テラーノベル
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「お前となんかデキねえよ」
「結婚したのに家族に勃つわけないじゃんw」
嘲笑交じりの夫の声が耳に残っている。
彼の酷い暴言を聞いたのは1年ほど前なのに、つい昨日のことのように鮮明に思い出して悲しくなった。
はあ、とため息をついて隣のベッドを見た。ダブルベッドの右側は盛り上がっていて、まだ夫が眠っているので彼を起こさないようにそっと寝室兼自分の部屋を抜け出す。酷い暴言を吐いてくる夫に騙されて結婚して2年半。もはや私の中に結婚式で誓ったはずの彼への愛は微塵も残っていない。
(なんでこんな人と結婚しちゃったんだろ…)
夫は大学のサークルで知り合った2つ上の先輩。特になにも考えていなかったけれど、長く続けていたテニス部に彼が入部を勧めてくれたのがきっかけ。結婚して2年半だけど、学生の時から付き合っているから一緒にいる時間と歴史は無駄に長い。
(当時はぐいぐい引っ張ってくれる俺様で強引なところがいいって思ってたけど…)
結婚してから夫――五代建真(ごだいけんしん)は変わってしまった。幸せにするって言ってくれたのに、それが守られていたのは新婚3か月目くらいまで。だんだん帰りは遅くなるし、態度は横柄になるし、何度やめてと言っても同僚や先輩を勝手に家に連れてきては宴会するし、最近では私のことを家政婦扱いしてくる。
最初は専業主婦だったけれど、狭いマンションに閉じ込められるのに嫌気がさして自ら志願して働きに出た。
私はゲームが好きなので、パートでアプリの仕事を制作・補佐するアルバイトを始め、腕を買われてめでたく正社員に昇格した。今度新作アプリの企画を任されることになったが、パートの時から無駄遣いをしないようにと夫の建真に口座の管理をされてしまい、給料は全額没収されたままでわずかな生活費しかもらえない。
仕方なく夫に伺いを立てて買い物し、食費をもらい、生活している。私だってちゃんと稼いでいるのに、まったく無能の家政婦扱いは相変わらず。
(離婚したいなあ…)
世の中にはクズ夫とうまく別れられたり、見事な逆転劇でスカっと復讐して幸せを勝ち取る人が多いというのに。私は一生このままなのかな。
(離婚するにもお金かかるもんね…)
(いきなり一人になっても、無一文じゃ生活できないし…)
夫は朝から必ずご飯を食べてから出勤するので、おかずを作るのが日課となっている。私も会社で働くようになってから、自分の分は朝ごはんの残りでお弁当を作っている。以前は夫の分もお弁当を作っていたが、後輩とランチに行くことが増えたのでババ臭い弁当なんかいらない、と言われてからは二度と作っていない。向こうもその方がいいと思っているのでなにも言ってこない。
『ババ臭いって思うなら、朝ごはんも自分で作れ――!!』
…って言えたらいいのになぁ。どうにも気が弱くて、自分の意見をはっきり言えないのが私の悪いところだ。こんなに傷ついて不満ぶちぶち言ってることなんか、きっと建真はわかっていない。
それでも私は夫のためにせっせと朝食を作っていた。不満に思っていても、夫婦とはこんなものだと諦めていたから。幸せな結婚なんて絵空事。漫画やドラマの世界のお話なのです。
「飯は?」
おはようの挨拶もなしに夫がリビングへやって来た。開口一発がそれ?
「もうできるよ」
あと1分で鮭が焼ける。ご飯はもう炊けているし、味噌汁も完璧。
「は? 俺が起きるときには全部揃えるようにって言ってるのに、いつまで経ってもできないなんてほんとに無能すぎ」
『は?』ってなに? こっちが『は?』だよ!!
「…」
また、不満だけが溜まっていく。言い返したら100倍になって返ってくるので我慢するしか――今日もお腹の底に消化不良の憎悪だけが沈殿していく。せめて子供でもいたらまだ救われたのだろうけれども、暫くは新婚を楽しみたいという嘘を鵜呑みにして、レスになって今に至る。
建真が私の尊厳をはぎ取って心を痛めつけるこの少しずつの積み重ねが離婚理由にならないのなら、私はこの地獄を一生送らなきゃならないってことだよね。
世の中にはどのくらいの人が結婚に成功して、結婚に失敗しているのだろう。
漫画やゲームのように、完全勝利の素晴らしいシナリオを歩ませてくれたらいいのに。
やり直したい。
転生して新しい人生を歩みたい。
今流行りの転生漫画やゲームの主人公のように。
そしたら私は絶対、建真を伴侶に選ばないから――!!
腹の立つ朝食を終え、なんとか通勤ラッシュの電車に身体を捩じ込んだ。
私の住む西日暮里のハイツから勤務地のある秋葉原まで山手線を利用して約10分。朝の忙しい時間にご飯を作って洗濯して支度したらどうしてもこの時間になる。本当ならもっと早く家を出たいところだ。建真がいなかったら会社近くの安マンションに即引っ越しできるのに。
ああ、早く捨てたい。夫を捨てる方法ってないですかね?
私も大ヒット漫画のような『計画離婚』がしたいわぁ。誰か計画してくれないかな。このままだとストレスで早死にしそう。
ラッシュの電車から人間が吐き出されるように出てきた。駅から徒歩数分で私が働いている『アプリメイク』というIT企業の会社に着く。ここは主にアプリゲームを専門に作成している小さな個人経営の会社だ。代表の諸見里臣(もろみざとしん)さんは気さくで面白い方。恋愛系のアプリやおみくじ、一風変わったアプリばかりを作っていたけれど、私がゲーム好きで正社員になったことから、アプリメイクを一世風靡させるような面白い王道RPGゲームを作って欲しいと依頼された。
企画から丸投げされてしまい、現在片っ端からRPGをプレイ&研究している。ここ暫くはもっぱらゲームするために出社しているようなものだ。企画書はまるで進んでいない。白紙のまま1週間くらいが過ぎた。
「ミーティング始めるぞー」
今日は月曜日で目標達成報告日。みんなきちんと定められた目標やタスクをこなしているというのに、私はぜんぜんダメだ。落ち込む私を社長が元気づけてくれた。
「紀美、来週こそ面白い企画で俺をあっと言わせてくれよ!!」
同じ学年の諸見里社長は豪快に笑ってくれた。ダークブラウンの短めの髪をソフトモヒカンにした長身のイケメンで、女性にさぞモテそうな人だった。最初から名前呼びして馴れ馴れしいと思っていたが、距離を詰めるための作戦らしい。
建真もこんな感じだった。距離を詰めるのが上手くて人たらし。家庭内で見せる顔と外の顔はまったく違う。諸見里社長のことを悪く言いたくないけれど、こういうタイプは案外家で高慢なのかも。
「紀美って今日ヒマ?」
「あ、えっと…家に帰って主人の食事の用意が…」
「えーなにそれ。子供いなかったよな? 旦那が帰ってくるのは何時?」
「多分21時くらいかと…」
「なーんだそんな時間の帰宅だったら、どうせ外で食ってるよ。今日はアプリメイクの懇親会だ! 他の会社の人間も呼ぶから全員参加な。特に紀美は来週中にはしっかりアプリの企画書を作ってもらわなきゃいけないから、アイディア交換会ってことで!」
というわけで建真にご飯を作れなくなった連絡をしろ、と社長命令されてしまった。
どうせ作っても帰ってほとんど食べてくれないし、無かったら文句言うけど今日1日くらい、別にいいよね。
建真に連絡を入れ、諸見里社長の言う通り懇親会に出席した。アプリメイクは秋葉原の一等地にオフィスがあるけれど、一歩裏路地に入れば雑多なお店が多く存在している。いかがわしそうなお店からラーメン店など様々だ。
そんな懇親会で私は出会ってしまった。
これから始まる冒険の旅を共にする、不思議な仲間と――
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