女だけのようだ。護衛もいないみたいだわ。
身軽な旅に、ほんの少しの期待と不安で胸がそわそわする。
そうして、連れられるまま来たのは中庭だった。
まさか朝からお庭でお食事なんてことはないわよね。そもそも、朝食を頂いた後だから、お茶すら一口も喉を通りそうにないのだけど。
不思議に思っていると、庭の中央にあるモザイクタイルの上でヴィンセント様が足を止めた。
なぜか、そこには馬が二頭いる。
馬を繋いで毛並みをブラッシングしていた男たちがこちらに気付いた。歩み寄ると、手綱をヴィンセント様へと渡して離れていく。
「あの、ヴィンセント様、どうして馬が」
「アーリック族の住む森の近くまで、一気に飛ぶ」
「え? と、飛ぶ、というのは……?」
言っている意味がさっぱり分からずにいると、当然、腰へと大きな手が回された。
体を引き寄せられ、思わず硬直して言葉を失っていると、足元から光の柱が空に向かって打ち上げられた。
風が吹き上がり、スカートがバサバサと音を立てて翻った。
慌ててスカートを押さえてヴィンセント様を見上げると、美しい瞳が光を浴びてキラリと輝いた。
ヴィンセント様の大きな右手が空を撫でると、光の輪が浮かび上がった。私たちの周辺をゆっくりと回る輪に沿うよう、文字が浮かび始める。
光り輝く文字が連なって帯となり、私たちの周囲を取り囲んだ。
古代魔法言語だわ。
それも、随分複雑な術式のようだ。動いてなければ読むことも辛うじて出来そうだけど。
目を凝らして、周囲を動く文字を目で追っていると、くすりと小さな笑い声が聞こえた。
「飛ぶ瞬間、目を瞑っていた方がいい」
「は、はい……」
「そんなに、がっかりした顔をしないでくれ。魔法言語に興味があるのなら、そのうち教えよう」
優しい言葉をかけてくれるヴィンセント様は、少しだけ笑いを堪えていらっしゃっるように見えた。
魔法言語を目で追って観察していた私の顔が面白かったのかしら。それとも、目を瞑れといわれてがっかりしたのが、顔に出てしまったのかもしれない。
仕方ないじゃない。この目で魔法を見ることができるのよ。教本でしか見たことのなかったものが、手で触れられそうなところにあるんだもの、感動するに決まってるわ。
だけど、笑われたのは恥ずかしいわけで。
顔から火が出ていると勘違いするほど頬が熱くて、私は目を瞑るのにかこつけて顔全体を手で覆い隠した。
ヴィンセント様が静かに何かを唱えられた。
きっと、この転移魔法を発動する詠唱ね。
ドキドキしていると、やわらかく優しい風に包まれ、バラの香りが一層濃くなったように感じた。
ふわりと体が軽くなる。
ここではないどこかへと引っ張られるような感覚に、胸の鼓動が早まった。
その十数秒後、ヴィンセント様の「目を開けてごらん」という声に促され、顔から手を放してそっと瞼を上げた。
優しい木漏れ日を感じ、私は深く息を吸い込んだ。目の前には、鬱蒼《うっそう》と茂った森が広がっている。
綺麗に手入れをされた庭も、薔薇の花もない。
「……ここは」
まさに一瞬のことだった。
呆然としていると、ヴィンセント様が「ヴェルヘルミーナ」と私呼んだ。
「おいで。アーリックは、ここからそう遠くない」
優しいバリトンボイスを振り返ると、馬を引くヴィンセント様が、私に手を差し伸べていた。
手を取り馬上に乗せられると、森の緑が少し近くなったような錯覚をおこした。
頭上を見上げていると、ヴィンセント様も馬にまたがり、私を抱きしめるようにして手綱を握った。
ヴィンセント様に背中を預け、舗装されていない獣道も同然の森を進んだ。ダリアも、慣れた手綱さばきで後ろからついてくる。
静かな森はほどなくして開けた。
その先に広がった光景は、想像していたものと全く異なり、思わず感嘆の声を上げてしまった。
コメント
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「飛ぶ」の一言から始まる転移魔法、古代魔法言語の術式が光の帯を成す描写に惹かれました。教本でしか知らなかった魔法を目前に、目を瞑れと言われてがっかりするヴェルヘルミーナが愛らしい。ヴィンセントの「そのうち教えよう」も気になる伏線です。森の先の光景が想像と違ったという引きも見事。続きを楽しみにしています。