テラーノベル
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「八尺様は、5尺様でした。」
――ぽぽ、ぽぽ、ぽぽ。
その音を聞いた瞬間、僕は立ち止まった。
夕方の国道脇。自転車と車が入り混じる、どこにでもある道。なのに、その音だけが異様に浮いている。
重くも軽くもない、間の抜けた足音。規則正しく、距離を詰めてくる。
「……来る」
反射的に、視線を落とす。
見えてしまう。
人ならざるものが、僕には見える。
電柱の影から、ゆっくりと“それ”が姿を現した――瞬間。
「あ、やっぱり見えとるやん」
声。
拍子抜けするほど、普通の女の声だった。
「……え?」
顔を上げると、そこに立っていたのは――
白いワンピースを着た、背の低い女の子。
5尺……いや、それより少し低いくらい。
噂に聞く「八尺様」とは、あまりにもかけ離れている。
「なに、その顔。うちが八尺ないからガッカリした?」
にや、と笑う。
その瞬間、背筋が凍った。
笑っているのに、目が人間じゃない。
奥行きがない。焦点が合っていない。
それでも――不思議と、恐怖より先に困惑が来た。
「……君は……」
「自己紹介せなあかん? 律儀やなぁ」
彼女は一歩、僕に近づく。
――ぽぽ。
足音が、耳元で鳴った。
「うち、いふ。
世間的にはな、“八尺様”って呼ばれとるらしいで」
「……5尺様、じゃないの?」
思わず口をついて出た言葉に、彼女は一瞬きょとんとして――
「……ぷっ」
吹き出した。
「なにそれ、失礼やなぁ!
成長期サボったみたいに言わんといて!」
……怖いはずなのに。
おかしいはずなのに。
僕は、少しだけ笑ってしまった。
「……僕は、ほとけ。
その、見えてるみたいで……」
「知っとる」
即答だった。
いふは、僕の胸元を指差す。
「さっきからずーっと、
“見たらあかんもん見る人の顔”しとる」
そして、声を落とした。
「なぁ。
見える人間に会うん、久しぶりなんよ」
夕焼けが、彼女の影を長く伸ばす。
その影だけが――不自然に、歪んでいた。
「……逃げないの?」
僕が聞くと、いふは首をかしげた。
「逃げてもええよ?」
一歩、近づく。
「でもな。
うちに見られた時点で、もう詰みやけど」
ぞくり、と空気が冷える。
「選ばせたる」
いふは、楽しそうに笑った。
「このままうちに憑かれるか」
――ぽぽ。
「それとも」
――ぽぽ、ぽぽ。
「付き合うか」
「……付き合う?」
「せや。恋人」
あまりにも軽い口調で、
あまりにも物騒なことを言う。
「うち、気に入った人間は離さへん主義やねん。
でも恋人やったら、ほら」
指を立てる。
「合法やろ?」
……意味が分からない。
でも、分かってしまった。
これは脅しだ。
可愛い顔で、笑いながら、逃げ道を塞ぐやつ。
「……断ったら?」
そう聞いた僕に、いふは優しく微笑んだ。
「道端で、
“見えたままの世界”に戻すだけやで」
――選択肢は、最初から一つしかなかった。
僕は、静かに息を吸って、言った。
「……付き合います」
その瞬間。
いふの影が、ぴたりと正常な形に戻った。
「はーい、決まり」
満足そうに頷いて、彼女は僕の腕に絡む。
「今日からうちら、カップルな」
夕焼けの中。
人ならざるものと、人ならざるものが見える僕は――
こうして、最悪で、最恐で、少し可愛い恋を始めた。
――ぽぽ。
その足音が、
今度はやけに近くで鳴っていた。
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