一週間ぶりに、美咲は学校に戻ってきた。
その日の朝、優羅は教室の窓から昇降口を眺めるようにしていた。誰かを――いや、“彼女だけ”を待っている自分に気づきながら。
そして、見つけた。
制服の襟を少しだけ乱して、下を向いて歩いてくる美咲。
その姿を見た瞬間、胸の奥に走ったのは安心よりも、怒りだった。
“なんで、何も言わなかったの”
“なんで、私をひとりにしたの”
放課後、美咲は当然のように屋上に来た。
優羅がすでに座っているのを見て、ふわっと笑って近づいてくる。
「ただいま」
「……どこに行ってたの?」
「ちょっと、病院とか…いろいろ」
「連絡、できたでしょ」
「ごめん。でも、なんか、何も言えなかった」
「私、ずっと待ってた」
「……うん、知ってた」
優羅は、うつむいて指先をぎゅっと握った。
風が強く吹いて、美咲の髪が靡いた。
「ねぇ、美咲さん」
「なに?」
「私、あなたがいないと苦しい」
「……うん、私も」
「でも、いるともっと苦しい」
「……」
「ねぇ、もう、どうしたらいいかわかんないよ」
その言葉に、美咲は何も言わずに優羅の隣に腰を下ろした。
ふたりの間には、触れ合うほどの距離。けれど、まだ手は繋がない。
美咲がそっとポケットから小さなポーチを取り出した。
中から、金属の光が覗いた。
「……これ、持ってきた」
「カッター?」
「うん。最近、傷、浅くなってきてたから」
美咲の声は、どこか乾いていた。
「深くしたいの?」
「違う。…一緒に、って思って」
その提案は、ふたりにとって“最も自然なこと”のように響いた。
カチッ――。
カッターの刃が出る音が、屋上の静寂を裂いた。
どこかでチャイムが鳴っていたけど、ふたりにはもう、どうでもよかった。
美咲がカッターを優羅に差し出す。
「先に、する?」
優羅は無言でそれを受け取り、制服の袖をまくった。
柔らかい肌に刃が触れるその瞬間、何故か美咲がそっと手を重ねた。
「ねえ、怖くない?」
「……ううん。あなたがいるから」
そう言って、刃を引いた。
赤い線が浮かぶ。じんわりと滲んだ血に、心が少しだけ軽くなる。
美咲も、同じように袖を捲って、そして自分で刃を滑らせた。
お互いの傷を見せ合って、どちらが深いかを比べて笑った。
笑いながら、ふたりは泣いていた。
止まらない涙が、風に流されていく。
「このまま死ねたら楽なのにね」
「でも、まだ…」
「うん、まだ。死ぬのはもう少しだけ、あとにしよう」
刃は、優羅のポーチに収められた。
まるで大事なアクセサリーのように。
ふたりの間には、秘密ができた。
それは言葉では語れない、痛みの共有。血の証。
誰にも言えないことが、またひとつ増えた。
だけど、それが心をつなぎとめる唯一の鎖だった。
ふたりは狂ったように静かだった。
でもその静けさが、なによりも苦しく、そしてなによりも――幸せだった。
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