テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「藤白りいなって、ほんと、名前だけでマドンナって感じだよな」
誰かが言ったその言葉、たぶん廊下の端っこで。私は聞こえないふりをしたけど、ちょっとだけうれしかった。
だって、ほんとは“マドンナ”なんて柄じゃない。
お転婆で、天然で、男子とばっかり騒いでる。
先生にも「また騒いでる」って言われるし、女子には「りいなって男子と仲良すぎ」って陰口を言われる。
でも、名前だけは、ちょっと特別っぽい。
中学の頃、私は女子の輪に入ろうと頑張ってた。 休み時間に一緒にお菓子食べたり、恋バナしたり、制服のスカートの長さを気にしたり。
でも、ある日、隣の席の男子とちょっと喋っただけで、次の日から無視された。
「りいなって、男子に媚びてるよね」 「なんか、ぶりっこっぽくない?」 そんな言葉が、机の中のメモに書かれてた。
それから私は、女子と話すのが怖くなった。
でも、男子は違った。
笑ってくれるし、ふざけてくれるし、優しいし。
だから、男子と仲良くするようになった。 それだけなのに、いつの間にか“男子人気トップ”になってた。
「りいなって男子に媚びてるよね」 「はるきと別れたのに、海といちゃついてるし」 「すずって美人なのに、なんでりいなばっかり人気なの?」 そんな声が、教室の隅っこでこっそり飛び交ってるの、知ってる。
でも、私は“男子と仲良くすること”が、悪いことだなんて思ってない。
だって、楽しいんだもん。笑ってくれるし、ふざけてくれるし、優しいし。
それに、私が“誰かを好き”って言うのは、すごく怖いことだから。
はるきとは、もう別れた。 理由は、たぶん、私が“誰か”を選べなかったから。
海のことも、すずのことも、はるきのことも、全部好きで、でも“好き”って言葉が軽すぎて、重すぎて、言えなかった。
はるきは、今でも私のことを見てる。 目が合うと、ちょっとだけ睨まれる。
でも、私が誰かと笑ってると、すぐに視線を逸らす。 そのくせ、私が困ってると、誰よりも早く助けてくれる。
海は、昔から変わらず「好きだよ」って軽く言ってくる。
「りいな、今日もかわいいね」とか「手、冷たい。触っていい?」とか、 そういう言葉を、何気なく言う。
でも、私が「え、あったか〜い」とか言うと、ちょっとだけ嬉しそうに笑う。
すずは、私のことを「好き」って言ってくれる。 「りいなって、ほんと自由だよね」って。
でも、たぶん、ちょっとだけ嫉妬してる の続き
すずの「自由だよね」って言葉には、少しだけ棘がある。
それは、私が“誰かを選ばない”ことへの苛立ちかもしれないし、 “誰かに選ばれてしまう”私への嫉妬かもしれない。
でも、すずはそんな気持ちを、絶対に表には出さない。 笑顔で「りいなって、ほんとズルいよね」って言う。
その“ズルさ”が、私自身にもよくわからない。
私は、誰かを選ぶことが怖い。 選んだ瞬間、選ばなかった誰かを傷つける気がするから。
それに、“選ばれる側”でいる方が、ずっと楽だった。 でも、最近、ちょっとだけ思う。
このまま“名前だけのマドンナ”でいたら、 本当の“私”は、誰にも見つけてもらえないんじゃないかって。
教室のざわめきの中で、 誰かの視線が交差するたびに、 私は“選ばれない自由”と、“選ばれる怖さ”の間で揺れてる。
名前だけじゃ、選ばれない。 でも、“名前だけ”で、守られてきた気もする。 藤白りいな。 その名前の中に、ほんとの私は、どれだけいるんだろう。
でも、ほんとは、誰かにちゃんと「好き」って言いたい。 誰かに「選ばれたい」って思う瞬間もある。 放課後、昇降口で靴を履いてるとき、ふと隣に立った誰かの体温が近くて、 そのぬくもりに、心がふわっと揺れる。 でも、すぐに「これは勘違いだ」って、自分に言い聞かせる。 だって、私が誰かを選んだら、きっと誰かが泣く。 それが怖い。 それが、ずっと怖かった。
「りいなって、誰にも本気にならないよね」 そんな言葉を、何度も聞いた。 でも、それは違う。 本気になれないんじゃなくて、本気になったら壊れそうだから。 私の“好き”は、いつも曖昧で、 手紙の最後に書き足した「P.S.好きかも」くらいの温度でしか伝えられない。
それでも、私の周りには、 はるきの視線、海の言葉、すずの沈黙が、 まるで三角形の頂点みたいに、私を囲んでる。 その真ん中で、私は笑ってる。 天然で、お転婆で、男子とばっかり騒いでる“藤白りいな”として。
でも、名前だけじゃ、選ばれない。 だから、私はこの物語の中で、 “名前の奥にいる私”を、少しずつ見つけていきたい。
──この物語は、“選ばない”ことを選んだ、 ひとりの女の子の、ちょっとだけ甘くて、ちょっとだけ苦い青春の記録。
りいな視点+すず視点少し
修学旅行一日目。熱海の空は、どこか浮かれていて、どこか切ない。 駅前の商店街には湯気と笑い声が溢れていて、私たちのグループも、わちゃわちゃと騒いでいた。
「りいな〜!温泉まんじゅう買ったぞ〜!“あーん”ゲームしよ!」
海が、袋をぶんぶん振りながら走ってくる。 私は「え、なにそれ。ゲームなの?」と首をかしげる。 海はニヤッと笑って、まんじゅうをひとつ取り出すと、私の口元に差し出した。
「はい、“あーん”して。照れたら負けな」
「え、普通に食べるだけじゃダメなの?」
「ダメ。これは“あーん”ゲームだから。照れたら負け。笑ったら罰ゲーム」
私はまんじゅうを見つめて、ちょっとだけ考えてから、 「じゃあ、“あーん”…」と口を開けた。 海の指が、まんじゅうをそっと口元に運ぶ。 ふわっと甘い香りが広がって、思わず笑ってしまった。
「ん〜、おいしっ」
「ほら、りいな負け〜。照れずに食べたから、次は俺の番な」
「え、そういうルールだったの?」
天然炸裂。 周りの男子たちは「海、やりすぎ〜」と笑いながらも、 どこか羨ましそうに見ていた。
そのとき、展望台の方から「ガンッ」と柵を蹴る音が響いた。 振り返ると、はるきがひとり、遠くからこちらを見ていた。 目が合った瞬間、彼はすぐに視線を逸らした。
すずが、はるきの隣に立っていた。 「はるき、顔に出てるよ」 そう言いながら、すずはりいなと海の距離に、内心モヤモヤしていた。
(りいなって、ほんと無自覚すぎ…) (でも、あんなふうに笑われたら、誰だって好きになるじゃん)
すずは、りいなの“天然”に嫉妬していた。 それは、りいなが誰かを選ばないからこそ、誰からも選ばれてしまうという、 不公平な“自由”への嫉妬だった。
展望台からの帰り道、りいなは海と並んで歩いていた。 「ねえ、海ってさ、なんでそんなに“好き”って簡単に言えるの?」
海はちょっと考えてから、笑った。 「んー、簡単っていうか……俺は、りいなのこと見てると、言いたくなるだけ」
「え、それって……どういう意味?」
「意味なんて、なくてもいいじゃん。好きって、言いたいときに言うもんだろ?」
りいなは、少しだけ黙って歩いた。 その“好き”が、軽くて、でもどこか重くて。 自分がそれを受け止めるには、まだ勇気が足りない気がした。
後ろでは、はるきがすずと並んで歩いていた。 すずは、りいなと海の距離を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「ねえ、はるき。もし、りいなが海を選んだら、どうする?」
はるきは、少しだけ眉をひそめた。 「……選ばないよ、あいつは」
「でも、もし、選んだら?」
「……それでも、俺は、あいつのこと好きだと思う」
その言葉に、すずは胸がチクリと痛んだ。 (ずるいよ、りいな。誰にも選ばれないくせに、誰かの心を全部持ってく)
夜。旅館の中庭。 りいなは、浴衣姿でひとり、縁側に座っていた。 風が少し冷たくて、でも心地よかった。
そこに、すずがそっと隣に座った。
「りいな、今日さ……ちょっとだけ、嫉妬した」
「え?なんで?」
「海と仲良くしてるの見てて、なんか、胸がざわざわして。 はるきも、ずっとりいなのこと見てたし」
「え〜、でも、私って普通にしてただけだよ?」
「それが、ずるいんだよ。りいなは、普通にしてるだけで、誰かの心を揺らす」
りいなは、少しだけ笑った。 「でも、私だって、誰かを好きになるの、怖いよ。 “好き”って言ったら、全部変わっちゃいそうで」
「変わるよ。でも、それって悪いことじゃない」
「うん……でも、まだ怖い」
すずは、りいなの手にそっと触れた。 「じゃあ、怖いままでいいよ。私も、ちょっと怖いから」
その言葉に、りいなは少しだけ安心した。 “怖い”って気持ちを、誰かと共有できることが、 少しだけ“好き”に近づく気がした。
夜更け。男子部屋では、海がはるきに話しかけていた。
「なあ、はるき。もし、りいなが誰も選ばなかったら、どうする?」
「……それでも、俺は待つよ」
「待ってるだけじゃ、何も変わらないぞ」
「わかってる。でも、あいつが“選ぶ”って決めたとき、 俺のことを思い出してくれたら、それでいい」
海は、少しだけ黙ってから、笑った。 「はるきって、ほんと真面目だな。 でも、そういうとこ、りいなは好きだと思うよ」
はるきは、何も言わずに天井を見つめていた。 その目には、少しだけ希望が宿っていた。
深夜。女子部屋では、りいなが布団の中で目を開けていた。 すずは隣で寝息を立てている。
(“好き”って、なんなんだろう) (誰かを選ぶことって、そんなに大事なのかな)
りいなは、そっとスマホを取り出して、メモ帳を開いた。 そこに、ぽつぽつと文字を打ち込む。
好きって、言えたら楽になるのかな でも、言ったら全部変わっちゃう気がする 変わるのが怖い でも、変わらないままも、ちょっと寂しい
その言葉を見つめながら、りいなは目を閉じた。 “選ばない”ことが、ずっと続くわけじゃない。 いつか、“選ぶ”瞬間が来る。 そのとき、自分がどうなってるか、まだわからない。
でも、今はまだ、“揺れてる”だけでいい。 その揺れが、青春の真ん中にある気がするから。
夜。旅館の部屋。 畳の匂いと浴衣のすそが、なんだか非日常で、ちょっとだけ浮かれてしまう。 女子部屋では、浴衣姿のりいなが「ねえねえ、枕投げしよ!」と叫んだ。
「え、今どき枕投げって…」とすずが呆れながらも、 枕を手に取って、りいなに向かって軽く投げた。
「きゃっ!すず、やる気満々じゃん!」
「うるさい、天然バカ!」
「ひどっ!すずのくせに〜!」
枕が宙を舞い、笑い声が弾ける。 他の女子たちも参戦して、部屋は一気に戦場に。 りいなは、笑いながら逃げ回り、すずは本気で狙ってくる。
「りいな、男子とばっかり仲良くしてるから、ここで女子にしっかりやられとけ!」
「え〜!それ関係ある!?」
その言葉に、りいなはちょっとだけ胸がチクッとした。 でも、笑い声でその痛みを包み込んだ。
男子部屋では、はるきが窓の外をぼんやり見ていた。 海はスマホをいじりながら、「りいな、今日もかわいかったな〜」と呟いた。
「お前、あいつにベタベタしすぎなんだよ」 はるきが低く言う。
「え?俺、普通に接してるだけだけど?」 海は笑ってる。でも、はるきの目は笑ってなかった。
「普通って言うなら、あんな“あーん”とかしねえだろ」
「はるき、まだ好きなんでしょ?」
その言葉は、すずの声だった。 彼女は、男子部屋の前の廊下で、はるきを待っていた。
「……言わなくてもわかるだろ」 はるきは、少しだけ目を伏せて言った。
すずは、その言葉に、胸がざわついた。 (やっぱり、りいななんだ) (でも、私だって、りいなのこと……)
夜が深まって、女子部屋では、枕投げのあとに静かな時間が流れていた。 りいなは、浴衣の袖をくるくると指でいじりながら、ぽつりと呟いた。
「ねえ、すず。私って、誰かを好きになっちゃダメなのかな」
すずは、少しだけ黙ってから答えた。 「ダメじゃないけど、りいなが“誰かを選ぶ”って、たぶん、すごく大きなことなんだと思う」
「なんで?」
「だって、りいなは、誰にも嫌われないように笑ってるから。 誰かを選んだら、誰かが傷つくって、わかってるから」
りいなは、少しだけ目を伏せた。 「うん……それ、ちょっと怖い」
「でも、選ばないままじゃ、誰にも届かないよ」
その言葉に、りいなは何も言えなかった。 すずの声は、優しくて、でも少しだけ切なかった。
夜の展望台。 はるきは、ひとりでそこにいた。 海とりいなが並んで笑っていた昼間の光景が、頭から離れない。
「……なんで、俺じゃダメだったんだろ」
誰にも聞かれないように、誰にも届かないように、 はるきは、夜の海に向かって呟いた。
その背中を、すずが遠くから見ていた。 (はるきも、りいなも、ずるいよ) (私だけ、置いてかれてるみたい)
でも、すずはその気持ちを、誰にも言わなかった。 ただ、静かにその夜を見送った。
ざわめきと笑いと、ちょっとした嫉妬と、選ばない勇気。 それぞれの“好き”が、まだ言葉にならないまま、 夜の海に溶けていった。
枕投げの熱が冷めたあと、女子部屋には静かな空気が流れていた。 浴衣の袖をくるくると指でいじりながら、りいなはぽつりと呟いた。
「ねえ、すず。私って、誰かを好きになっちゃダメなのかな」
すずは、少しだけ黙ってから答えた。 「ダメじゃないけど、りいなが“誰かを選ぶ”って、たぶん、すごく大きなことなんだと思う」
「なんで?」
「だって、りいなは、誰にも嫌われないように笑ってるから。 誰かを選んだら、誰かが傷つくって、わかってるから」
りいなは、少しだけ目を伏せた。 「うん……それ、ちょっと怖い」
「でも、選ばないままじゃ、誰にも届かないよ」
その言葉に、りいなは何も言えなかった。 すずの声は、優しくて、でも少しだけ切なかった。
その夜、女子部屋ではみんなが寝静まったあと、すずはひとり、スマホの画面を見つめていた。 はるきのSNSには、何も更新されていない。 でも、彼の“何も言わない”ことが、すずの胸をざわつかせた。
(はるきは、まだりいなのことが好き) (でも、りいなは……誰も選ばない)
その“選ばない”という選択が、すずにはずるく思えた。 誰にも嫌われず、誰にも傷つけられず、 でも、誰かの心を揺らし続ける。
(私だって、りいなのこと……) その思いを、すずは自分の中にそっとしまい込んだ。
一方、男子部屋では、海が布団の上でゴロゴロしながら、はるきに話しかけていた。
「なあ、はるき。りいなって、ほんと不思議だよな。 あんなに男子と仲良くしてるのに、誰にも本気になってない感じ」
はるきは、天井を見つめたまま、何も言わなかった。
「でもさ、俺、思うんだよ。りいなって、誰かを好きになるのが怖いんじゃなくて、 “好き”って言葉を信じてないんじゃないかって」
「……どういう意味だよ」
「だって、りいなって、誰かに“好き”って言われても、 いつも笑って流すじゃん。 本気で受け止めたら、壊れちゃうって思ってるのかもな」
はるきは、少しだけ目を閉じた。 その言葉が、胸に刺さった。
(俺の“好き”も、流されたのか) (それとも、受け止めるのが怖かっただけなのか)
その答えは、りいなしか知らない。 でも、はるきはもう一度、りいなの笑顔を思い出していた。
翌朝。旅館の朝食会場。 りいなは、焼き魚をつつきながら、海と笑い合っていた。
「ねえ、海。昨日の“あーん”ゲーム、ほんとに照れてたの?」
「え?俺?照れてないよ〜。むしろ、りいなが照れなさすぎてびっくりした」
「え〜、だって普通じゃないの?“あーん”って」
「いや、普通じゃないって。あんな自然にできるの、りいなだけだよ」
その会話に、はるきは黙って箸を動かしていた。 すずは、りいなと海の距離を見つめながら、心の中でため息をついた。
(りいなって、ほんと無自覚すぎ) (でも、あんなふうに笑われたら、誰だって好きになるじゃん)
朝の光が差し込む中で、りいなの笑顔は、昨日と変わらず眩しかった。 でも、その笑顔の奥にある“選ばない理由”は、誰にも見えなかった。
食後、展望台へ向かう道。 グループで歩く中、はるきは少し遅れて歩いていた。 すずがその隣に並ぶ。
「ねえ、はるき。昨日の夜、展望台で何考えてたの?」
「……別に」
「嘘。顔に出てたよ。りいなのこと、考えてたでしょ」
はるきは、少しだけ足を止めて、すずの方を見た。 「……言わなくてもわかるだろ」
その言葉に、すずは笑った。 でも、その笑顔は少しだけ寂しげだった。
「うん、わかる。でも、私も……ちょっとだけ、りいなのこと好きなんだ」
はるきは驚いた顔をした。 すずは、照れくさそうに笑いながら言った。
「だから、はるきがりいなを好きなの、ちょっと悔しいけど、ちょっと嬉しい」
その言葉に、はるきは何も言えなかった。 ただ、すずの横顔を見つめていた。
展望台に着くと、りいなが風に吹かれながら笑っていた。 「ねえ、海!昨日の“あーん”ゲーム、またやる?」
「え〜、また?今度は罰ゲーム付きな!」
「じゃあ、負けたら“好き”って言うこと!」
「え、それって告白じゃん!」
「え?そうなの?普通じゃないの?」
その天然発言に、周囲は爆笑。 でも、はるきとすずだけは、笑えなかった。
(“好き”って、そんな簡単に言える言葉じゃない) (でも、りいなにとっては、それが“普通”なんだ)
その“普通”が、みんなの心を揺らしていた。
夜が明ける少し前。旅館の廊下には、まだ誰もいない静けさが漂っていた。 りいなは、そっと部屋を抜け出して、ロビーの隅にあるソファに座っていた。 浴衣のすそを指でいじりながら、ぼんやりと窓の外を眺める。
外はまだ暗くて、街の灯りがぽつぽつと残っている。 その灯りのひとつひとつが、誰かの気持ちみたいに見えた。
「りいな、こんな時間に何してんの?」
声をかけてきたのは、海だった。 彼も眠れなかったのか、髪が少し乱れていた。
「なんか、寝れなくて。ちょっとだけ、考えごと」
「考えごと?珍しいな。りいなって、悩みとかしなさそうなのに」
「するよ。ちゃんと、する。……誰かを好きになることとか、選ぶこととか」
海は、少しだけ驚いた顔をした。 「そっか。……でもさ、選ばなくてもいいんじゃない? 今は、揺れてるだけでいいと思うよ。俺は、そういうりいなが好きだし」
その言葉に、りいなは少しだけ笑った。 「ありがとう。でも、いつかは選ばなきゃいけないのかなって、思う」
「そのときは、そのときでいいよ。 俺は、りいなが選ばなくても、そばにいるし」
その言葉が、りいなの胸にじんわりと染みた。 “選ばない”ことを肯定してくれる人がいること。 それだけで、少しだけ救われる気がした。
遠くで、朝の気配が少しずつ近づいてくる。 空が、ほんのりと青く染まり始めていた。
りいなは、立ち上がって言った。 「じゃあ、今日もいっぱい笑うね。天然バカって言われても、気にしない」
海は笑って頷いた。 「それが、りいなだから」
そして、ふたりは並んで廊下を歩いた。 まだ誰も起きていない旅館の中で、 小さな“揺れ”が、確かに前に進み始めていた。
Day1:熱海編、完。
甘さとざわめきと、選ばない勇気。 誰かを好きになることの怖さと、誰かに好きと言われることの戸惑い。 その全部が、りいなの“今”を作っている。
そして、すずも、はるきも、海も、 それぞれの“好き”を胸に抱えながら、 まだ言葉にならない気持ちを、そっと隠している。
でも、旅はまだ始まったばかり。 次の舞台で、また新しい“揺れ”が待っている。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!