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01.返されない本
雨の日の図書館が好きだった。
窓を叩く雨音も、
少し湿った紙の匂いも。
誰もいない閲覧席に座っていると、
世界から自分だけ切り離されたみたいで、
少しだけ息がしやすくなる。
放課後。
図書館にいるのは、
いつもの数人だけだった。
参考書を開いた三年生。
寝ている先生。奥で本を整理する図書委員。
「……また来たんだ」
静かな声が飛んできて、
俺は読んでいた本から顔を上げた。
カウンターの向こう。
本を抱えた女子生徒がこちらを見ている。
図書委員の先輩__
一ノ瀬 美夜(いちのせ みや)
黒髪ロング。
眠そうな目。
白い肌。
窓越しの雨の光が、
先輩の横顔をぼんやり滲ませていた。
「来ちゃダメだった?」
そう返すと、
先輩は少しだけ目を細めた。
「別に。ただ……」
本を棚へ戻しながら、
小さく呟く。
「最近、雨の日ばっかりだから」
「雨の日の図書館、好きなんです」
「変わってるね」
「先輩に言われたくないです」
その瞬間、
先輩がふっと笑った。
珍しかった。
朝霧先輩は、
いつも静かで、
感情を隠しているみたいな人だから。
図書館では有名だった。
『閉館後も残ってる先輩』
『地下書庫に入ったことあるらしい』
『歩く音がしない』
そんな変な噂ばかり。
でも俺は、
その空気が嫌いじゃなかった。
ページをめくる。
外の雨は強くなる一方だった。
ふと視線を感じて顔を上げると、
先輩がこちらを見ていた。
「……どうかしました?」
「いや」
先輩は少し迷うように視線を伏せる。
「柊ってさ」
「はい」
「昔のこと、覚えてる?」
突然の質問だった。
「昔?」
「小さい頃とか」
なぜか、 一瞬だけ胸がざわつく。
でも理由はわからない。
「普通くらいには」
「そっか」
先輩はそれ以上何も言わなかった。
ただ、
どこか安心したようにも、
寂しそうにも見えた。
その時だった。
__ガタン。
図書館の奥で、
何かが落ちる音がした。
思わず顔を向ける。
音がしたのは、
立入禁止の扉の向こう。
『地下書庫』
古びたプレートが揺れている。
「……先輩」
振り返る。
でも、
一ノ瀬先輩はいなかった。
「え……?」
さっきまでカウンターにいたはずなのに。
代わりに、
地下書庫の扉が少しだけ開いていた。
暗い。
冷たい空気が流れてくる。
……なんだよこれ。
なのに、
なぜか目が離せなかった。
ゆっくり近づく。
ギィ、と扉を押し開けると、
地下へ続く階段が現れた。
一段降りるたび、
空気が冷たくなる。
静かだった。
静かすぎた。やがて、
地下書庫が見えてくる。
古い本棚が並び、
薄暗い電灯だけが揺れていた。
その真ん中。
一冊だけ、
本が落ちている。
黒い表紙。
タイトルはない。
俺はしゃがみ込み、
そっとその本を拾った。__冷たい。
本なのに、
氷みたいに冷たい。
ページが開く。
そこには綺麗な文字で、
たった一文だけ書かれていた。
『今日、君は彼女に恋をする』
「……は?」
その瞬間。
__バタン!!
後ろで大きな音が響いた。
振り返る。
階段の上。
一ノ瀬先輩が立っていた。
息を切らしている。
長い黒髪が濡れていた。初めて見る顔だった。
焦ったような、
苦しそうな顔。
「……なんで入ったの」
低い声が、
静かな書庫に響く。
先輩は、
俺の持つ本を見る。
そして小さく言った。
「その本、最後まで読まないで」
次の瞬間。
パラ……。
本が、
ひとりでにページをめくった。
ゆっくり。
ゆっくり。
まるで、
続きを読ませるみたいに。
開かれた次のページ。
そこにはこう書かれていた。
『午後六時十分。
君は雨の中で、彼女の秘密を知る』
その文字を見た瞬間。
なぜか、
背筋が寒くなった。
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