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文化祭の体育館。
ステージの上には、たくさんの生徒が集まっていた。
普段なら楽しげな声が響く場所。
けれど、今日はどこか緊張した空気が流れている。
その中心に、柊癒月は立っていた。
隣には、天野莉愛。
癒月の手は、少し震えていた。
「……怖い。」
小さな声。
莉愛にしか聞こえないくらいの声だった。
「うん。」
莉愛は握った手に少し力を込める。
「でも、私がいるよ。」
癒月は一瞬驚いたように莉愛を見る。
そして、ゆっくり息を吸った。
◇
「みんなに、話したいことがあります。」
癒月の声が体育館に響く。
ざわついていた空気が静まった。
「私は……今まで、みんなに男子として接してもらっていました。」
少し間を置く。
「でも、本当は女の子です。」
その言葉に、会場が揺れる。
驚きの声。
戸惑う声。
それでも癒月は顔を上げた。
「最初は、隠すことが間違いだと思っていませんでした。」
ゆっくり言葉を選ぶ。
「私は、誰かに男の子として見てほしかったわけじゃない。」
「ただ……誰かの決めた『女の子らしさ』じゃなくて、自分自身を見てほしかった。」
静かな声。
でも、そこには今までになかった強さがあった。
「私は柊癒月です。」
その名前を、まっすぐ口にする。
「女の子としても、男の子としても、その前に……私として生きたいです。」
◇
しばらく沈黙が続いた。
莉愛は隣で、ただ癒月を見守っていた。
すると、一人の女子生徒が手を挙げた。
「……柊さん。」
癒月が振り向く。
「今まで、普通に話してくれてありがとう。」
「え……?」
「正直、びっくりしたけど。」
その子は少し笑った。
「でも、今まで優しくしてくれたことは変わらないよね。」
別の生徒も頷く。
「体育祭で助けてもらったことも。」
「文化祭の準備手伝ってくれたことも。」
「全部、柊さんだったから。」
少しずつ、声が増えていく。
もちろん、すぐに全員が理解できたわけではない。
戸惑う人もいた。
でも、癒月が恐れていたような拒絶だけではなかった。
莉愛はその様子を見ながら思った。
人は、最初から全部分かり合えるわけじゃない。
でも、向き合うことで少しずつ変わっていけるのかもしれない。
◇
数日後。
学校では、少しずつ日常が戻っていた。
癒月は女子の制服を着て登校していた。
最初は視線が気になった。
廊下を歩くたび、不安になった。
けれど。
「おはよう、癒月。」
莉愛がいつも通り声を掛ける。
「……おはよう、莉愛。」
それだけで、少し安心できた。
◇
放課後。
写真部の部室。
莉愛は一冊のアルバムを癒月に渡した。
「これ。」
「なに?」
「今まで撮った写真。」
ページを開く。
そこには、たくさんの癒月がいた。
初めて出会った日の桜。
校庭で笑った顔。
料理をしている姿。
屋上で話した時間。
泣いた顔。
そして、笑顔。
「……こんなに撮ってたんだ。」
癒月はページをめくりながら微笑む。
「莉愛、私のこと撮るの好きだね。」
「うん。」
即答すると、癒月が少し驚く。
「だって。」
莉愛は写真を見る。
「癒月が笑ってるところ、好きだから。」
その言葉に、癒月の頬が赤くなる。
「……そういうところ、ずるい。」
「え?」
「すぐ、嬉しいこと言うから。」
二人で笑う。
その笑顔を、莉愛は反射的にカメラへ収めた。
――カシャ。
「また撮った。」
「だって、今の癒月すごくいい顔してる。」
癒月は少し恥ずかしそうに笑った。
◇
帰り道。
桜並木を二人で歩く。
春はもう終わりかけていた。
花びらが少しずつ散っていく。
「ねえ、莉愛。」
「ん?」
癒月が足を止める。
「私ね。」
少しだけ緊張した顔。
「前は、自分が何者なのか分からなかった。」
莉愛は静かに聞く。
「女の子として見られるのも苦しかった。」
「男の子として見られるのも、本当の自分じゃない気がした。」
癒月は空を見る。
「でも、莉愛が言ってくれた。」
優しく笑う。
「私は私でいいって。」
そして、莉愛を見る。
「だから今度は、私の本当の気持ちを言いたい。」
莉愛の鼓動が速くなる。
「莉愛が好き。」
春風が吹く。
桜の花びらが二人の間を舞った。
「私も。」
莉愛は笑った。
「癒月のことが好き。」
二人は少し照れながら、そっと手を繋ぐ。
◇
数日後。
写真部の展示には、一枚の写真が飾られていた。
満開の桜の下で笑う、柊癒月。
タイトルは、
『春の名前』
その写真を見た癒月が笑う。
「これ、私?」
「うん。」
「なんか、不思議。」
「何が?」
「昔は、自分の名前すら隠したかったのに。」
癒月は写真を見る。
「今は、この名前で笑える。」
莉愛はカメラを構える。
「じゃあ、もう一枚撮っていい?」
「また?」
「うん。」
癒月は笑う。
今までで一番自然な笑顔。
――カシャ。
その瞬間を、莉愛は永遠に残した。
春の光の中。
二人だけの秘密から始まった恋は、
いつしか、誰にも隠さなくていい大切なものになっていた。
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くらね
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