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◻︎そして桃子は…
誰も口を開かないから、私から話しだす。
「まだ、間に合うでしょ?治療すれば。それに私みたいな女より、そちらの女性の看病の方が治りも早いんじゃない?治れば、だけどね」
桃子はうつむいていて、和樹は目をつぶって何かを考えているようだ。そんな二人に構わず、私は続ける。
「そういうわけで、こんな人、こっちから願い下げだわ。よかった、さっさと離婚しといて。あなたが欲しがってたんだから、《ノシ》付けてあ、げ、る!さっさと結婚して看病してあげてね。お金もないから大変だと思うけど、私には手に入らなかった愛の力とやらで、頑張って」
そう言って、桃子に同情の視線を向けた。思いっきり蔑んだ目で見てやった。これまでの仕返しとばかりに。
「いや!!なんで私が!絶対、いや!」
桃子はそう言うと、リビングから飛び出して行った。
「あ、ちょっと待って、桃子!待ってくれ」
慌てて和樹も後を追う。
二人がいなくなったことを確認してから、持ってきた和樹の元々の薬と父親の薬を入れ替えておく。そして、置いてあった場所に戻す。
___これで、よし!
薬が変わっていることに、いつ気づくだろうか?それよりも、病院に行けば勘違い(?)だったとわかるはずだけど、あの様子じゃ当分病院にも行かないだろう。
___冷静になれば、今何を最初にするべきかわかるだろうに
二人がいなくなったリビングダイニングを、くるりと見渡す。少し前まで自分の家だったここが、今はまるで知らない家になっている。前妻(私)の痕跡を、とことん消したかったんだろう。
部屋を飛び出した桃子を追って、和樹も二階へ行ったままだ。私はこっそり二人の様子を探りに行く。足音を忍ばせて、そっと。
寝室のドアが開いていて、会話がこぼれてきた。
泣きじゃくっているような嗚咽は桃子だろう。
「ちょっと待ってくれ、きっと何かの間違いだから」
何をしているのか、バタバタしている音がする。
「だってっ!和くん、ガンなんでしょ?死んじゃうんでしょ?」
「死なないよ、桃子を置いてなんて」
「どうしてそのことを先に言ってくれなかったの?」
「そんな、まだガンと決まったわけじゃ……」
___そうそう、病院に行って確認すれば、胃炎だってすぐわかるわよ
二人の会話にツッコミたくなる。
「もうっ!なんでよ!私、病人となんか結婚しない。看病なんて無理!保険もお金もないのに、どうするの?和くんなんて嫌い、大っ嫌い!私、もう出て行くから」
そこまで言うと、こっちへ近づいてくる気配がした。私は慌てて下へ降りる。桃子は、大きな荷物を持ってズカズカとリビングに戻ってきた。
「あら、どこかへ行くの?」
「あんな人、いらないから」
「何言ってるの?私から奪ったって、さっき言ってなかった?欲しかったんでしょ?あの人が」
「あんな…お金もなくて病気の男なんて、いいとこないじゃない!」
「知らないわ、そんなこと。私はとっくに捨てておいたから関係ないし。あ、そうだ。あなたは和樹が既婚者だと知ってて不倫をしてたのよね?」
「な、なんのこと?」
「知ってたはずよねぇ?私から奪ったとさっき言ってたもの」
「………」
「離婚したあとでも相手の不貞行為を知って、その相手の名前を知った日から何年だっけかなぁ?慰謝料請求できるのよ。私があなたの名前と不倫してたことを知ったのは今日、だから…」
「そんな、証拠なんてないじゃない!」
「えー?さっきの写真も認めてたし、不倫してたって音声も残してあるけど?ほら」
そう言うと、私は録音したままのスマホをテーブルに乗せて見せてやった。
「あーーっ、もうっ!!」
ドサッ!バンッ!
桃子はよほど悔しかったのか、テーブルにあったリモコンや雑誌をこっちに向かって投げつけてきた。私はスマホを動画撮影に変えて、桃子に向けた。
「もっとやりなさいよ、暴行罪も付け加えるから」
「いやぁーーーーっ!!」
耳が痛いほどの声で叫ぶと、すごい勢いで桃子は出て行った。これだけ騒いでいるのに、和樹は2階から降りて来ない。でもきっと、こっちの様子は伺ってるはず。
___ホントに小心者なんだから
桃子のことも、力づくで引き留めることもできないのだろうか。
___情けない
深いため息が出た。
そのまましばらく待った。2階は静かなままだ。降りてきそうにない和樹に向かって声を掛ける。
「さてと。話すことはもうないから、帰るわよ。さっさと病院に行って結果を聞いて、ちゃんと看病してもらいなさいよ、じゃ」
“元気でね”と言いそうになって、やめておいた。そもそも“元気ではない”と思い込んでいるだろうし。
階段下から2階を見上げたが、なんの声もしない。反応がないのも悔しいのでさらに、付け足しておく。
「それから、約束の養育費はきちんと振り込んでね。あの時は、慰謝料はいらないって言ったけど、たくさん請求できることがわかったから、せっかくだから請求するわ、彼女にも。二人が不倫してたという証拠は、音声で残してあるから。この前のメモには、慰謝料は請求しないとは書いてないからね。準備ができたらあなたにもあの女性にも請求書を送るから、ちゃんと支払ってよ」
靴を履く。
「じゃあ、ね」
玄関を出て、振り返る。
ポーチの脇にある小さな植木鉢は、去年の母の日に莉子と絵麻が買ってくれたミニバラだ。私たちが出て行ったあと誰も世話をしてくれなかったようで、元気がない。
「一緒に行こうね」
植木鉢の土を払うと、両手で抱えて歩き出した。そうして私は、もう決して戻ることはない家を後にした。