テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
ずいぶん走っているようだけれど、一向に目的地にたどり着かなかった。
「どこ行くの?」
涙も渇き落ち着きを取り戻して来た私が問いかけると、蓮はチラッと横目を向けて来た。
「もう大丈夫か?」
「あ……うん」
今更だけど、散々本音を言い泣き顔まで見せてしまったことに恥ずかしさを感じる。
気まずさでいっぱいになっていると、蓮は急にも感じる車線変更をした。
「今からリーベルに行く。あそこならゆっくり話を聞けるし、飯も食えるからな」
「リーベルに? 道、全く違うじゃない……」
かなり無駄に遠回りしたと思う。
いったい何を考えてるのか。不審感を覚えたけれど、すぐにその考えを改めた。
蓮は、私が泣き止むのを待っていたのかもしれない。
私が落ち着く時間を稼ぐために、無駄な遠回りをしていた?
彼がそんな気遣いをするとは思っていなかったから、意外だった。けれど嬉しくもあった。
リーベルに着くと、蓮は自分用のスペースに車を止めた。
車から店内に向かう途中、私は足を止めた。
すっかり忘れていたけど、リーベルには蓮の彼女が出入りしているんだった。
雪香の姉というだけで私を敵視していたから、二人で話しているのを見られたら、必ず文句を言われる。
今私は珍しく弱っていて、気の強い彼女と対峙するには、気力が足りない。
「ねえ、中に彼女居るんでしょ? 誤解されたりしないかな、揉めたく無いんだけど」
そう訴えると、蓮は足を止め振り返った。
「大丈夫だ、あいつは来てない。何日も前に別れた」
「え、そうなんだ」
彼女は、かなり蓮を好きなように見えたけど……。
「いろいろ考えてちゃんと別れた、それより今は沙雪の話が先だろ」
蓮は、以前ミドリと会った時に使った部屋に私を通して、自分はスタッフのところに向かった。
部屋のソファーに座って待っていると、それ程待たされる事無く戻って来る。
手には湯気の上がったカップを持っていた。
「紅茶でいいんだよな?」
蓮は私の目の前に綺麗な飴色の紅茶を置く。
「……ありがとう」
彼は自分のコーヒーのカップを置くと、私の正面に座った。
「それで何が有ったんだよ」
早速本題に入る蓮に、私はいつもより回らない頭を必死に働かせながら経緯を説明した。
突然海藤が訪ねて来て、無茶な要求をされた。雪香を探したけれど、見つからなかったこと。
蓮は黙って話を聞いていたけれど、雪香の義父に会いに行った話をすると、顔色を変えた。
「どうかした?」
蓮の変化に私は戸惑い話を止めた。
「いや、何でも無い。それより続きを話してくれ」
とても何でも無い様には見えないけど……。
「義父に何か問題が有るの?」
私の言葉に、蓮は少し考え込んでから答えた。
「その話は後でちゃんとする、今は海藤の件のが先だ……話を続けてくれ」
腑に落ちないながらも、蓮の言う通り、今解決しないといけないのは海藤の件だった。
私は義父に言われた内容、母の取った態度。そして落ち込みながら帰って来たところに蓮が待っていたところまでを全て話した。
「分かった、海藤は俺が何とかしておく」
話が終わると、蓮はあっさりとそう言った。
「え……なんとかするってどうするの? もしかして二百万円を代わりに払ってくれるの?」
蓮の家はかなりの豪邸で資産家の様だし、このリーベルも繁盛してるように見える。彼にとっては二百万円が大した金額じゃないのかもしれない。そう考えたけれど、蓮はすぐに否定した。
「金はやらない、調子に乗らせるだけだからな。適当な理由をつけていつまでもたかられ続けるだろ?」
「じゃあ、どうするの?」
「話し合いで解決する」
「それは無理でしょ?」
海藤は、普通の生活を送っている様に見えなかった。
きっと他人に暴力を振るうのを躊躇わない。交渉出来る相手じゃないと思うけど。
「心配すんな、任せておけ」
不安になる私に、蓮は余裕の顔で言う。
同時に部屋の扉が開き、食事を持ったスタッフが入って来た為、反論しそびれた。
私としてはうやむやのまま海藤の話は終わってしまった。でも気分は大分楽になっていて、用意して貰った料理をかなり食べられた。
以前も思ったけれど、この店は料理が美味しい。だから人気が有るのかな?
紅茶のおかわりを飲みながら、そんな事を考えていると蓮が話しかけて来た。
「沙雪は好き嫌いないのか?」
一瞬何の事か分からなかったけど、すぐに食べ物の話だと気付いた。
「無いけど。コーヒーが苦手なくらい」
深く考えずに答えると、蓮は、過去を思い出す様に目を細めた。
「双子でも違うものなんだな……雪香は野菜が嫌いだった」
「雪香が?」
私は意外な気持ちで聞き返した。
「野菜は殆ど食べなかったな、肉ばっか食べてた」
「……知らなかった」
再会後、何度か一緒に食事をしたけど気付かなかった。
子供の頃は食べてたような気もするけど、蓮が言うなら間違い無いんだろう。
私より蓮の方が、ずっと雪香と親しかったんだから。そう言えば……。
「ねえ、さっき途中だった雪香の義父について教えて」
蓮は顔を曇らせながら話し始めた。
「雪香と義父の関係は上手くいってなかった。というか最悪だったんだ」
「……え?」
予想外の発言だった。
教会で消えた雪香の身を、義父はとても心配して平然としている私を嫌悪していた。
それらを思い出すと、関係が悪かったなんて思えない。
「香川さんは厳しい人だから、雪香もおばさんもかなり気を使って生活してたんだ」
雪香の義父が厳しいというのは、数回しか会った事の無い私も感じていた。
威圧的で冷たくて……でもそれは私に対してだからで、母と雪香には違うのかと思っていた。
「じゃあ……雪香は自由に暮らしていた訳じゃないの?」
蓮は真顔で頷いた。
「雪香がそれなりに自由になったのは、ここ一年位だ。それ以前は香川さんの干渉が強くて父親の決めたルールに縛られた生活だった」
「ルール?」
「帰宅時間、交友関係、素行や成績、全て厳しく管理されていた」
それでは、自分の意思なんて何も無い。私には想像出来ない生活だった。
雪香は何不自由なく生活していたと思っていたけれど、実は違っていた。
裕福でお金に困ってなくても、自由がなかった。
それはどれ程の苦痛だったんだろう。
十年ぶりに再会した雪香は、美しく輝いて見えた。嫉妬してしまう程、幸せそのものに見えたのに……。い
見えていなかった雪香の本当の姿を初めて知り、私は戸惑い言葉を失った。
「それから香川さんは、子供の頃から雪香に手荒な真似をしていた」
「え?!」
少しの沈黙の後続けられた蓮の言葉に、私は驚き声を上げた。
「虐待されていたの?」
口に出しながらも、信じられない思いだった。だって雪香の側には母がついている。
「いや、義父はいつも躾だって言ってたそうだ。実際発言の筋は通っていたけどあれはやり過ぎだった」
「雪香が怒られてるのを見た事あるの?」
「ああ……初めて見た時は驚いた。ただ成績が下がったってだけなのに、異常な怒りに見えた」
蓮は憂鬱そうな表情で答える。
「怒る理由がちゃんと有るから、母も止められなかったの?」
「多分な。それで雪香も家に居辛くて、俺の家で過ごす時間が多くなった。雪香は気軽に遊びに行けなかったから、うちしかなかったんだ」
「……そうだったんだ」
雪香がなぜ蓮に執着するのか。
蓮が恋人よりも雪香を気にかける理由が、少し分かった気がした。
雪香にとって蓮の側は、唯一安心出来る逃げ場所だったのかもしれない。
私にも手を貸してくれる位だから、蓮はきっと面倒見の良い性格なんだろう。
頼って来る雪香を気にかけて、守っていた。
二人の間には、長い時間をかけて築いていった絆が有る。雪香が蓮に恋したのは当然の事に思えた。
でも蓮はどうして、雪香を恋人として受け入れなかったんだろう。
「ねえ……どうして雪香と付き合わなかったの? 雪香の気持ちに気付いて無かったわけないよね?」
蓮は困ったような表情になった。
「前にも言ったけど、雪香は妹のようなものだ、女としては見れない」
確かに出会って間もない頃に、蓮はそう言っていた。私は信じなかったけど……。
「でも付き合ってみたら気持ちが変わるかもしれないのに、どうして雪香に限っては慎重だったの? 他の女性とは派手に遊んでたって聞いたけど」
以前、雪香の友人に聞いた話を思い出しながら言うと、蓮は不快そうに顔をしかめた。
「誰がそんなこと言ったんだよ?」
「噂で聞いただけ。でも彼女への態度見た時、噂は本当だったんだって思った。あの態度は酷かったもの、まさに遊びって感じだった」
私が一気に言うと、蓮は返す言葉が無いのか、ふてくされたような顔をして目をそらす。
けれどしばらくすると、真剣な表情で口を開いた。
「雪香に対しては、適当なこと出来なかった。恋愛対象にはならなくても、俺にとって雪香は誰よりも大切な存在だったから」
蓮の雪香への想いを感じ、圧倒された。なぜか胸が苦しくなる。
「……そうなんだ」
「雪香が、比較的自由に行動出来るようになってからも心配だった。当然のように彼女より優先してた。でもこの前沙雪にはっきり指摘されて初めて自分の考え方がおかしいと気付いた」
「それで彼女と別れたの?」
この店に入る時に聞いた言葉を思い出しながら言うと、蓮はゆっくりと頷いた。
「あいつにも悪いことをしたと思ってる」
「彼女、可哀想……」
蓮が彼女に別れを切り出したのは、自分の不誠実さに気付いたから。今のままじゃいけないとけじめをつけたんだと思う。
でも彼女は蓮を想っていた。大切にされてなくても、一緒にいたいと願っていたのかもしれない。
「もういい加減な気持ちで、誰かを傷付けたりしないと決めた」
「そう……」
それなら蓮はもう誰とも付き合え無いんじゃないのかな。
蓮にとって雪香は、いつまでも一番大切な妹なんじゃないかと思う。
今この時だって、蓮の心の中には、雪香を心配する気持ちでいっぱいで……。
「どうしたんだよ? 怖い顔して」
強張った私の表情を見て、蓮は怪訝そうに言う。
「……何でもない」
私は蓮から目をそらした。
今日、私の見えていなかった雪香の本当の姿を沢山知った。
幸せだと思っていた雪香の苦しい環境。叶わなかった恋。
きっと雪香は私が思っていたより、ずっと苦労したし、辛かったはずだ。
でも、それでも私は雪香を羨ましいと思う。
蓮に……誰かに、何よりも気遣い大切にしてもらえる雪香が、泣きたくなる程羨ましかった。
その後、少し話をしてから送ってもらい帰宅した。
蓮は車から降りて、アパートの階段迄ついて来てくれた。
「海藤の件は、もう心配するなよ」
別れ際、蓮は軽い調子で言った。
「本当に大丈夫なの?」
助けて貰えるのは嬉しいけど、海藤が相手だと思うと心配になる。
私に代わって、蓮が酷い目に遭ってしまうかもしれない。
浮かない顔の私に対して、蓮は余裕の表情を崩さなかった。
「大丈夫だって言ってるだろ? うじうじ言ってないで早く帰れよ」
「……うじうじって」
言い方は気に入らないけれど、気持ちは軽くなった。
蓮に言われた通り、階段を上がり部屋に向かう。
途中思い立ち、私が部屋に入るのを待っている蓮を振り返った。
「今日はありがとう……蓮」
蓮は驚いたように目を見開く。
そんな彼に控えめに手を振ってから、部屋に入った。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!