「ねぇ?
今ここに居る人達って⋯⋯これで全員?」
レイチェルの問いに
男は揺らぐ事のない笑みを浮かべたまま
気怠げに肩を竦めて返す。
「おや?
キミ、意外と欲張りなんだね⋯⋯?
お望みなら、後でたくさん集めてあげるよ」
その声音には
あくまでも余裕があった。
自分達が
絶対的な優位に立っていると
信じて疑わない者の口ぶり。
女だから──
可憐だから──
この程度で怯むはずだ、と。
(⋯⋯女だからって
馬鹿にしてくれちゃって⋯イラつくなぁ)
レイチェルの唇が
淡く笑みを浮かべた。
だがその奥には
怒りが煮え滾っていた。
その感情のすべてを
長い息と共に吐き出す。
吐息は静かで、熱く、決意に満ちていた。
「な⋯⋯っ!?」
突如、男達の間に走る驚愕の声。
レイチェルの身体が
その場で一回り大きくなる。
肉付きが変わり、肩幅が広がり
すらりとした四肢が
瞬く間に逞しい肉体へと変貌していく。
服の形が浮き上がるほどに
張り詰めた筋肉。
鋭く光る、琥珀色の瞳。
首に食い込んでいたワイヤーが
ギリギリと悲鳴を上げ
彼の首筋に僅かな裂傷を刻む。
だが──
そんなものは
この身体にとっては無意味だ。
腕をひと振りすれば
鋼のような力で
いとも容易く引きちぎれる。
「ソ、ソーレンだと!?」
男達の声に
恐れと混乱が混じり始める。
そう──
レイチェルは今
ソーレンの姿を完全に再現していた。
その目つき、その構え、その威圧。
内に渦巻く暴風のような存在感までもが
彼そのものだった。
「おら!
お姫様が、ダンスの相手をご所望なんだ。
とっとと来いよ、うすのろな王子様よぉ!」
バケツの上から
軽やかに地面に降り立つその所作さえも
粗雑で無骨
だがどこか優雅な獣のような
風格を帯びていた。
その言葉遣いも、声音も──
レイチェルの面影は跡形も無い。
「な、何故⋯⋯?
コイツ、もしかして
⋯⋯ボスと同じ能力か!?」
背中を凍らせるような声が
男達の中から洩れる。
(ボス⋯⋯?
ソーレンの居場所も気になるし
話を聞く為に、一人は残さなきゃ。
でも⋯⋯
ソーレンのやり方は嫌いなのよねぇ)
ソーレンの姿のまま
レイチェルは唇の端に笑みを刻んだ。
身体がふわりと浮かび上がる。
その掌を掲げると
レッグポーチの中から
空間に無数のダガーが浮かび上がり
鋭い光を反射させながら宙に舞う。
重力操作──
それは本来、ソーレンだけが使える力。
だが
擬態によってその半分を再現した今
レイチェルにも扱える。
(あぁ⋯⋯
意識が、ソーレンに引っ張られる⋯⋯)
(くく⋯⋯
さぁ、どうやって狩ってやろうか)
楽しげに目を細め、ソーレンの顔で嗤う。
腕を振るう──
ただ、それだけでよかった。
空中に散ったダガーが
一瞬にして軌道を変え
男達の足を正確に狙い──
ズズッ──ガッ!
鈍い音と共に、次々と足を貫いた。
太腿、脛、踵。
悲鳴すら間に合わぬ速さで
刃が突き刺さり
動きを封じる。
「が⋯⋯あぁぁっ!」
「足がっ、足が⋯⋯ッ!」
床に血が散り
よろめいた男達が次々と地に伏す。
逃げようにも、立つ事すらできない。
這うしかない。
だがその先に立つのは
ソーレンの姿をした〝死神〟
「もっと、歌ってみせろよ⋯⋯
お姫様の為に、よぉ?」
彼の──
否、彼女の瞳が妖しく輝く。
もうこの場に
男達の逃げ道はどこにも存在しなかった。
擬態化のソーレンが
血に染まりかけた空間をゆっくりと歩く。
ゴツン、ゴツン、と
重みのある足音が床を叩き
その一歩ごとに男達の呼吸が浅くなる。
静かすぎる空間に響く音が
まるで処刑台への
カウントダウンのようだった。
(血を見たくないなぁ⋯⋯)
その心の中で呟かれた声は
甘えた少女のものから
〝暴力〟を愉しみ
〝恐怖〟に美学を見出す
彼のものに染まりつつあった。
嗤う心のままに
獲物をいたぶる獅子のように
レイチェルの意識は
ソーレンのそれへと変質していく。
「⋯⋯はっ!
この王子様は
どんな可愛らしい顔をしてくれるかねぇ?」
覗き込むように
男の前に立つ擬態のソーレン。
その琥珀色の瞳には
もはや情けなど一滴も宿っていない。
その冷徹な眼差しに晒されながら
男は思うだろう──
どうして、あの優しくて
可憐なエメラルドグリーンの瞳ではなく
この地獄のような眼差しに
睨まれているのか⋯⋯を。
だが──遅い。
ソーレンの逞しい腕が伸び
男の首をがっしりと掴み上げる。
まるで壊れかけた人形のように
男の身体が軽々と持ち上がる。
そのまま、圧迫が始まる。
「ぐっ⋯⋯ぶふぅ⋯⋯ッ!」
喉の奥から豚のような声が漏れ
その指先から⋯⋯爪先から⋯⋯
バキッ、ボギッという音と共に
骨が少しずつ折れて紙の如く捲れ
人間という形を失っていく。
「おいおい、どうしたんだよ?
身の程ってもんを
教えてくれるんじゃなかったのか?あぁ?」
耳元で囁かれるその声は
酷く穏やかで
それ故に一層──
恐ろしかった。
「うあああああっ!」
焦ったように
傷の浅かった一人が
よろよろと立ち上がり
大太刀を振りかざして
ソーレンの背後へと斬りかかる。
だが──
バシュッ
刃が触れる直前、見えない壁に阻まれる。
刃先が止まり、音を立てて震える。
ソーレンの背中越しに振り返った
その瞳──
琥珀色が、獣のように鋭く光る。
「⋯⋯ひっ!」
次の瞬間。
重力が男を圧し潰す。
ギリギリギリギリッ⋯⋯!
圧縮機の中に立たされたように
男の身体が捻れながら地面に押し潰され
バキバキと骨が悲鳴を上げ
内臓が破裂するような音が鈍く響いた。
床が血で染まり
肉と骨とが融合するように
男は床の一部と化した。
(そろそろ⋯⋯
ソーレンの擬態をやめなきゃ⋯⋯
戻れなくなる)
冷たい意識が
自我を飲み込みそうになる。
レイチェルは焦りながら
しかし見事に軌道を変える。
ソーレンの姿が縮み始め
骨格が柔らかく戻り
硬質な筋肉が、しなやかな曲線を描く。
金色の髪がふわりと花咲くように揺れ
その流麗な美しさに
男達が一瞬で
──絶望した。
「ひ⋯⋯っ! ア、アリア⋯⋯っっ!!」
震える声が、どこからともなく洩れた。
双眸が静かに開く。
深紅の瞳が
光なき空間を穿つように煌めく。
「⋯⋯散れ。」
その一言は、まるで裁きだった。
美しさと死とを一つにした
〝聖域の呪い〟
その声が男達の耳に届く頃には
すでに紅蓮の炎が彼らを包み込んでいた。
バシュ──ッ!
炎が噴き上がり
断末魔が室内に響き渡る。
喉を焼かれ
肺を裂かれ
皮膚が泡立ち
生きながらにして焼かれる痛みに
声すら出なくなる。
髪が燃え、瞳が溶け
ただ〝燃える〟という恐怖に塗れた者達が
火の中で崩れ落ちていく。
金髪が黒く
瞳が深紅から
再びエメラルドグリーンへ。
レイチェルは元の姿へと戻っていた。
重苦しい沈黙の中で
ただ一人
這って逃げようとする男が残っていた。
血に濡れた手で地を掴み
必死に命乞いを叫ぶ。
「ひ!
ソーレンの居場所を⋯⋯教えてやるっ!
だからぁ⋯っ!」
レイチェルはその前に立ち
あどけない笑顔を浮かべた。
「うん!教えて?」
その声の純粋さに
男は一瞬、現実感を失いそうになる。
だが
今この光景を生み出したのが
その少女自身なのだと──
肌が痛みで告げていた。
「この部屋の⋯⋯真上の部屋だ!
お願いだ⋯⋯話したから、逃がしてくれ!」
「真上ね!
あと⋯⋯ボスって誰?
それも教えてもらわないとね!」
「は、話す⋯⋯ボスの名は
アライン・ゼー──」
ゴッ。
鈍い音と共に、男が目を見開く。
その口から、ブチィ、と肉の裂ける音。
「え⋯っ!?」
見開かれた目のまま
男は──
自らの舌を噛み切っていた。
まるで
自分自身でも驚きを隠せない
そんな表情だった。
血が喉に流れ込み
泡のように口元から溢れる。
身体が痙攣し、そして崩れ落ちていく。
その異様すぎる最期に
レイチェルは思わず息を呑んだ。
その時──
「レイチェル!どこにいる!?」
部屋の外から
確かに聞き覚えのある声──
ソーレンの声が⋯⋯微かに届いた。