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みぅです🤍🥀 第十五話、読み終わりました。 もう、ずっと胸がいっぱいで、何回も読み返しちゃいました。 屋上でエイジがアストルフォに「恋人になってほしい」って言ったところ、すごく綺麗で、ちゃんと自分の言葉で伝えてて…二人の「力加減」って表現、すごく好きです。大事にしたいって気持ちがじんわり伝わってくる。 それに、柳洞くんが「逃げるな」って書いた紙を渡すシーン、不器用だけど優しくて、すごく印象に残りました。 恋人の花が咲いたあとも、沈黙冠の問いは続くんですね…。この先も、読ませてください。
第十五話 恋人という名を、桃色の君へ
朝が来た。
それは、ただの朝だった。
冬木の空は薄く晴れていて、遠坂邸の庭には夜露が残っている。
台所からは味噌汁の香りがして、廊下には士郎が朝食の支度をする音が聞こえる。
世界はいつも通りに動いていた。
時計は秒を刻み、窓の外では鳥が鳴き、街は学校や仕事へ向かう人々の気配で少しずつ目を覚ましている。
だが、遠坂衛二にとって、その朝は特別だった。
今日、言う。
昨日、返事の庭で決めた。
沈黙冠に迫られてではなく。
戦いの勢いでもなく。
誰かの問いに答えるためだけでもなく。
自分の言葉で。
自分の意思で。
アストルフォへ伝える。
好きだと。
そして、その好きに名前をつけたいと。
衛二は自室の窓辺に立ち、左手を見下ろした。
令呪がある。
マスターとサーヴァントを結ぶ証。
その刻印は、これまで何度も衛二に重さを思い出させた。
命じる力。
繋ぎ止める力。
守る力にも、縛る力にもなり得るもの。
だが今日は、その令呪を見ても怖さだけではなかった。
アストルフォは命令で隣にいるのではない。
彼は選んでくれた。
何度も。
地下霊脈で。
返事の庭で。
黒い手の問いの前で。
失う恐怖に揺らいだ時も。
アストルフォは、自分で衛二の手を取ってくれた。
だから今日、衛二も選ぶ。
恐怖ではなく。
束縛でもなく。
曖昧なまま逃げるのでもなく。
ちゃんと、名前を与える。
「エイジ」
扉の向こうから声がした。
アストルフォだ。
衛二の心臓が、少しだけ強く鳴った。
昨日までは何度も聞いた声。
今朝も、いつも通りのはずの声。
それなのに今日は、その一音一音が胸の奥に触れてくる。
「起きてる?」
「ああ」
「入っていい?」
「いいよ」
扉が開く。
アストルフォが顔を出した。
桃色の髪は朝の光を受けて柔らかく輝き、瞳は少し緊張している。
彼も分かっているのだ。
今日が、二人にとって特別な日になることを。
「おはよう、エイジ」
「おはよう、アストルフォ」
二人は少しだけ黙った。
いつもなら、アストルフォがすぐに近づいてきて「手、握っていい?」と聞く。
あるいは「今日のエイジ確認!」と言って、朝から衛二を甘やかしに来る。
けれど今朝は、彼も少し迷っていた。
衛二はその迷いを見て、胸が温かくなった。
アストルフォも怖い。
でも、逃げていない。
だから衛二は、自分から手を差し出した。
「アストルフォ」
「うん」
「手、取ってくれるか」
アストルフォの瞳が揺れた。
それから、ゆっくり笑った。
「もちろん」
彼は衛二の手を取った。
強すぎず。
弱すぎず。
この数日で、二人が覚えた力加減。
「今日の手、どう?」
アストルフォが聞く。
「温かい」
「うん。エイジの手も温かい」
「緊張は?」
「してる」
「俺も」
二人は小さく笑った。
怖い。
けれど、それだけではない。
嬉しい。
温かい。
これから何かが変わる予感がする。
それは恐怖でもあり、希望でもあった。
「エイジ」
「何?」
「今日、どこで言う?」
その問いに、衛二は少しだけ息を止めた。
昨日、彼は言った。
二人で選んだ場所で、自分の言葉で言うと。
その場所を、衛二はずっと考えていた。
冬木大橋。
アストルフォを召喚した場所に近い。
神杯の欠片と戦った場所でもある。
返事の庭。
二人が問いに向き合い、半歩を返した場所。
遠坂邸の部屋。
何度も手を握り、怖い夢から戻り、契約を再確認した場所。
穂群原学園の屋上。
二人が弁当を食べ、名前の話をした場所。
どこも大切だった。
でも衛二は、ひとつだけ決めていた。
「放課後、屋上で」
アストルフォが目を瞬かせる。
「学校の?」
「ああ」
「どうして?」
「普通の日の中で言いたい」
衛二は言った。
「沈黙冠の前でも、戦場でも、魔術の儀式の中でもなくて。学校があって、昼休みがあって、授業が終わって、夕方の空がある。そういう普通の場所で、ちゃんと伝えたい」
アストルフォは黙って聞いていた。
衛二は続ける。
「俺たちの関係は、戦いのためだけにあるわけじゃない。神杯や沈黙冠に答えるためだけでもない。だから、普通の日の中で名前をつけたい」
アストルフォの目が、少し潤んだ。
「エイジ」
「どうかな」
「すごく、いい」
アストルフォはぎゅっと手を握った。
少しだけ強い。
でも痛くない。
「ボク、そこで聞きたい」
「じゃあ、放課後に」
「うん。放課後、屋上で」
二人はその約束を、朝の光の中で結んだ。
◇
朝食の席では、全員が何かを察していた。
凛はあえて何も聞かなかった。
ただ、味噌汁を飲みながら言う。
「今日は放課後まで返事の庭には行かないわ」
衛二は少し驚いた。
「いいの?」
「ええ。庭は反応しているけれど、今すぐ崩れる状態ではない。ユイとミライが朝のうちに外縁観測だけしてくれる」
ユイが頷く。
「今日の問いは、あなたたちの言葉を待っている。先に庭へ行っても、無理に咲かせるだけになるわ」
ミライも静かに言った。
「名前になる前の蕾は、今日、あなたたち自身の言葉で開く」
アストルフォの頬が赤くなる。
衛二も少し視線を落とした。
凛が箸を置く。
「衛二」
「何?」
「言うなら、ちゃんと言いなさい」
「ああ」
「相手に伝わる言葉で」
「分かってる」
「格好つけすぎない」
「……努力する」
「そこは約束」
アストルフォが横から言った。
衛二は彼を見る。
「約束する」
「うん」
士郎が温かい茶を置いた。
「衛二」
「父さん?」
「言葉は、完璧じゃなくていい」
士郎は穏やかに言った。
「ちゃんと相手へ向かっていれば、それで届く」
衛二は静かに頷いた。
「うん」
アストルフォは少しだけ緊張した顔で士郎を見る。
「シロウ、ボクも?」
「ああ」
士郎は優しく笑った。
「アストルフォも、自分の言葉で答えればいい」
「うん」
「それと」
士郎は少しだけ悪戯っぽく言った。
「放課後までに、ちゃんと昼ごはんは食べること。緊張で食べないのは駄目だ」
アストルフォがはっとする。
「そうだ。エイジ、ちゃんとお弁当食べようね!」
「アストルフォもな」
「ボクは食べる!」
その明るさに、食卓の空気が少し和らぐ。
凛も口元を緩めた。
「まあ、今日くらいは甘い空気も見逃すわ」
「母さん」
「今日くらいは、ね」
凛はそう言いながら、衛二の皿に卵焼きを一切れ乗せた。
珍しい。
衛二が驚いていると、凛は視線を逸らした。
「……食べなさい。緊張で倒れられても困るから」
「ありがとう」
凛は答えなかった。
ただ、耳が少し赤かった。
◇
穂群原学園は、いつも通りだった。
それが今日ほどありがたく思えたことはなかった。
教室では、受験の話題が飛び交っている。
誰かが小テストの点数に嘆き、誰かが購買の新作パンについて話し、誰かが部活の後輩からのメッセージを見て笑っている。
世界は、衛二とアストルフォの告白など知らない。
それでいい。
むしろ、それがいい。
この普通の時間の中で、衛二は何度も自分の言葉を考えた。
アストルフォが好きだ。
恋人になってほしい。
隣にいてほしい。
でも命令ではなく、アストルフォ自身に選んでほしい。
何度も頭の中で組み立て、何度も崩した。
綺麗に言おうとすると嘘っぽくなる。
短すぎると足りない。
長すぎると逃げになる気がする。
昼休み前、柳洞悠馬が衛二の席へ来た。
「遠坂」
「何だ?」
「今日は落ち着かないな」
「……そんなに?」
「ああ。かなり」
柳洞は淡々と言った。
霊体化したアストルフォが隣でくすくす笑っている。
『エイジ、顔に出すぎ』
「うるさい」
小声で返すと、柳洞はもう突っ込まなかった。
最近は、衛二が見えない誰かと話していることに慣れつつあるらしい。
柳洞は少しだけ声を落とした。
「今日、言うのか」
衛二は固まる。
「何を」
「それを俺に聞くな」
柳洞は真顔だった。
衛二は観念して息を吐いた。
「……ああ」
「そうか」
「顔に出てたか」
「出てた」
「そんなにか」
「かなり」
容赦がない。
だが、柳洞は少しだけ柔らかい顔になった。
「遠坂」
「何?」
「言葉は、遅すぎるより、少し震えていても届く方がいい」
衛二は目を見開いた。
柳洞は窓の外を見る。
「寺にいると、言えなかった言葉をたくさん見る。上手く言えなかった後悔より、言わなかった後悔の方が長く残ることがある」
「……」
「だから、上手く言おうとしすぎるな」
衛二はしばらく黙っていた。
そして、小さく頷く。
「ありがとう」
「礼はいらない。明日、変な顔で登校されても困る」
「変な顔?」
「言えなかった顔だ」
「それは困るな」
「ああ」
柳洞は少しだけ笑って、自分の席へ戻っていった。
アストルフォが隣で小さく言う。
『いい人だね』
「ああ」
『エイジ、ちょっと楽になった?』
「少し」
『よかった』
衛二は手元のノートを見た。
そこには無意識に、何度も同じ言葉を書いていた。
アストルフォ。
その名前を見て、衛二は静かに息を整えた。
◇
昼休み。
屋上には、まだ行かなかった。
放課後まで取っておきたかったからだ。
代わりに、衛二とアストルフォは旧校舎近くの中庭で弁当を食べた。
旧音楽室で神杯残響と向き合ったことを思い出す場所でもある。
あの時、アストルフォは衛二を抱きしめ、願いの声から戻してくれた。
今では、その記憶も少し遠く感じる。
「エイジ、お弁当食べてる?」
アストルフォが覗き込む。
「食べてる」
「さっきから箸止まってる」
「……食べる」
「よし」
アストルフォは自分の弁当から唐揚げを一つ取り、衛二の弁当に乗せた。
「また増えた」
「告白前回復用」
「そういう分類があるのか」
「あります」
アストルフォは真剣だった。
衛二は唐揚げを食べる。
味はいつも通り美味しい。
それだけで、少し安心する。
「アストルフォは緊張してないのか?」
「してるよ」
「そう見えない」
「見えないようにしてるだけ」
アストルフォは箸を置いた。
そして、自分の胸に手を当てる。
「ここ、朝からずっと忙しい」
「心臓?」
「サーヴァントにも心は忙しくなるのです」
「なるほど」
「でも、嫌な忙しさじゃない」
アストルフォは空を見上げた。
「怖いけど、嬉しい。エイジが今日言うって決めてくれたから。ボクも、ちゃんと答えるって決めたから」
「うん」
「だから、ちゃんと食べる」
「そこに戻るのか」
「大事!」
二人は笑った。
その笑いが、中庭の空気を少し柔らかくした。
食べ終えた後、アストルフォが手を差し出す。
「少しだけ、手」
「放課後まで取っておくんじゃないのか?」
「手は何回握っても大丈夫」
「そういうものか」
「そういうもの!」
衛二はその手を取った。
強すぎず。
弱すぎず。
今日はその力加減が、いつもより大事に思えた。
「エイジ」
「何?」
「放課後、屋上で待ってる」
「一緒に行くんじゃないのか?」
「ううん。ボク、先に行って待つ」
衛二は少し驚いた。
「どうして?」
「エイジが、自分で来てくれるのを待ちたい」
その言葉に、衛二は胸が鳴った。
「逃げないか確認?」
「違うよ」
アストルフォは首を横に振る。
「信じて待ちたいの」
衛二は息を呑んだ。
信じて待つ。
それは、これまで二人が何度も学んできたことだ。
待つことを拒む願い。
動けない願い。
手を拒む願い。
失うことを恐れる願い。
それらに向き合ってきたからこそ、アストルフォは今、衛二を信じて待つと言える。
衛二はその手を握り返した。
「分かった。俺が行く」
「うん」
「必ず」
「待ってる」
◇
放課後。
授業が終わるチャイムが鳴った。
その音は、いつもより澄んで聞こえた。
クラスメイトたちが席を立ち、部活へ向かう者、友人と話す者、塾の時間を気にする者が次々と教室を出ていく。
衛二は席に座ったまま、少しだけ動けなかった。
行く。
屋上へ。
アストルフォが待っている。
ただ、それだけのことなのに、足が重い。
怖い。
拒まれることが怖いのではない。
アストルフォの答えは、きっと分かっている。
それでも怖い。
言葉にした瞬間、今までの関係が変わる。
マスターとサーヴァント。
契約者と英霊。
戦友。
大切な人。
そこへ、恋人という名前が加わる。
嬉しい。
でも怖い。
衛二は拳を握る。
その時、机の上に小さな紙が置かれた。
柳洞だった。
「これは?」
「余計なお世話だ」
紙には短く一言だけ書いてあった。
――逃げるな。
衛二は思わず笑った。
「本当に余計なお世話だな」
「だろう」
柳洞は少しだけ口元を緩める。
「行ってこい」
衛二は紙を握った。
「ああ」
立ち上がる。
教室を出る。
廊下を歩く。
一歩ずつ。
階段へ向かう。
屋上へ続く扉の前で、衛二は足を止めた。
心臓が強く鳴っている。
ここまで来ても、まだ怖い。
衛二は深く息を吸った。
アストルフォの声が聞こえた気がした。
ボクは待ってる。
信じて待つ。
衛二は扉を開けた。
◇
屋上には、夕方の光が満ちていた。
冬の空は淡い金色から薄い青へ変わり始めている。
風は少し冷たい。
フェンスのそばに、アストルフォが立っていた。
桃色の髪が夕陽に透けて、柔らかく輝いている。
彼は衛二が来たことに気づくと、ゆっくり振り返った。
笑っていた。
でも、少しだけ泣きそうな顔でもあった。
「来てくれた」
「約束したから」
「うん」
衛二はアストルフォへ近づく。
半歩。
また半歩。
昨日、返事の庭で返した半歩を、今度は現実で踏み出す。
アストルフォは逃げない。
衛二も逃げない。
二人は屋上の真ん中で向かい合った。
しばらく、言葉が出なかった。
風が吹く。
遠くで部活の声が聞こえる。
校庭では誰かが走っている。
校舎の時計は、普通に時を刻んでいる。
普通の日。
普通の放課後。
その中で、衛二は口を開いた。
「アストルフォ」
「うん」
名前を呼ぶ。
それだけで胸が熱くなる。
「俺は、最初に君を召喚した時、すごく驚いた」
アストルフォが少し目を丸くする。
衛二は続けた。
「いきなり明るくて、距離が近くて、契約記念のぎゅーとか言って抱きついてきて。正直、何が起きてるのか分からなかった」
「……それ、告白の始まり?」
「たぶん」
「ボク、ちょっと恥ずかしい」
「俺も恥ずかしい」
二人は少しだけ笑った。
その笑いで、衛二の緊張がほんの少しほどける。
「でも、あの時からずっと、アストルフォは俺を呼んでくれた」
衛二は言った。
「願いの声に飲まれそうになった時も。神杯に器にされそうになった時も。沈黙冠の問いに沈みそうになった時も。俺が失うのが怖くて間違えそうになった時も」
アストルフォの瞳が揺れる。
「アストルフォは、俺を戻してくれた。命令じゃなくて、自分で俺の隣にいるって言ってくれた」
「うん」
「俺は、それが嬉しかった」
衛二は左手を見る。
令呪。
契約の証。
だが今日伝えたいのは、それではない。
「アストルフォは俺のサーヴァントだ。最高のサーヴァントだ」
アストルフォの頬が赤くなる。
「でも、それだけじゃない」
衛二は顔を上げる。
逃げない。
ちゃんと、相手に伝わる言葉で。
「アストルフォが笑うと、俺も嬉しい。アストルフォが怖がると、俺も怖い。アストルフォが手を握ってくれると、帰ってきた気がする」
アストルフォの瞳に涙が浮かぶ。
「俺は、アストルフォの隣にいたい。戦う時だけじゃなくて、普通の日も。朝ごはんを食べる時も、学校の屋上で弁当を食べる時も、怖い夢を見た後も、何でもない日に笑う時も」
衛二の声が少し震える。
でも、止めなかった。
「アストルフォにとって、俺が特別でありたい」
風が二人の間を通る。
「だから」
衛二は手を差し出した。
命令ではない。
願い。
選んでほしいという、衛二自身の言葉。
「アストルフォ」
「うん」
「俺の恋人になってほしい」
言った。
ついに、言った。
その瞬間、世界が少しだけ静かになった気がした。
沈黙冠の冷たい沈黙ではない。
答えを待つための、温かい沈黙。
アストルフォは衛二を見つめていた。
大きな瞳に涙が溜まっている。
唇が震える。
彼は何度か何かを言おうとして、言葉を詰まらせた。
衛二は待った。
急かさない。
相手の答えを、信じて待つ。
やがて、アストルフォは一歩近づいた。
そして、衛二の差し出した手を取った。
「はい」
小さな声だった。
けれど、はっきり届いた。
「ボクも、エイジの恋人になりたい」
衛二の胸が熱くなる。
アストルフォは涙をこぼしながら、でも笑っていた。
「ボクも、エイジが好き。マスターだからじゃなくて、契約してるからじゃなくて、エイジがエイジだから好き」
「アストルフォ……」
「エイジが怖いって言ってくれるところも、すぐ一人で抱えそうになるのにちゃんと戻ってきてくれるところも、ボクの手を取ってくれるところも、命令じゃなくてお願いしてくれるところも、全部好き」
アストルフォは衛二の手を両手で包んだ。
「ボクも、エイジの特別になりたい」
その言葉に、衛二の目頭が熱くなる。
「もう特別だ」
「でも、今日から名前がつく」
「ああ」
「恋人、なんだよね」
「ああ」
「エイジの恋人?」
「うん」
「ボクの恋人?」
「俺でよければ」
アストルフォは少しだけ頬を膨らませた。
「エイジがいいの」
その言葉が、衛二の胸をまっすぐ貫いた。
アストルフォは一歩近づく。
「ぎゅーしていい?」
衛二は笑った。
「いいよ」
アストルフォは衛二を抱きしめた。
いつものように明るく勢いよくではなく、少しだけ震えながら。
確かめるように。
でも、心から嬉しそうに。
衛二も抱きしめ返した。
強くなりすぎないように。
でも、離したくない気持ちはちゃんと伝わるように。
「力加減、どう?」
衛二が小さく聞く。
アストルフォは衛二の肩に顔を埋めたまま答えた。
「ちょうどいい」
「よかった」
「でも、もう少しだけ強くてもいい」
衛二は少し笑い、ほんの少しだけ腕に力を込めた。
「これくらい?」
「うん。好き」
その言葉が、今までと少し違って聞こえた。
恋人としての「好き」。
名前を得た「好き」。
アストルフォは顔を上げた。
「エイジ」
「何?」
「契約、再確認していい?」
「ああ」
アストルフォは少し背伸びして、衛二の額にそっと唇を触れさせた。
それはいつもの契約再確認。
でも、今日だけは特別だった。
「契約、再確認」
アストルフォは囁く。
「ボクはエイジのサーヴァント。そして、今日からエイジの恋人。命令だからじゃなくて、ボクが選んだから隣にいる。怖い時は手を握る。嬉しい時は一番に伝える。欲張りになったら、ちゃんと話す。力加減を、一緒に探す」
衛二は目を閉じた。
胸の奥に、その言葉を刻む。
「俺も」
衛二はアストルフォの手を握った。
「俺はアストルフォのマスター。そして、今日からアストルフォの恋人。守りたい。でも縛らない。怖い時は命令じゃなくて名前を呼ぶ。アストルフォが選んで隣にいてくれることを信じる。好きが増えたら、ちゃんと伝える」
アストルフォの瞳が潤む。
「増える?」
「増える」
「どれくらい?」
「たぶん、数えられないくらい」
アストルフォは泣きながら笑った。
「エイジ、ずるい……」
「今日も言われた」
「でも、好き」
「俺も好きだよ、アストルフォ」
その言葉を、衛二は今度こそ逃げずに言えた。
アストルフォは嬉しそうに目を細める。
そして、衛二の頬に軽く唇を触れさせた。
ほんの一瞬。
柔らかく、温かい。
衛二は少し驚いたが、嫌ではなかった。
むしろ胸がいっぱいになって、何も言えなくなる。
アストルフォは真っ赤になって言った。
「恋人になった記念」
「……そうか」
「嫌だった?」
「嫌じゃない」
「ほんと?」
「ほんと」
「じゃあ、またいつかする」
「いつか?」
「うん。力加減、大事だから」
衛二は笑ってしまった。
「そこにも力加減があるのか」
「あります」
「じゃあ、一緒に探すか」
「うん!」
二人は屋上で笑った。
夕方の光の中で。
普通の放課後の中で。
遠坂衛二とアストルフォは、恋人になった。
◇
その瞬間。
柳洞寺の地下、返事の庭が揺れた。
白い花々が一斉に光を放つ。
黒い丘の根元にあった「名前になる前の約束」の蕾が、大きく震える。
桃色と蒼の光が、花弁の隙間から溢れ出した。
蕾が開く。
ゆっくりと。
まるで、長い間待っていた言葉を受け取るように。
花は、二色だった。
中心は蒼。
花弁の縁は桃色。
そこに刻まれた言葉は、ただ一つ。
――恋人。
それは、誰かを縛る名前ではなかった。
完璧を求める名前でもなかった。
二人で力加減を探すための名前。
怖さも嬉しさも分け合いながら、隣にいることを選ぶための名前。
ユイは返事の庭の入口で、その花が咲くのを見ていた。
隣にはミライがいる。
凛と士郎も、観測用の礼装越しに庭の変化を確認していた。
ユイの目に涙が浮かぶ。
「咲いた」
ミライが静かに呟く。
「名前が、呪いではなく花になった」
凛は少しだけ微笑んだ。
「やっと言ったのね、あの子」
士郎も穏やかに頷く。
「届いたんだな」
恋人の花が咲く。
すると、その周囲の芽たちも一斉に光を増した。
沈黙の蕾。
時計の芽。
停止の桃色芽。
手の芽。
信頼の芽。
半歩の芽。
それらが、恋人の花を中心に緩やかに繋がっていく。
返事の庭は、新しい形を覚えた。
返事ではなく、沈黙を。
待つことではなく、共に動くことを。
動けない時には隣で止まることを。
手を拒む時には、置いておくことを。
失う恐怖には、束縛ではなく信頼を。
名前を恐れる想いには、逃げない約束を。
そして今日。
名前を得た想いには、選び続ける恋を。
だが、その光は黒い丘にも届いた。
沈黙冠が、大きく震える。
今までで最も強く。
黒い冠の輪郭が、はっきりと形を持つ。
その奥から、低い問いが響いた。
――名を得た想いは、失われた時に何を残す。
ユイの表情が凍る。
ミライが息を呑む。
凛が礼装を握りしめる。
「次が来るわね」
士郎が双剣を投影する。
恋人の花が咲いたことで、返事の庭は強くなった。
しかし同時に、沈黙冠もまた次の問いへ進んだ。
名前を得た想い。
それは、失った時に最も深い痛みを残すものでもある。
◇
屋上では、衛二とアストルフォがまだ手を繋いでいた。
恋人になった。
その事実が、まだ少し信じられない。
アストルフォは何度も衛二を見ては、嬉しそうに笑う。
「エイジ」
「何?」
「恋人って呼んでいい?」
衛二の顔が熱くなる。
「いきなり?」
「呼びたい」
「……いいよ」
アストルフォは少し息を吸った。
「エイジは、ボクの恋人」
言った瞬間、アストルフォの方が真っ赤になった。
「自分で言って照れてる」
「だって、すごい。恋人って、すごい」
「語彙」
「だって!」
アストルフォは嬉しさを抑えきれないように、衛二の手をぶんぶん振った。
「エイジも言って」
「今?」
「今」
衛二は少し視線を逸らした。
でも、逃げない。
そう決めた。
「アストルフォは、俺の恋人」
アストルフォが完全に固まった。
数秒後、彼は衛二の胸にぽすんと額を押しつける。
「だめ……嬉しい……」
「言わせたのはアストルフォだろ」
「言わせてよかった……」
衛二は笑いながら、アストルフォの髪を撫でた。
その時、スマホが震えた。
凛からのメッセージだった。
短い一文。
『言えたなら、二人で一度帰ってきなさい。庭が動いたわ』
衛二の表情が引き締まる。
アストルフォもそれに気づいた。
「返事の庭?」
「ああ。花が咲いたのかもしれない」
「ボクたちの?」
「たぶん」
アストルフォは少し照れたように笑った。
けれどすぐ、真剣な顔になる。
「沈黙冠も動いた?」
「分からない。でも母さんが呼ぶってことは、何かあった」
「行こう」
「ああ」
二人は屋上の扉へ向かう。
その前に、アストルフォが立ち止まった。
「エイジ」
「何?」
「手、繋いだまま行っていい?」
衛二は答えた。
「もちろん」
アストルフォは嬉しそうに笑った。
「恋人だから?」
「それもある」
「他には?」
「俺が繋ぎたいから」
アストルフォはまた顔を赤くした。
「エイジ、恋人になってからずるさ増えてない?」
「たぶん、アストルフォ限定で増えてる」
「だめ、嬉しい」
二人は手を繋いだまま、屋上を後にした。
普通の放課後に名前を得た想いは、すぐに次の戦いへ向かう。
でも、もう二人は昨日までと同じではなかった。
マスターとサーヴァント。
契約者と英霊。
戦友。
大切な人。
そして、恋人。
その名前が、二人の手の間で温かく灯っていた。
◇
遠坂邸へ戻ると、リビングには全員が集まっていた。
凛。
士郎。
ユイ。
ミライ。
柳洞悠馬までいる。
柳洞は衛二を見るなり、少しだけ目を細めた。
「言えた顔だな」
衛二は言葉に詰まる。
アストルフォが隣で元気よく言った。
「言えたよ!」
「アストルフォ!」
柳洞は少し笑った。
「そうか。おめでとう」
その言葉は、静かだが温かかった。
アストルフォは嬉しそうに笑う。
「ありがとう!」
凛は腕を組んで二人を見ていた。
その表情は厳しいようで、どこか柔らかい。
「衛二」
「何?」
「ちゃんと言えた?」
「言えた」
「誤魔化さずに?」
「うん」
「アストルフォ」
「はい!」
「ちゃんと自分の言葉で答えた?」
「答えた!」
「なら、よろしい」
凛はそれだけ言って、ふっと目を逸らした。
しかし、次の瞬間。
「……おめでとう」
小さな声だった。
衛二は目を見開く。
「母さん」
「何よ」
「ありがとう」
「別に。言うべきことを言っただけよ」
士郎はにこやかに二人を見ていた。
「おめでとう、衛二。アストルフォ」
「ありがとう、父さん」
「ありがとう、シロウ!」
ユイも微笑む。
「返事の庭にも、ちゃんと届いたわ」
ミライが続ける。
「恋人の花が咲いた」
アストルフォが顔を赤くする。
「恋人の花……」
衛二も少し照れる。
「本当にそんな名前なんですか?」
「仮称よ」
ユイは少しだけ笑った。
「でも、今はそれでいいと思う」
リビングの空気は温かかった。
けれど、ユイの表情がすぐに引き締まる。
「ただし、沈黙冠も動いた」
空気が変わる。
衛二とアストルフォは手を繋いだまま、表情を引き締めた。
ユイは観測礼装をテーブルに広げる。
そこには、返事の庭の簡易投影が映し出された。
白い花畑。
黒い丘。
その根元に咲いた桃色と蒼の花。
そして、その向こう。
黒い冠が、以前よりもはっきり形を持っている。
「沈黙冠は次の問いへ進んだわ」
ユイが言う。
「名を得た想いは、失われた時に何を残す」
アストルフォの手が、わずかに震えた。
衛二はその震えを感じる。
失うこと。
恋人という名前を得た今、その問いは以前よりも深く刺さる。
凛が静かに言った。
「ここから先は、恋人になったことで強くなる部分と、危うくなる部分の両方が出るわ」
「危うくなる部分……」
衛二が呟く。
ミライが答える。
「名前を得た想いは、輪郭が強くなる。だから沈黙冠にも狙われやすい。失った時の痛みを想像させるだけで、強く揺さぶれる」
アストルフォが衛二の手を握る。
少しだけ強い。
でも痛くない。
衛二も握り返した。
「怖い?」
衛二が聞く。
アストルフォは頷いた。
「怖い」
「俺も」
「でも、逃げない」
「ああ」
アストルフォはまっすぐ衛二を見た。
「恋人になったから、怖さも増えた。でも、嬉しさも増えた」
「うん」
「だから、ちゃんと話す。怖い時は怖いって言う」
「俺も」
凛が二人を見る。
「それができるなら、今は十分よ」
士郎も頷く。
「名前がついたからこそ、言えることもある」
衛二はアストルフォを見る。
恋人。
その名前が、手の中で温かく灯っている。
確かに、怖さは増えた。
でも、それ以上に強くなったものがある。
曖昧に逃げなくていい。
互いに特別だと、ちゃんと呼べる。
大変を半分にするための名前がある。
衛二は静かに言った。
「沈黙冠が次に何を見せても、俺たちはこの名前を逃げ道にはしない」
アストルフォも頷く。
「縛るためにも使わない」
「怖い時は」
「言う」
「手が強すぎたら」
「痛いって言う」
「離れたくない時は」
「離れたくないって言う」
二人の声が重なる。
凛はため息をついた。
「まったく。確認事項がさらに増えたわね」
アストルフォが元気よく言う。
「恋人用の約束書、作る?」
衛二は思わず笑った。
「本当に作るのか」
「作る!」
柳洞がぼそりと言う。
「寺で保管するか?」
「やめてくれ」
リビングに笑いが起きた。
その笑いは、沈黙冠の問いを消すほど大きくはない。
けれど、問いに飲まれないための温度にはなった。
◇
夜。
衛二の自室。
今日だけは、アストルフォがいつもより少し長く部屋にいることを凛は許した。
ただし、条件はいつも通り。
夜更かししない。
異変があれば呼ぶ。
無理をしない。
そして、甘やかしすぎない。
最後の条件に対して、アストルフォはまた真剣に質問した。
「恋人になった後の甘やかし基準は変わりますか?」
凛は頭を抱えた。
結局、士郎が「衛二がちゃんと眠れる範囲で」とまとめた。
そのため今、アストルフォは衛二の隣で少しだけ大人しく座っている。
ただし、手は繋いでいる。
「エイジ」
「何?」
「恋人になったね」
「ああ」
「もう一回言っていい?」
「何を?」
「エイジは、ボクの恋人」
衛二は少し照れた。
「うん」
「エイジも」
「アストルフォは、俺の恋人」
アストルフォは幸せそうに目を細めた。
「すごいね」
「何が?」
「名前って、すごい」
アストルフォは繋いだ手を見つめる。
「手の温度は、昨日と同じなのに。名前がついたら、もっと大事に感じる」
「そうだな」
「でも、ちょっと怖い」
「俺も怖い」
「失いたくないって、もっと思っちゃう」
「俺も」
二人は黙った。
けれど、それは怖い沈黙ではなかった。
言葉を探すための沈黙。
衛二はゆっくり言った。
「失いたくないって思うのは、たぶん消せない」
「うん」
「でも、失いたくないから縛るんじゃなくて、失いたくないから大事にする」
アストルフォが顔を上げる。
「大事にする」
「ああ」
「どうやって?」
「話す。聞く。手の力加減を確かめる。怖い時は隠さない。嬉しい時も隠さない」
アストルフォは少し笑った。
「いつもの約束だ」
「恋人になっても、やることは急に変わらないのかもな」
「でも、名前がついた」
「ああ」
「それが嬉しい」
「俺も嬉しい」
アストルフォは衛二の肩に頭を寄せた。
「エイジ」
「うん」
「恋人としての契約再確認、もう一回していい?」
「今日二回目だぞ」
「今日は特別」
「そうだな」
アストルフォは顔を上げ、衛二の額にそっと唇を触れさせた。
「契約、再確認」
優しく、少しだけ震える声。
「ボクはエイジのサーヴァント。そして、エイジの恋人。エイジの隣に、自分でいる。怖い時も、嬉しい時も、ちゃんと言う。エイジがボクを大事にしてくれるように、ボクもエイジを大事にする」
衛二は目を閉じた。
そして、アストルフォの手を握る。
「俺はアストルフォのマスター。そして、アストルフォの恋人。アストルフォを守りたい。でも、縛らない。隣にいてくれることを当たり前にしない。選んでくれることに、ちゃんとありがとうって言う」
アストルフォの目が潤む。
「ありがとう、エイジ」
「こちらこそ、ありがとう」
「好き」
「俺も好きだよ」
アストルフォは衛二の胸にそっと額を寄せた。
衛二は彼の髪を撫でる。
桃色の髪は柔らかい。
いつもと同じなのに、今日は少しだけ特別に感じた。
恋人になったから。
名前がついたから。
でも、それだけではない。
今日、二人は逃げなかった。
だからこの温度が、特別なのだ。
◇
同じ夜。
柳洞寺の地下。
返事の庭の奥で、恋人の花が静かに揺れていた。
桃色と蒼の花弁が、黒い丘の闇を少しだけ照らしている。
しかし、沈黙冠はその光を見下ろしながら、ゆっくり形を濃くしていた。
名を得た想い。
それは強い。
だからこそ、失われた時に深い影を残す。
黒い丘の奥から、新しい花が芽吹き始める。
それは白でも黒でもない。
灰色の花。
花弁には、まだ文字がない。
ただ、その中心に小さな空洞がある。
失われた後に残る穴。
沈黙冠の問いが、庭の底へ沈んでいく。
――愛した名が失われた時、人はその名をどう呼ぶ。
返事の庭が震えた。
物語は、恋人という名を得て、次の深い問いへ進む。
#異能力バトル
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