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#闇
ruruha
1,119
__重い。
買い物袋を引きずりながら、その重みをどうすべきか考えてみる。
答えの出ない問いというのはどうしようもなく重い。
買い物袋と天秤にかけても恐らくこちらの方が重い。
朝霧ノアは必死に買い物袋を引っ提げて帰路についていた。
買い物ほど体力を使う外出はない。
確信をもって言える。
袋の中で冷凍食品がガサガサと音を立てている。
その音すらも耳障りだった。
車が通り過ぎていくエンジン音、背後10メートルほどからでも響く誰かの話し声。
その全てというのは、ノアの日常を彩るものたちでありながら、最も受け入れ難いものたちで。
そんなものとこれから果てしない日常を歩ませられることに、誰が喜べるのだろうか。
街灯が眩しい。
この街は街灯が少なすぎる。
そのくせ一個一個はやけに眩しく、ノアの一番苦手な、朝や昼といった苦痛を連想させてくる。
__そう、街灯の分際で!
嫌な思いをしているのはこちらの勝手だけど、くだらないことでも嫌悪してしまう。
そんな自分も嫌悪の対象に含まれるのだろう。
……駄目だ、考え出したら頭が痛くなる。
視界の端に、よくやるゲームのUIが見えた気がする。
自分を客観視すると、なぜか見えてくる。
自分の体力バーと使用可能技、そして残り時間。
いつも数値までは見えない。当然だ、私の世界ではどのくらいが「1ダメージ」にあたるかなんて基準がない。
__ふと、冷たい感触。
いつの間にかドアの前に辿り着いて、ドアノブを握っていた。
思考の外にいると、勝手に体が動くもので怖くなる。
もう片手に鍵があることを察するに、どうやらドアの鍵は開けたらしい。
案の定、抵抗もなくすんなりとドアはノアを迎え入れた。
ノックはしない。どうせそこには、誰もいない。
ドアに鍵をかける。言われた通りに、しっかりと。
熱帯夜の喧騒から逃れて、初めて自分が疲れていたことを認識した。
体が異常なまでに重い。
足を半分引き摺るようにして冷蔵庫に辿り着く。
冷凍庫をあける。殆ど空のそこに少しずつ今日の戦利品を詰め込む。
どれほど経ったのだろう。完全に心を殺していたからか、何も感じないままに冷凍庫内を整えていた。
まぁ私のことだから時間はそれほど経っていないだろう……と、整頓の行き届いた冷凍庫をぼんやり見ながら考える。
一つ適当に引っ張り出す。冷凍食品のドリアだ。
袋を開けようとする。
…開かない。
非力すぎる。
運動不足はこういう所で祟ってくる。酷い話だ。
シャトルランはせいぜい20か30回まで。
上体起こしはさらに悲惨なもので、下手すれば一桁で30秒が終わる。
そして、それを受け入れられるほどの余裕もまた、「ノアには無いもの」の一つだった。
多様性は認められてもこういうマイノリティが認められるかと言えば別だと知っている。
これは「一種の個性」ではない。
どう考えても立派な欠点だった。それも致命的な。
ハサミを取り出してようやく開ける。
一つ容器を取り出してレンジに入れる。
500Wで……1分。
袋の裏の字を辿る。そしてレンジにその通りの操作をする。それだけだ。
腕すらも鉛のように重い。どうにかして動かして、スプーンを用意して。それから、ダイニングテーブルを濡らした布巾で拭く。
1分。長い。
買ってきたペットボトルの水を冷蔵庫から取り出す。
喉が渇いた気がする。
それを手に持ったまま、意味もなくクルクルとリビングを歩き回って、そしてふと思い出すのだ。
通知が来ている気がする。なんとはなしに。
自分の部屋へ向かう。
そこには空虚な夢の塊が置いてあることを痛いほど知っている。
イラストレーターになる。いつ掲げた夢だったのだろうか。
まっさらなノートに書き殴られたキャラクター達。
その一人一人が余りに個性的なモノで、最早私には手が負えない気がする。
何度も何度も、彼ら彼女らを「描く」という方法にして観測しても、ハッキリしないままだった。
そんな贅沢な夢を思い出しては、塗りつぶす。
3年前、ポスターで最優秀賞を獲った。
防災ポスターだった。標語を入れたもの。
自分のキャラを入れるのは違う気がして、初めてまともに「好きなモノ」以外を描いた気がする。
それはいい思い出とは言えないし、言いたくない。
あんなのを、自分の世界だと言われたくなかった。
そのポスターは捨てるに捨てられず、いまだにこの部屋にある。
どうせなら今、畳んで仕舞い込んでしまおうか。
そんなぼんやりとした思考のままに、ドアを開けた。
なんの遠慮もなく。
躊躇うこともなく。
それが全ての始まりだったのだ。
……ああ、もし私の脳内を覗いている人がいるなら。
足元には気をつけた方がいい。
現実は無情だ。時に、なんの罪もない一般人を__
__穴に、突き落とすのだから。
落下する感覚。初めてすぎる体験だった。
髪が重力に逆らって音を立てる。
あまりの恐怖体験に、私は目を閉じた。
手に持ったままの水のペットボトルから伝わる冷たさが、この世界が幻想でないことを物語っている。
瞼の向こうもまた、暗闇に包まれていて……。
ノアの意識もまた、黒に塗り潰された。
コメント
1件
ああ、めっちゃわかる…。自分にだけ見えてるゲームのUIとか、買い物袋の重さと心の重さを天秤にかける感覚とか、日常の小さな違和感をこうやって紡いでいくノアの内心がすごく繊細で、読んでて胸がぎゅってなったよ。最後の「穴」への落下、本当に不意打ちで鳥肌立った…。続き、すごく気になる。