「魔神?七王?意味判んないよぉ」南川が頭を振りながら泣きじゃくる。「もう止めてぇ」
「判らなくて結構。そして、まだ止めません。それでは参りましょう。テイク……おや?」
南川に冷酷な宣告をしていた36号は、何かの気配を察知すると、背後に視線を向けた。そして、気配の主が誰なのかを確認すると、顔をほころばせる。
「白身君、御自分で肩を嵌めたんですね。中々やりますねぇ貴方」
駄目になってしまった右手をダラリと垂らし、背中を丸め、手負いの獣のように肩で息をしながら白井は立っていた。皮を剥がされたとはいえ、右手に比べれば無事な左手だけで「構え」を作ると、白井は絞り出すように言った。
「南川、早く逃げろ」
白井の言葉を受けて南川が体を強張らせる。
「ぼやぼやするな。行け!早くっ!」
白井の再度の言葉に背中を押され、南川はヨロヨロと立ち上がり、這々の体で公園を逃げ出した。いつの間にか、彼女の足から「痺れ」は消えていた。
36号が手を叩き、乾いた拍手を白井に送る。
「素晴らしい。実に素晴らしい。自分より弱い者を守るため、勝ち目の無い相手に敢えて挑む。そうです。「武」とは本来、こういうものでなくては」
拍手を止めた36号が、探るような視線を白井に送る。
「時に白身君。貴方、正義のヒーローに憧れて武の道に入ったのでしょう?いつから悪党の側に転向したんです?」
いつから悪党の側に転向したんです?
この言葉は白井の心に刺さった。
いつから悪党の側に堕ちたのか?
道場入門早々、先輩たちにイジメそのもののシゴキを受けた時か? 「正義のヒーローなんて居ない。小学生にもなって、いい加減その幼稚な趣味を捨てろ」と、酒に酔った親父にヒーロー玩具を全部捨てられた時? ケンカで追い詰められ、初めて柔道の技を使って、その威力に暗い満足感を覚えた時?
いつからだ? いつから俺は……
心の傷に触れた36号。かつての弱かった自分を思い出させる根岸。イジメをした道場の先輩。中学時代「太っているから」という理由で、一世一代の告白を拒否したクラスの女子と、それを笑い者にしたクラスの男子ども。
大事に集めていたヒーローグッズを捨てたDV気味の父と、雨の中泣きながら地面に座り込んで玩具の残骸を拾い集めていた、かつての惨めな自分。
誰に対する怒りと苛立ちかも分からぬまま、白井は感情のまま叫んだ。
「忘れちまったよ、そんなモン!」
「そうですか。では−−
1秒に満たない時間だった。
36号の放つ左フックが白井の右こめかみにヒットし、続く右フックは白井の下顎を再び強打した。
脳を激しく揺さぶられた白井は、意識を失い、切り倒された木のようにその場に崩れ落ちた。
「−−病院のベッドの上で初心を思い出して下さい。弱い者イジメよりも、もっと大切な物が貴方にはあった筈ですから」