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「はいそれではカンパーイ!!」
諸見里社長の号令で会は始まった。この大衆居酒屋は意外に机同士の間隔が狭く、カウンターはお客様で既に満席、若い女将さんと坊主頭だけれども見た目が大変麗しいく細マッチョだがいかつめの大将がふたりで切り盛りしていた。宴会コースだったのでカウンターからは離れており、モバイルオーダーで頼んだ飲み物をホールスタッフが運んできてくれた。
もつ煮やサラダ、ポテトにから揚げなどの定番メニューが並べられたが、どれも規格外のボリュームで驚いた。
(あ、から揚げ美味しい…)
人が作った料理なんて久々に食べた。建真は外食するくせに、私はどこにもつれていってくれないし、生活費だっていつもギリギリしかくれないから足りなくなった時に追加でお金をもらうときが本当にしんどい。なんで私も働いているのに、こんな苦しい目に遭わされなきゃいけないんだろう。胸中で文句を言っていると、隣の席から陽気な声が聞こえてきた。
「はははー。そりゃひどいなー」
「らろぉ。僕だって頑張っているのにぃ! れもお、娘やぁ、妻はぁ、僕を邪魔に思っててえええぇ…」
「おいおい、ちょっと飲みすぎじゃねーの」
「居場所ないのは辛いよ…うう…」
隣の席が近いためサラリーマンの男性4人組の会話が丸聞こえだった。一人が酩酊して妻や娘の不満の鬱積を同席している彼らに語ることで発散している。チラ、と横目で彼らを見た。不満をこぼしている方は見るからに優しそう。眼鏡をかけた気弱そうな人だ。若いのに気の毒…って思ったけど、夫に虐げられている私も似たようなものか。話せば気が合いそうでお互いの伴侶の愚痴大会ができそうだ。
「一度でいいからぁ、やってみたいよぉ。おつまみほしいなー、もってきてー! って」
「そんなことしたら嫁に睨まれて家入れなくなるよ」
「ほんとほんと。アハハ」
えーっ。そんな世界あるのぉ!?
私なんか「つまみもってこーい」って言われて「はいぃぃ」って持って行く嫁だよぉ――!?
ていうか、その程度別に言われなくてもやるよ?
お仕事頑張ってくれた旦那様をねぎらいたいって思う私はおかしいの? 建真にはもうそういう尊敬の気持ちはわかないけどさ…。
いいなー。夫交換して欲しい!
いやそれよりも、その奥様の『つよつよメンタル』が欲しい!!
そうしたら建真にだって言い返せる――
ガチャン
バシャ
隣のテーブルのジョッキが倒れたと思ったら、私のジャケットにお酒がかかった!
さっきの奥さんと子供について愚痴っていた眼鏡の人だ。
「おい、航大(こうだい)なにやってんだよ」
「わああ、す、すみませんっっ」
航大と呼ばれた眼鏡の人が焦って私に謝ってくれた。
「ほんとうに申しわけありません!!」
「いいですよ。拭けば落ちると思います。すみませーん、おしぼりいただけますかー?」
店員さんを呼んでおしぼりをもらった。しきりに謝ってくるサラリーマンの方に、もう気にしないでください、と笑った。かかったのがビールっぽいから、家に帰って自分で拭き処理しておこう。色の濃いスーツを選んでおいてよかった。建真から余分なお金はもらえないし、クリーニング代も馬鹿にならない。
「飲んでるかぁ~?」
諸見里社長がビール瓶を片手に回ってきた。「しっかり飲め~」
「あ、はい、どーも…」
新しいグラスにどぼどぼとビールを注がれてしまい、どうしようと思い困っていると社長が目を離した隙に隣から手が伸びてきた。同じようなグラスに別の飲み物が入っているものとすり替えられた。
――さきほどは申しわけございませんでした。ビールはこちらで引き受けます
グラスの傍に航大さんのものと思われるスマートフォンが置かれ、メッセージが打ち込まれていた。慌てて彼の方を見ると目が合い、黙って会釈された。
(優しい人だな…)
(建真と取り替えたいくらいだよ)
夫は一度選んでしまうと簡単にチェンジができない。もう少し簡易的なシステムにして、自分の人生に合わせて付き合う友人や環境が変わっていくように、伴侶も簡単に変えられたら世界はもっと平和になるのにな、とアホみたいなことを考えた。
しかしこの構想が、のちのアプリ考案に役に立つことをこの時の私はまだ知らない。