その日、屋上には誰もいなかった。
優羅は、鉄の扉を開けた瞬間に感じた。
いつもそこに座っているはずの美咲の姿が、どこにもない。風だけが、空っぽの空間を寂しく撫でていた。
「……来ないのかな」
そう呟いた自分の声が、やけに大きく響いた気がした。
昨日の放課後、美咲はいつも通りに「じゃあ、また明日」と笑っていた。
その笑顔を思い出す。あんなに自然だったのに――何かを隠していたようにも思えた。
優羅は屋上の端に座って、誰もいない空間をじっと見つめた。
数分が、数時間に感じられた。
“探さないでね”
数日前、美咲が言った言葉が脳裏に蘇る。
冗談だと思っていた。でも、それが冗談で済まされない子だということは、誰よりも自分が知っているはずだった。
優羅は、教室に戻ることもせず、そのまま学校を出た。
歩きながら、スマホを取り出して何度もLINEを開く。
“今日、屋上来ないの?”
“どうしたの?”
“ねぇ、美咲”
未読のまま増えるメッセージに、冷たい汗が背筋をつたう。
その夜も返事は来なかった。
翌日も、美咲は登校しなかった。
先生は「体調不良らしいよ」と言っていたが、クラスの誰も真剣には気に留めていないようだった。
美咲のように明るく、うまく人に合わせられる子は、少しくらい休んでも「どうせ大丈夫」と思われてしまう。
でも、優羅には分かる。
“あの子は今、限界の中にいる”。
放課後、優羅は迷わず屋上へ向かった。今日も、美咲はいない。
「……また独りだ」
ポツリと零れた声が、空に吸い込まれる。
その瞬間、目の奥がじんわりと熱くなってきた。
息が、詰まりそうになる。
「……なんで来ないの、バカ」
小さな声で、誰にも聞こえないように呟いた。
寂しいなんて言いたくなかった。依存なんて認めたくなかった。
でも、会えないだけで、胸の奥がこんなにも冷えていく。
“ねぇ、美咲、いなくならないで”
そう思ったとき、スマホが震えた。
慌てて画面を見ると、「ごめん、屋上行けない」という短いLINEが届いていた。
それだけで、涙が止まらなくなった。
ほっとしたのか、それとも、たった一文に宿る重さに胸を締めつけられたのか。
優羅自身にも、もうわからなかった。
“どこにいるの?”
“なにがあったの?”
“会いたい”
送った言葉はどれも既読にならなかった。
その夜、優羅は部屋のカッターを取り出して、初めて泣きながら自分の腕を傷つけた。
血の赤が滲んで、痛みが心を誤魔化してくれた。
でも、その痛みさえも、“彼女がいないこと”を忘れさせてはくれなかった。
狂ったように願った。
「いなくならないで。私を置いていかないで」
たったそれだけの願いが、どうしてこんなに重いのだろう。
優羅の中で、ただの“友達”でも“恋人”でもない、美咲の存在が――ゆっくりと心を飲み込み始めていた。
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