コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
バツンッ!
細く乾いた音が
沈黙していた空間に突然鳴り響いた。
瞬間
レイチェルの全身に鈍い衝撃が走る。
身体が宙に浮くような感覚
そして首に巻かれた何かが喉を圧迫し
息が詰まりそうになる。
「っ⋯⋯!」
喉から短い悲鳴を漏らしながら
彼女は目を開けた。
視界が揺れる。
意識が急激に覚醒し
強烈な違和感と痛みが体中を駆け巡る。
(なに⋯っ、⋯⋯ここ、何処⋯⋯?)
記憶の中に浮かんだのは
銃口を向けてきた男と
すぐ傍で
殴られて倒れるソーレンの姿。
「ソーレン⋯⋯っ!」
思わず叫び
前へと身体を動かそうとした
その瞬間――
カクリ、と片脚が外れる。
「うっ⋯⋯!」
足元に感じていた支えが外れ
首に掛けられていたチョーカーに
張られたワイヤーが容赦なく引かれる。
喉に食い込む圧迫感。
視界が白くなりかけるのを
必死にこらえて体勢を立て直す。
ぎりぎりのところで
もう片方の足がかろうじて支えとなり
ワイヤーの引きを緩めた。
浅く、短く、空気を吸い込む。
肺が焼けるように痛んだ。
見下ろすと
そこには小さなブリキ製のバケツ。
それが
今の彼女を支える唯一の足場だった。
ぐらつくそれに
少しでも体重のバランスを誤れば――
即座に
ワイヤーが首を締め上げて
命を刈り取る構造。
しかもその傍には
既に焼き切れて落ちた
ロープが落ちていた。
さっきまで
身体を吊るしていたであろうそのロープは
蝋燭か何かで
ゆっくりと焼き切られたに違いない。
ワイヤーが
首を裂くように引き寄せられる直前で
目覚めたのは
ただの偶然⋯⋯
あるいは、見えない誰かの加護か。
「ソ、ソーレン⋯⋯?」
掠れた声で呼びかける。
誰も答えない。
どこにも、ソーレンの気配はない。
静まり返った空間。
(こんな時こそ、落ち着けって⋯⋯
言われてたな⋯⋯)
ソーレンの声が脳裏に蘇る。
強く、鋭く
それでいて優しかったあの声。
彼の言葉を胸に
レイチェルは心の中で自分を叱咤する。
(しっかり立って⋯⋯ワイヤーを緩めて
深呼吸して⋯⋯落ち着いて。
私は⋯大丈夫⋯⋯っ!)
ゆっくりと、バケツの上で重心を整える。
脚を震わせながらも
喉への負荷を最小限に抑え
僅かに息を整える。
すると――
キィ⋯⋯キィ⋯⋯と
部屋の奥から
かすかな音が聞こえた。
まるで何かが軋むような
古びた家具の軋みのような音。
レイチェルは
首をほんの僅かに回して視線を動かす。
何も見逃さぬように、神経を尖らせる。
其処に――
揺れていた。
古びた揺り椅子が
規則的に前後へと緩やかに揺れている。
その上に
優雅な姿勢で腰掛ける一人の男。
長く、美しく編まれた黒髪が
揺り椅子の動きに合わせて
静かに波打っている。
華奢でありながら
ただならぬ気配を纏い
表情には微笑の形を浮かべていた。
目は伏せられたまま
何も語らぬように見えながら
その存在感は異常なほど濃かった。
「おはよう。プリンセス・レイチェル」
その声は柔らかく、甘く
絹を撫でるような響き。
けれど、どこか――
蛇が耳元で囁くような
不快な粘りがあった。
レイチェルは息を呑み
喉の奥を震わせながら
ゆっくりと男の顔を見据えた。
「⋯⋯あなたは、誰なの?」
その問いに応えるように
男は目を開いた。
ゆっくりと
下から上へと
持ち上がるように開かれた双眸――
その瞳は、冷えきったアースブルー。
どこまでも透明でありながら
何ひとつ通さぬ氷のような色彩だった。
美しく
そして底知れぬ不気味さを宿した光。
ゆらり――
と、男が立ち上がる。
その動作は一切の無駄がなく
あまりにも滑らかだった。
長く纏められた黒髪がふわりと揺れ
その動きに続くように
彼の背から鈍い音を引いて
大太刀が持ち上がる。
下げられた刃の背が床を擦るたび
ギィ⋯⋯と
金属と石の摩擦音が空間を軋ませ
まるでその刃が
今にも血を求めて呻いているかのように
聞こえる。
彼はそれを意図的に引き摺る。
自らが持つ〝力〟と〝死〟の象徴を
相手にこれでもかと見せつけるかのように。
エメラルドグリーンのレイチェルの瞳と
男の冷ややかなアースブルーが交錯する。
一瞬の火花が、空気の温度すら変えた。
「こんなしがない男の名前なんて
キミは憶えなくても良いんだよ」
男の声は滑らかで
甘やかすように柔らかい。
だが、その奥に潜むものは――
蛇のような毒気。
「⋯⋯あら、残念ね」
レイチェルは小さく鼻を鳴らし
唇の端に皮肉な笑みを浮かべた。
「ねえ?私の王子様は何処にいるの?
派手に私の姿で殴ってくれてたけど⋯⋯」
その目に宿る怒りの光は
隠すことなく燃え上がる。
怯えも、恐怖も無い。
あるのは
愛しい人を踏み躙られた怒りと
反撃の意志だけ。
「キミの王子様なら⋯⋯
もう少しでボクらの
仲間入りするんじゃないかな?」
男の言葉には嘲りが滲む。
けれど
レイチェルは一歩も引かず
真っ直ぐに視線を返す。
「――あんな暴走機関車
あんた達が制御するなんて無理よ。
私でも手を焼くのに」
その言葉に、男の目が一瞬細まる。
アースブルーの双眸に
冷気のような何かが宿った。
「だから
キミにも仲間になってもらいたくて
ご招待させていただいた訳だよ」
「ふーん。それも無理だと思うけど⋯⋯」
レイチェルは
あくまで余裕の笑みを崩さず
冷ややかに問い返した。
「何をしたくて、仲間を集めてるの?」
男は肩を竦めてみせる。
芝居がかった動きは
どこか不自然な滑稽さを伴っている。
「キミ達が護っている⋯⋯
アリアを狩る為だよ」
その言葉に
レイチェルの表情が一瞬だけ鋭くなる。
けれど、すぐに
「やっぱりね」とでも
言いたげな薄ら笑いが浮かぶ。
「無理よ。
あなた達にアリアさんは狩れないわ。
あの人はとてつもなく強いの。
私達に負けるようじゃ、到底無理!」
その言葉に、男の眉がピクリと動いた。
瞬間、張り詰めた空気が鋭さを増す。
「負ける?
囚われのお姫様が
何を言ってるのやら⋯⋯」
男の声は低く
氷のような響きに変わっていた。
「少し⋯⋯
身の程を知った方が良いよ、キミ?」
ゆっくりと
大太刀の刃先が
レイチェルのスカートへと滑り込む。
布地にわずかな圧がかかり
チリ⋯⋯という音と共に
細い切れ目が入る。
「ちょっと!
このスカート、お気に入りなんだけど!」
怒りの混じった声を上げるレイチェルに
男は愉快そうにくすくすと笑った。
その声音は
まるで子どもの玩具に飽きる前の
最後の遊びのようだ。
「キミみたいなお姫様が
こんな男共の巣窟にいたら⋯⋯
どんな怖い目に遭うと思う?」
わざとらしく首を傾げながら
男はにやけた笑みを浮かべた。
「考えを改めるのは⋯⋯今の内だよ?」
その時――
ゾロ⋯⋯ゾロ⋯⋯と
またしても、背後から響く足音。
同じテンポ、同じ重さの音。
暗闇の奥から現れたのは
さらに五人の男。
レイチェルの目が大きく見開かれた。
「⋯⋯どうなってるの?
全員⋯同じ顔⋯⋯っ」
六人の男達の顔は、寸分違わぬ同一。
冷たいアースブルーの瞳が
揃ってレイチェルに向けられている。
その瞳は、人間のものではない。
理性も、感情も、魂すら感じられない。
ただ、機械的な狂気だけが
そこにはあった。
六対の視線が
まるで標的を絞った獣の群れのように
じりじりと
レイチェルの心を削るように――
彼女を見据えていた。