ベアト商会
海岸線を暫く歩くと、大きな通りに出た。ここで景色が一変する。今まで日本の町家が建ち並ぶ見慣れた風景だったが、通りを挟んだ向こう側は、まるで見知らぬ国だった。
「コレハニホンオオドオリ、ココカラサキハ、ガイコクジンノキョリュウチニナリマス」
その日本大通りによって、関内は綺麗に二分されていた。その通りに直交するように三つの通りが交わっている。海側から海岸通り(ブント)水町通り(ウォータ・ストリート)本町通り(メイン・ストリート)である。
「ワタシノミセハ、ミズマチドオリニアリマス。サア、イキマショウ」
ベアトが先に立って一行を案内した。
やがて二階建ての洋館が長屋のように繋がる一角に着いた。一階は店舗のようだが二階はなんだろう?
「ココデス」
木の階段を二段ほど登ると手摺りの付いた踊り場があり、その奥にドアがある。ベアトはドアを開けて入って行った。
中には西洋人の男達が五、六人忙しく立ち働いていたが、入って来たベアトの姿を見て目を丸くした。それも宜なるかな、ベアトは修験道の格好をしているのだ。
しかし、ベアトが早口の英語で何か捲し立てると、皆肩を竦めてまた元のように働き始めた。どうやら、気にせずに仕事をしろとでも言ったようだ。
「ロバート、イマモドッタヨ!」
ベアトが奥に向かって声をかけると、奥の部屋から男が飛び出して来た。
「ミスタベアト、ブジダッタノデスカ!」
ロバートと呼ばれた男はまだ二十歳前後の若者のようだ、目を丸くして驚いている。
「ハナセバナガクナルネ。ソレヨリ、オキャクサンヲオツレシタヨ、ニカイノオオセツマ二、オチャノジュンビシテ!」
「オキャク?」
若者の質問には答えず、ベアトが外に向かって手招きをした。日本式と違って掌が上を向いている。
「カモン!サア、ハイッテ!」
ゾロゾロと長屋の連中が入って来た。皆、西洋の建物に入るのは初めてで、珍しそうに辺りを見回している。一番驚いたのは、履物のまま中に入れた事だった。皆、そう言うことに慣れていないのでなんだか居心地が悪そうだ。
「邪魔するぜ・・・」一刀斎が最後に入って来た。
「ダ、ダレデス、コノレンチュウハ?」眉根を寄せてロバートがベアトに訊く。
「サッキイッタデショ、ワタシノオキャクサンヨ!」
「デ、デモ・・・」風体もだが、あまりの人数の多さにロバートは面食らっていた。
「ワタシモ、テツダイマス」ローラが菅笠を持ち上げながらロバートに微笑んだ。
「アッ!ミセスローラ!」
「ワタシモ、テツダウワ」
「ルナ!」
「ドウ、ワカラナカッタデショ?」ルナが笑いながらルバートに訊いた。
「オドロイタネ!イッタイドシタノ!」
「ハナシハアトヨ、サア、ミナサンヲニカイニアンナイシテ」
「ハ、ハイ・・・」
訳も分からないまま、とりあえずロバートが全員を二階に案内した。
二階は思いの外広かった。一階が店舗兼事務所で、二階は長いテーブルに背もたれの付いた椅子がたくさん並んでいる。長屋の全員が座ってもまだ何脚か余っていた。
「広ぇなぁ、まるで集会場のようじゃねぇか?」一刀斎が唸った。
「ココハ、タモクテキニツカエルルームデス。トキニハ、ニホンノショウニンタチヲマネイテ、パーティヲヤリマス」
「パー・・・なんだと?」
「パーティ、エンカイノコトデス」
「そ、そうかい・・・」
「ニホンノショウニンハ、ワレワレヲ『ミヨザキユウカク』デセッタイシマス、ワタシハ、ワイフイル、ユウカクイキマセン、ダカラココデパーティシマス」
「関内に遊郭があるのかい?」
「エエ、オランダコウシノヨウセイデ、バクフノガイコクブギョウガツクリマシタ、マッタクヨケイナコトヲ・・・」
「ベアトはローラが怖ぇか?」
「アタリマエデス、ローラオコッタラオニナルネ」
「なるほどなぁ、焼餅は洋の東西を問わねぇか」
ベアトが微妙な表情で頷いた時、階段を登る足音が聞こえてローラが現れた。いつの間にか西洋の服に着替えている。
「サア、ミナサン、ティノヨウイガデキマシタヨ」
両手で持った銀のトレーにティーカップとポットをのせていた。後ろに従ったルナも同じように着替えてポットを抱えている。
「まぁ、二人ともそうしているとまるで西洋人みたいだねぇ!」船頭の女房加代が素っ頓狂な声を上げた。
「何言ってんだい、当たり前じゃないか、二人とも本物の西洋人なんだからさ」大工の女房お豊がすかさずツッコミを入れる。
「そうだったねぇ、すっかり忘れていたよ」
二人の掛け合いに、部屋は一気に笑い声に包まれた。
ベアトがロバートを手招きした。ロバートは紅茶を長屋の連中に配っていたが、後をローラとルナに任せてすぐにやって来た。
「ニホンジンマチニイッテ、コノヒトタチノヤドヲヨヤクシテキテクレナイカ」
「エッ、ゼンインブンデスカ?」
「イットサイとジシンサンハ、ワタシノハウス二オトメスル、ホカノヒトタチノブンヲタノム。モチロンハライハベアトショウカイダゾ」
「ハ、ハイワカリマシタ・・・デスガミスタベアト、ナニガアッタノデスカ?」ロバートが心配そうに訊いた。
「シンパイカケテスマナイ、ロバート。ダガイマハスコシイソグ、オマエガカエッテキタラクワシクハナス」
ロバートの顔がパッと明るくなった、ベアトがいない間その身を案じていたのだろう。
「ラジャー、デハイッテキマス!」
ロバートはサッと身を翻すと、階段を駆け降りて行った。
「すまねぇな」一刀斎がベアトに言った。
「ナァニ、モトワトイエバ、ワタシノマイタタネデス、キニシナイデ」
「ああ、だが、落とし前はキッチリとつけてやるさ」
「ワタシモソノツモリデス」
*******
夕陽が落ちて暫くすると、志麻が戻って来た。その頃には長屋の連中は既に日本人町の旅籠に引き移っている。最後にお梅婆さんが一刀斎に無理はするなと言っていた。なんだかんだ言っても一刀斎達の身を案じているのだ。
「店の方に動きはなかったわ。松金屋辰三の姿も見えなかった」志麻が一応の報告をする。
「だろうな、居たとしたって表に顔を出す事はねぇ筈だ」
「そうだね、動くとしたら夜だろうか?」
「松金屋は必ずグレイトと会うはずじゃ、そっちは銀次の報告を待とう」慈心が言った。
「デハ、ワタシノハウスニイキマショウ。ギンジサンガキタラ、ロバートガシラセテクレルデショウ」
ベアトは既に江戸での出来事を、詳しくロバートに語っている。ロバートは事務所に寝泊まりして一刀斎達の手伝をしてくれる事になっていた。
ベアトの自宅は防砂林を兼ねた街路樹が植えられている海岸通りで、この辺りには塀に囲まれた庭付きの屋敷が多い。ベアトの家も御多分に洩れず立派なものだった。
「こりゃ驚いた、ちょっとした旗本屋敷くれぇの広さはあるな」一刀斎が言った。
通りに面した入口にはヨーロッパ調に装飾された鉄の門が設られており、格子の隙間から見える白壁の二階建ての洋館はなんとも優美な姿を三人の前に現していた。
「素敵、これが西洋のお家なのね・・・」志麻がうっとりと見惚れている。
「儂も長年生きて来たが、こんな建物は初めて見る。長生きはするもんじゃのぅ」慈心が溜息を吐いた。使用人の門番が鉄の門を開けてくれた。
「サァ、エンリョナクハイッテクダサイ」ベアトが三人を中へと誘った。ローラとルナは先に戻っている筈だ。
門から玄関まで二十間ほどあるだろうか、石畳の通路の両側には左右対称に植え込みがなされていて、見たこともない西洋の花が咲いている。
石畳を半分ほど進んだ時、正面の玄関ドアが開いてローラとルナが出て来た。
「ニカイノマドカラ、ミナサンノスガタガミエタモノデスカラ」
ニッコリ笑って三人を出迎えてくれる。
「シマ!ブジダッタノネ!」ルナが志麻に駆け寄った。
「うん、大丈夫だった。心配かけてごめんね」
「ローラ、ミナサンヲリビングニゴアンナイシテ」ベアトが妻に笑いかける。
「ハイ」
「ザンネンダケド、ワタシモキガエテキマス」余程気に入ったのか、ベアトは修験道の衣装を今まで着替えようとしなかったのだ。「アトデロバート二、センコウインサンニカエシニイッテモライマス。ホントニタスカリマシタ」
「ああ、江戸に帰ぇったら俺からも礼を言っとくぜ」
「ヨロシクオネガイシマス」
ベアトは軽くお辞儀をして建物の中へと入って行った。
「サア、マイリマショウ」ローラが先に立って三人を建物の中へと誘った。
*******
最初にビックリしたのは、夜だと言うのに室内が真昼のように明るかった事である。
高い天井から下げられた西洋燭台シャンデリアには、蝋燭が十数本も灯されており効果的に部屋の隅々まで照らし出している。京のお公家さんだってこれほど贅沢な蝋燭の使い方をしてはいないのではないかと思われた。
その下には、重厚な一枚板の広いテーブルが置かれており、背もたれの立った椅子が六脚、規則正しく並べられている。
さらに部屋の奥を見ると、赤煉瓦で作られた暖炉の上にベアトの肖像画が飾られていた。
土足で家の中に入る事と言い、何から何まで違いすぎて、ここが日本である事すら疑わしくなってくる。
ローラに勧められて三人がテーブルについた。
ローラとルナがお茶の準備のために出て行くと、志麻と慈心は物珍しさでキョロキョロと辺りを見回していたが、一刀斎だけは妙に場慣れしている様子でどっかと椅子に腰を下ろしていた。
「一刀斎、なんでそんなに落ち着いて居られるのよ?」志麻が訊いた。
「ん?・・ああ、俺ぁ以前長崎に居た事があってな、何度か西洋人の家に呼ばれた事がある」
「一刀斎、あなたっていったい・・・」
「何者か?・・・だろ。いいじゃねぇか、昔の名前は捨てたんだ。俺は一刀斎、それ以上でも以下でもねぇよ」
「でも・・・」
「志麻、無駄だ、儂も何度か尋ねたが此奴は一切昔の事は語りたがらない。余程嫌な過去なんだろうよ」慈心が諦めろと言うふうに口を挟んだ。
「ふぅん・・・ま、いいや、一刀斎が誰でも、そんな事は私には関係ない事だもんね」
「そう言うこった」
結局、ローラがお茶を持って戻って来たのでこの話はここで立ち消えになった。
その後、ベアトも着替えを済ませて席に着いたので、話は自然に松金屋とグレイト商会の事に移っていった。
「グレィトハキット、トウバクハノシシタチニ、ブキヲウリツケルツモリデス」ベアトが言った。
「えっ!どうして?彼らは攘夷を旗印にしているのでしょう?だったら外国の人からしたら敵じゃない、なぜ敵に武器を売るような真似をするの?」志麻が訊いた。
「ブキショウニンニ、ソンナコトカンケイアリマセン。カレラハジブンガモウカレバイイノデス」
「そんな・・・」
「志麻、武器商人なんてそんなものさ。昔日本と朝鮮半島の関係が微妙だった頃、日本の武器の秘密を敵に売り付けた日本人がいた。日本の弓や刀の性能が良かったからだ。そうすりゃ戦争が長引いてまた日本でも武器が売れる。奴らはそうやって私腹を肥やしていったんだ。敵だ味方だなんて奴らに取っちゃなんの関係も無いんだよ」
「ひどい・・・」
「松金屋はそんな奴らと手を組んで、日本を戦国の世に引き戻して自分たちの市場を拡大しようとしているんだ」
「そんな事許せない!」
「だがな、奴らの思惑はどうであれ、時間は逆戻りはしねぇ」
「じゃあ、戦争は起こらないって事?」
「いや、前に進んでもっと酷い事態になろうとしている」
「だったらどうすれば良いの?」
「俺たちに、いや、人間にできることなんて何もねぇのさ。今から俺たちがやる事だって、焼け石に水、どうだ志麻、それでもやるか?」
「やる!たとえ何も変わらないとしても、ただ指を咥えて見ているよりはマシだわ!」
「そうかい、それを聞いて安心したぜ・・・」
その時、廊下を走る足音がして、部屋にロバートが飛び込んで来た。
「ギンジサンガ、キマシタ!」
ロバートに続いて入って来た銀次は、顔を紅潮させていた。
「兄ぃ!」
あの後、グレイトはひとしきり役人とやり合い、散々凹ませてから悠々と馬に乗って屋敷に帰った。
銀次はその後を尾け、ずっと屋敷を見張っていたのだった。
「銀次、何かわかったのか?」一刀斎が訊いた。
「グレイトが今、松金屋らしき日本人と合ってる」
「なに、どこだ?」
「港崎みよざき遊郭の雁木楼と言う遊女屋でさぁ」
「ガンギロウハ、ミヨザキユウカクデモイチバンノタイロウデス」ベアトが言った。
「確かか?」
「へぇ、暮れ六つ頃屋敷から出てきたグレイトを尾けたら、その店に入りやした」
「直でその遊女屋に入ったのか?普通は茶屋で遊女の迎えを待つはずだろうが?」二流三流の妓楼ならともかく、ベアトが言うように一流の店ならありえない。
「よほど慌てているんでやしょう、そこが怪しくねぇですか?」
「松金屋らしき日本人とは?」
「グレイトが入ったすぐ後に、駕籠でやって来た奴がそうじゃねぇかと・・・いえね、頭巾で顔を隠してやしたから顔は見てねぇんですがね」
「なんでそう思った?」
「お付きの使用人らしき男が、丸に松の文字の入った提灯を持っていやしたから」
「一刀斎、そりゃ松金屋の提灯だ。間違いない」慈心が言った。
「だが、松金屋本人だという確証はねぇ」
「だったらどうする?」
「行って確かめてみるしかねぇだろうな」
「ふっ、そう言うと思った」
「ただ一つ気になる事が・・・」銀次が言った。
「なんでぃ?」
「目つきの悪い男達が十人ほど雁木楼がんぎろうの周りをうろついてやがるんで」
「店の中には入っていないのか?」一刀斎が訊く。
「雁木楼は格式のある妓楼だ、さすがにそんな奴らは入れやしねぇ。だが、いざとなったら力ずくでも店に雪崩なだれ込んでくるに違ぇねえ」
「ワタシモイキマス!」ベアトが言った。
「いや、行くのは俺たち三人だ。ベアトはここで待っているんだ」
「ナゼデス?」
「お前ぇさんには家族がいるんだ、今お前ぇが役人に捕まりでもしたら、知らぬ他国で可愛い妻子を路頭に迷わせる事になるんだぜ!」
「ダケドイットサイ、ワタシハ・・・!」
「絶対ぇ駄目だ!!」
一刀斎の気迫に、さすがのベアトも口を閉じざるを得ない。
「兄ぃ、俺は行くぜ!」銀次が言った。「俺には家族はいねぇんだ、いいだろ?」
「ちっ、しょうがねぇ・・・」
「よし、そうと決まれば早速行きやしょう、案内しやす!」
「ユウカクニイクナラ、パークヲトオッテイッタホウガメダタナイ」同行を諦めたのか、ベアトが言った。
「パークってのはなんだい?」
「コウエン・・・ヒロバミタイナモノデス」
「広場?・・・まぁ行けばわかるか」
一刀斎と慈心、それに志麻と銀次は不服そうなベアトを残して、洋館を後にした。
四人は既に陽の落ちた水町通りを足早に通り過ぎた。日本大通りを横切るとそこは日本人町だ。
グレイトが向かったという港崎みよざき遊郭は日本人町の北側に位置している。
日本大通りを北上すると正面に開けた神社の境内のような場所が見えて来た。
「あれがベアトの言っていたパークっていうやつか?」
「そのようですぜ兄ぃ」
四人は周囲に人がいないことを確かめると、早足でパークに入って行った。
「ちょっと待て・・・」
パークの中央にある大きな欅のところまで来た時、慈心が皆を止めた。
「どうした爺さん、何かあったのか?」一刀斎が訊く。
「雁木楼は一見さんお断りの大籬ではないのか?」
「そうだろうよ」
「なら儂らは入れぬではないか、どうやって雁木楼に乗り込むつもりじゃ?」慈心が腕組みをして一刀斎を見る。
「俺に良い考えがある・・・」そう言って一刀斎が志麻を振り返った。
「志麻、お前ぇ遊女になれ!」
「えっ!なんで私が遊女に・・・」志麻が目を丸くして一刀斎を見た。
「馬鹿、もちろん芝居だよ。俺が女衒になってお前ぇを雁木楼に売りに行くんだ」
「そうか、薬売りの中には女衒を兼ねてる怪しい奴が大勢いるからな。兄ぃそりゃ良い考ぇだ」銀次がパンと膝を打つ。
「確かに、それなら雁木楼の中には入れるな」慈心がしたり顔で頷いた。
「で、でも私自信が・・・」
「大ぇ丈夫だ、お前ぇならきっと彼方さんの食指は動く。それに建物の中に入っちまえば後はこっちのもんだ」
「一刀斎、儂らはどうする?」
「爺さんと銀次は雁木楼の格子でも眺めて妓女を品定めするフリでもしていて居てくれ。そうして中で騒動が起こったら間髪を入れずに突入するんだ」
「分かった、くれぐれも無理をせんようにな」
「ああ、なるべく見世の者達には怪我をさせぬよう気をつけよう」
そうと話が決まれば、後は二組に分かれて雁木楼に向かうことにする。
先に志麻と一刀斎がパークを出て、慈心と銀次は間を置いて二人の後を追う事となった。
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