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理人がフロアに到着した時、瀬名は既に出社して自分のデスクに向かっていた。
「おはようございます。理ひ……部長」
「ああ」
一番に気付いて嬉しそうに駆け寄ってくるのは、最早この部署で見慣れた光景だ。
周囲の部下たちから向けられる、まるで「お熱いことで」と言いたげな微笑ましい視線が、理人にはどうにも居心地が悪かった。
(瀬名との関係を知っているのは課長だけのはずだが……)
それでも時折、フロア全体に漂う「暗黙の了解」のような空気感だけは、いい加減勘弁してほしいと思う。
「あ、部長。ちょっと待ってください」
「なんだ」
周囲に手短な挨拶を済ませ、自席へ戻ろうとした理人を瀬名が呼び止めた。
すっと白く細い指先が伸びてきて、二人の距離が急速に縮まる。それに伴って、理人の鼓動は僅かに速度を上げた。
「ネクタイ、曲がってますよ」
「っ、 あぁ……」
手際よく結び目を整えられ、至近距離で瀬名の視線と真っ向からぶつかる。
向けられる真っ直ぐな瞳に耐えきれず、理人は誤魔化すように顔を背けた。
「今日は大事な会議があるんですよね。……頑張ってください、理人さん」
最後だけ、周囲に聞こえないほどの小声で囁かれる。
「……当然だ」
素直に礼を言うのは気恥ずかしく、ぶっきらぼうに応じるのが精一杯だった。理人は逃げるように足早に自席へと向かった。
パソコンを立ち上げ、会議資料の最終チェックに入る。今回開発した新商品の実験データ、市場調査の緻密な分析、そして競合他社の動向予測。
今後の戦略を左右する、極めて重要なプレゼンだ。
ここでの成否が今後の業績に直結する。理人は気を引き締めるように、自分の両頬を軽く叩いて気合を入れた。
「あれ? お前は、今朝の……」
会議室へ向かう途中、会議室へ向かう廊下を歩いていると、威厳ある足音と共に、若い男を連れた社長とばったり出くわした。
今朝のと言われ思わず立ち止まり、理人は目を瞬かせる。
「……っ」
「なんだ、知り合いか?」
「ええ、まぁ……」
社長の問いに曖昧に答えながら、理人は隣に立つ男を視界に入れた。
今朝も感じたが、とにかくデカい。190センチは軽く超えているであろう体躯は、がっしりと肉厚で、仕立てのいいスーツ越しにも鍛え上げられた筋肉の躍動が伝わってくる。
さらりとした黒髪の下からのぞく、ゾッとするほど冷たく鋭い切れ長の瞳。年齢は瀬名と同じか、少し上といったところか。
「お前、名前は? どこの課だ」
「あ?」
男は理人の目の前まで来ると、まるで値踏みするように上から下へ舐める様に眺めて来て眉根を寄せた。明らかに不機嫌そうだがそれはこっちも同じだ。
朝っぱらから変態に絡まれて気分は最悪だし、その上何故そんな威圧的な態度で質問に答えなければいけないのだろうか。
「こら、一臣。初対面の方に失礼だろう」
一触即発の不穏な空気を察した社長が、苦笑しながら間に入った。
「悪いね鬼塚君。コイツは、こいつは私の甥の一臣だ。今はまだ、研修中でね。うちの会社で色々学ばせようと思ってるんだ」
「……甥? ああ、そう言えば……何処か似ている気がしますね」
社長に子がいないことは周知の事実だ。岩隈が去った後釜には弟が近々就任すると言う噂は理人の耳にも届いていた。
それに加え、甥を呼び寄せたという事は、会社の経営方針を叩き込んでゆくゆくはコイツに跡を継がせるつもりなのだろう。
「で? あんたの名前は何だって聞いてるんだけど」
「……チッ、言葉遣いも知らねぇガキが……」
あまりに不遜な態度に思わず毒づきそうになるが、理人は深呼吸をして苛立ちを無理やり喉の奥へ押し込んだ。
研修中とはいえ、いずれ自分の上司、あるいは経営層に座る男だ。ここで感情に任せて喧嘩を売るわけにはいかない。
「営業企画部の鬼塚です」
理人は名刺を取り出し、事務的な礼儀として差し出した。
だが、一臣はその名刺を指先で受け取ることも、差し出された手を握ることもなかった。代わりに、鼻でせせら笑うような音を立てる。
(完全に、格下扱いか――)
「それじゃ、今日のプレゼン楽しみにしているよ、鬼塚君」
社長が満足げに去っていくと、続いて一臣も無言で踵を返した。
去り際にチラリと背越しに投げられた視線。
それはやはり、理人を徹底的に見下し、弄ぶような不快な色を帯びていた。
「……クソが」
遠ざかる背中を睨み付け、理人は拳を固く握りしめた。
(あんなガキに舐められたまま終われるか。プレゼンで、黙らせてやる)
理人の胸の内に、静かだが激しい闘志の炎が燃え上がった。