「その構え――優月さんは、空手も|嗜《たしな》んでいらっしゃるのかしら?」
「いや、嗜むなんて上等なもんじゃないけどね」
「そうですの――でしたら、オープンフィンガーグローブを着ける時間くらい、待って差し上げますわよ」
「結構。別に殴り合うつもりはないから」
「まあぁ、そうでしょうとも――高校キックボクシング全国大会優勝のわたくしと殴り合うなんて、正気の沙汰ではありませんわっ!!」
一気に間合いを詰め、鋭いジャブがオレの顔面めがけて迫り来る。
「くっ!」
突き出した左拳で、そのジャブを受け流す。
「おーほっほっほっ! そちらに殴り合う気かなくとも、こちらはキッチリ拳で殴り倒して差し上げますわっ!」
お嬢さま式の高笑いと共にシッカリ自分の間合いをキープしつつ、パンチの連打で攻め立てる新鍋さん。
つっ! 思ったより早いし、狙いも正確だ……
オレは迫って来るパンチに対し、手首の内側辺りを狙い垂直に拳を当てて軌道を逸らしていく。
ボクシングのガードとは違う、空手の『捌き』という防御法だ。
「どうしましたっ!? 防戦一方ですわよっ!」
多彩なコンビネーションを繰り出しながら、挑発する新鍋のお嬢さま。しかし、そのセリフとはうらはらに、表情には徐々に焦りの色が浮かんでいった。
「そっちこそどうしたの? 全然当たらないじゃん」
「くっ……」
※※ ※※ ※※
「新鍋……焦りが出てますね」
「そりゃあ、あんだけ打って一発もマトモに当たらなきゃ、焦りもするさ」
詩織の独り言のようなセリフに、絵梨奈が答える。
確かに絵梨奈の言う通り、ここまで数十発の拳打を繰り出している愛理沙だが、まだ一発もクリーンヒットがない。
しかし……
「いいえ……それだけで、あそこまで辛そうな顔はしないわよ」
「ああ、そうだな」
「んん?」
しかし、その答えをかぐやと佳華に否定され、絵梨奈は首を傾げた。
「絵梨奈。愛理沙の手首をよく見てみ」
「ん? 手首? ……って、真っ青じゃねえかっ!?」
そう、佐野のやっている防御法『捌き』とは、ただのディフェンスではなく、打撃の軌道を逸らしつつ腕にダメージを与えていく攻防一体の型なのだ。
「さて、どうする愛理沙……拳打だけじゃ、佐野の防御は崩せないぞ」
※※ ※※ ※※
新鍋さんは、その綺麗な顔を歪めながら一歩下がって、間合いを開けた。
「くっ……無名の新人を相手に足技を使うなんて、少しシャクですが仕方ないですわね――今度は、さっきまでのようには行きませんわよ!」
さっきまでのラッシュにプラスして、今度は蹴りも絡めての攻めを展開するお嬢様。
おおっ? 早い早いっ!
まぁ、確かに言うだけの事はあるけど――少し自信過剰だ。
こうゆうタイプは、自信が慢心に繋がりやすい。佳華先輩の、今のウチに余計な自信をへし折っておくという作戦は正解だ。
「おーほっほっほっ! 今度は本当に手も足も出ないようですわね!」
ブロンドの巻き髪を振り乱し、高笑いでラッシュを続けるお嬢さま。
てゆうかその笑い、少し怖いよ……
「はあーっ!」
掛け声と共に、新鍋さんは左足を大きく振りかぶる。
大振りのローキックか?
オレは、ローキックをカットするために、膝を上げ――
違うっ!? フェイントかっ!?
オレはローキックを無視して左手の手のひらを下に向けて開き、自分のアゴの下に当てる。
直後、開いた手のひらに鈍い鈍痛と衝撃が走った。
「なっ!?」
攻撃を止められた事に目を見開き、驚きの表情を見せるお嬢さま。
い、いってぇ……
この威力、もしアゴに食らっていたらシャレになんなかったぞ。
「わ、わたくしのバニッシュメント・ナックルが……?」
オレの手のひらに衝撃を与えたのは彼女の得意技。死角からノーモーションで飛んで来る『消失する拳』バニッシュメント・ナックル。
実際に受けたのは初めてだけど、確かにパンチの軌道は見えなかった。
では、なぜ見えないパンチを止められたのか――
「目が正直過ぎる! せっかくフェイントを入れているのに、視線が次に殴る所を向いていたんじゃ意味ないよ!」
「くっ……」
「それから驚く気持ちは分かるけど、そこで動きを止めないっ! ガードされたパンチは、放った時と同じ速さ、同じ軌道で元に戻してガードポジションを取る! 特に――」
オレは左手のひらの中にあった拳の手首を右手で掴み、そのまま捻り上げるようハンマーロックに取りながらバックへと回った。
「掴みのあるプロレスでは、簡単に腕をとられるぞ!」
更に左腕を新鍋さんの顔面に回し、チキンウイング・フェスロック(*01)に取る。
「ちょっ、くっ……お、お放しなさいっ!」
「待てと言われて待つドロボーと、放せと言われて放すプロレスラーはいないから」
立ったままで左腕に力を込め、グイグイと顔面を締め付けていく。
さて、このあとは……
リング下に居る佳華先輩へと目を向けるオレ。かぐや達三人と並んで、真剣な表情で試合を見つめている佳華先輩。
オレの視線に気付き、少しだけ考えてから首を横に振った。ちなみに横に居たかぐやは腕を交差させ、胸の前でバツ印を作っている。
まっ、そうだよな……
半ば予想通りの反応。オレは技を掛けたまま斜め後ろに二歩ほど下がり、新鍋さんをマットに座らせた。
「ぐっ! こ、この……この……」
懸命にモガいてフェスロックを外そうとする新鍋さん。マットに尻餅を着く彼女の背中に体重をかけ、首を横に捻る。
「うぅぅぅ……こ、この……」
「闇雲に動くと、余計に技が食い込むぞ。さっき江畑さんがスリーパーをロープまで逃げただろ? あれと同じ感じ。左腕が使えないから少し大変だけど、頑張ってロープまで逃げてみようか」
「ぐぬぅぅ……お、おぼえてらっしゃい……」
新鍋さんは悔しそうな声を出しながらも、指示通りロープを目指し始めた。
※※ ※※ ※※
「先ほど男の娘が、コチラを見ていたようですが……?」
詩織はリングから目を離すことなく、佳華へと問いかけた。
「んっ? ああ――『このまま投げても大丈夫かな?』って目で見てたからな。ルーキーにはちょっと危ないから、一応やめとけって言っといた」
「チキンウイング・フェスロックのまま……? タイガースープレックス99ですか?」
「ああ」
端的に答える佳華。
(*01)チキンウイング・フェスロック
|腕固め《ハンマーロック》と|顔面絞め《フェイスロック》の複合技。
相手の背後から、片腕でハンマーロックを極め、その手を相手の肩口に出す。もう片腕で相手にフェイスロックを掛け、両手をクラッチする。