一週間後―――
本格的に強くなってきた夏の日差しの中、
孤児院の前で用意された馬車に子供たちが
乗り込んでいく。
例の件―――
ファム令嬢・クロート子息を代表として、
足踏み踊りの子供たちが王都へ行くためだ。
まずはポップ君・ニコちゃんを含めた6名ほどが
伯爵家まで向かい、そこでドーン伯爵一家と合流、
後に王都滞在用のお屋敷まで行く予定だという。
「おう、シン。留守を頼んだぞ」
「よろしくお願いします」
今回の王都行きには、ギルド長であるジャンさんと
孤児院の院長であるリベラさんも同行する。
これを機に、ジャンさんには伯爵様と関係修復を
してもらいたいという意図もある。
また、新しくシルバークラスになったギル君と
ルーチェさんも、王都のギルドに一度顔を見せた方が
いいという事で護衛として参加。
例の幼馴染3人組―――
カート君、バン君、そしてリーリエさんは、まだ
しばらく孤児院専属の警備をしてもらう事になった。
言い出しっぺの私も、王都に同行してはという話が
出たのだが、グランツ襲撃の一件もあり―――
『ギルド長か、ジャイアント・ボーア殺しの
どちらかが町にいれば何か起きても何とかなる』
という意見が出たのと、
『肉や魚の供給が滞るのでは』という意見が出て、
私の王都行きはストップした。
まあ、あまり目立ちたくは無いし、出来れば行く気は
無かったわけだけど……
こうして、私は彼らを見送ると―――
その足で今度は冒険者ギルドへと向かった。
「ホラホラ。
早く目を通してください、レイドさん。
書類はまだまだあるんですよ?」
「ちょっ、ミリアさん!
初日から飛ばし過ぎじゃないッスか!?」
私が支部長室に通されると、そこには―――
膨大な書類との格闘を強いられているレイド君と、
それの指導・サポートに回るミリアさんがいた。
「これくらいで音を上げてどーするの?
ギルド長『代理』?」
「あのオッサン、マジでこれやってたッスか……」
入って来た私にも気付かないほど忙しいようで、
手をひらひらとさせると、ようやく2人の視線が
こちらへ向く。
「あ! シンさん!」
「失礼しましたッス!」
わたわたと出迎える彼らを手で制して、
「あ、いえ。そのままでいいですよ。
それと、王都行きの馬車の見送りが
終わったので」
用件はそれと様子見だけだったのだが―――
しかし、レイド君が救いを求めるような視線を
送ってきていたので……
「ちょっと一息入れませんか?
一応、今後の確認もありますから」
待ってましたとばかりにレイド君はその場から
ダッシュで、いつもの応接用のソファに座る。
「……はぁ。
まあ、仕方ないですね」
そしてミリアさんは近場にあったティーセットに
手を伸ばすと、それをテーブルの上に置いて彼の
隣りに座った。
「なかなか大変そうですね。
ギルド長『代理』は―――」
「ミリアさんが少し厳し過ぎるッスよ。
俺も見送りくらいしたかったッスのに」
それを聞いて、飲みかけたカップを口元から
離しながら、ミリアさんは答える。
「どうせ見送りした後、孤児院の中に逃げ込んで
時間潰すつもりだったでしょ?
何才からあなたの面倒見て来たと思ってるのよ。
行動パターンは全部お見通しだわ」
「うぐぅ」
小さい頃からの力関係ってそうそう変わらない
からなあ……
しかもお世話してくれた年上の女性には、
ずっと頭が上がらないものだ。
相思相愛っぽいけど、尻に敷かれるのは確定だろう。
レイド君、頑張ってください。
「でも普段は誰が代理を?
今までもジャンさんが、町を離れる事って
普通にありましたよね?」
私が異世界へ来てからも、領主様の私兵訓練とかで
不在の時はあったはずだが―――
「その時はアタシがやっていたんです。
どうしてもギルド長の決裁が必要な書類は、
あとでまとめてやってもらいました」
「では何で今回はレイド君に?」
私が首を傾げながら質問すると、
「それはシンさんのせい―――
いえ、おかげかと」
「??」
彼女の答えが理解出来ずに困惑していると、
当事者の彼が口を開き、
「あー、シンさんが教えてくれた風魔法ッスよ。
俺が持っていた移動速度強化、
範囲索敵・隠密……
それに誘導攻撃まで加わった事で―――
この西地区ギルド長の後継が確定したわけッス。
で、いい機会だからって事で……
ギルド長『代理』としての勉強も兼ねての苦行を
強制されてるッス……」
なるほど。
あのブーメランって、かなり影響あったんだな。
「ちょうどいいわよ。
ギルド長のすごさとありがたさを身を以て
知っておきなさい」
こうして見ると―――
レイド君がギルド長で、ミリアさんがサポートなら
問題ないような気がする。
ジャンさんが年齢で引退したとしても、ミリアさんは
まだまだ若いからギルドに残るだろうし。
「そういえばギルド長『代理』……
まだ残っているブロンズクラスっていますか?」
今回の件に関して、私に取っての問題は
こちらで―――
今や私の魚獲りや狩猟は、身体強化持ちの手伝い
あっての事で、結構な死活問題なのだ。
「あー、シンさんの荷物運び係でしたっけ。
ギルとルーチェが護衛に行っちゃったんスよねえ。
カートたちも今は孤児院に張り付いて警備して
もらっているッスから―――
まあ適当に、何人か見繕って行かせるッス」
「こらっ!!」
ミリアさんの怒る声に、ビクッとして姿勢を正す
レイド君。
これじゃ弟というより、子供だなあと思ってしまう。
しかし、身長180cm超の男性が、160cm
そこそこの女性に叱られて小さくなる構図はなかなか
シュールだ。
「まったく……
まあ、ブロンズクラスに依頼を出したいのなら、
問題は無いと思いますが」
それはありがたい。
……が、ギルドを通じて、私も結構仕事を作って
いると思ったのだが―――
まだ仕事にあぶれている人ってそんなにいたっけ?
そんな私の疑問を察したのか、質問するより先に
彼女が口を開いた。
「出て行かないんですよ」
「??」
私がその言葉の意味を分かりかねていると、今度は
隣りの彼が語り出した。
「えーっとッスねえ。
このギルドに登録している冒険者は今、60人
くらいなんスけど―――
当然ヨソから流れて来た連中もいるッス。
で、そういうのが町から出たり入ったりして、
人数が上下するッス。でも……」
「最近……というよりシンさんが来てからですか。
ほとんどこの町から出て行こうとしないんですよ。
よっぽど居心地がいいのか―――
ここを拠点とする冒険者も増えてきてまして」
ううむ。私はただ生活レベルの全体的な底上げを
目指しただけなのだが―――
もしそれらの事で悪影響が出たりしたら、それも
対応策を考えなければ。
「取り敢えず荷物持ちは2名でいいッスね?
依頼料は1日金貨1枚、他の人と同じ条件で。
それで手配しておくッス」
「はい。それで大丈夫です。
それと、例のアレについても、いつでも使えるよう
よろしくお願いします」
私の言葉に、目の前の若い男女は顔をいったん
見合わせ、また私に向き直る。
「あ、はい。
水魔法が使える人間と一緒に、スタンバイは
しておりますので」
「職人さんに作ってもらったやつッスか。
言われた通り、町の数か所にも設置したッス。
指導もシンさんの通達通りに!」
彼らの答えに、ホッと一息付く。
「出来れば役に立つ機会が無い事を願いますが……
では、私はこれで失礼します」
そうして一礼すると、彼らもペコリと頭を下げ―――
私は退室のために出入口のドアへ向かった。
「さぁてギルド長『代理』?
まだ今日の分は半分も終わってないんだから、
キリキリやってください♪」
「はい……」
背後は何やら悲惨な空気が流れているが……
私に出来る事は何も無い。
レイド君の健闘を祈りつつ、冒険者ギルドを
後にした。
―――翌日。
最近の漁や狩猟は遠征がメインになっていたが、
新人2名に仕事を覚えてもらうため、近くの川で
カゴ網漁をしていた。
1人は私とそう年齢が変わらなそうな男性で、
ただし筋肉質の体が、ベテラン冒険者としての
人生を物語る。
もう1人はさらに年齢が上の方で……
ギルド長と同じかもう少し上だろうか。
60才未満だと思うが……
ただやはり冒険者としての生活が長かったためか、
あちこちにある古傷が、歴戦のツワモノといった
雰囲気を醸し出す。
名前は、私と年が近い方がブロックさんで、
離れている方がダンダーさんとの事。
「暑いので、こまめにお水を飲んでくださいねー。
気分が悪くなったらすぐ言ってください」
一通り仕掛けを終えて川から上がってきた2人に、
私が声をかけると、
「いや、シンさん。
俺たちは雇われなんですから、そうていねいな
言葉使いはしなくていいですぜ」
「そうそう。
ワシらはこうして仕事がもらえるだけでも、
ありがたいしの」
私はポリポリと頭をかいて、
「いえ、まあ性格ですから気にしないでください」
川辺で3人で一息付く。
まだお昼には早く、待ち時間はのんびりした空気が
流れていく。
「そういえばシンさん―――
あの鳥の飼育施設だが、何であんな場所に
作ったんだい?」
ブロックさんが沈黙を破り、何気なく
話し掛けてきた。
「あー……町の外でも良かったんですけど。
鳥を狙って魔物や野生動物が来たら危険かなって」
すると今度はダンダーさんが首を傾げて、
「町中でいいんだったら、南側の農地では
ダメだったんかいの?
ワシらは普段あそこで働いておるのだが……
あそこなら、まだまだ土地は余っていたと
思うがの」
彼の言葉を聞いて、しばし魂を宇宙に飛ばして
情報を整理する。
うん。そういえば穀物と芋類は普通に食べてた。
そして町の周辺で農地らしい場所を見た事は
無かった。
町の北側は伯爵の御用商人の拠点があり、他にも
住宅が立ち並んでいた、居住区域。
東側は冒険者ギルドや職人さんたちがいる、
お役所と工業を合わせたような区域。
西側はロンさんやマイルさんが門番を担当していて、
宿屋『クラン』にも近い飲食店も多数ある商業区域。
そしてまだ行った事の無い南側が―――
農業区域だったというわけで……
誰か教えてくれても、とも思うが、そもそも
卵のための鳥の飼育という概念自体が無かったし、
初めて作る施設の説明で頭がいっぱいで……
他にも誘拐事件とかいろいろな事が起きたし……
まあどんなに言い訳を考えたところで―――
すでに異世界に住んで半年以上も経つのに、
町の事を把握してなかった
自 分 が 悪 い
んですけどね。
そしていつの間にか、職場と家を往復するだけの、
地球と変わらない生活パターンになっていたのかと
思うと正直へこむ。
「お、おい。大丈夫かシンさん?」
「気分でも悪くなったんかいの?」
がっくりと肩を落とす私に、ブロックさんと
ダンダーさんが心配して声をかけてきた。
「あ、いえ。大丈夫です」
しかしこれで、次に飼育部屋を作る時の場所の
選定には困らなくなったわけだ。
それがせめてもの救いと思えば……ん?
「普段あそこで働いているというのは―――
農業をしてらっしゃるんですか?」
すると2人は私の質問に苦笑しながら、
「なに、手伝いだけだよ。
植えるにしろ収穫するにしろ運ぶにしろ、
人手はいるし―――
身体強化さえ使えれば出来る事だからさ」
「冬以外であれば結構募集しておるからな。
まあ冒険者らしくない仕事かも知れんがの」
ふむ―――という事は……
2人はあくまでも臨時の手伝いだし、今後の事を
考えて、キープしておいた方がいいかも。
「あの、確定では無いんですけど―――
もし農地にあの飼育部屋を新たに作ったら、
そこで働いてもらう事は可能ですか?
もちろん農地の手伝いは同時に引き受けても
構いません」
その提案に2人は顔を見合わせて、
「そりゃ俺たちに取っちゃ、願ってもない
話だけど……
俺は身体強化と、弱い土魔法しか使えないん
ですぜ?」
「ワシも出来るのは身体強化と、水魔法が少々……
それでもいいのなら」
基本的には鳥のお世話をして欲しいだけだから、
全く問題はない。
「では、その時が来たら改めてお願いします。
―――そろそろ、カゴを確認してみましょう」
引き上げるではなく確認、と言ったのは、
実際に魚が入る物だという事を認識してもらうのと、
いったん引き上げたらすぐに町に戻らなければ
ならないからだ。
予定としては、午前中は魚獲りをして川で昼食、
その後宿屋へ魚を送り届けた後、今度は川向こうの
森へ入って鳥を捕まえる事になっている。
なので、ひとまずは確認してもらった後、
この場で昼食を取る事にした。
「アレで魚を獲っているとは聞いていたけど……
実際にこの目で見るまで信じていませんでしたぜ」
「本当に、長生きはするものだのう。
こんな魔法があるとは」
そういう仕掛けで、地球では常識的なものなのだが、
魔法主体の世界の彼らに取っては、やはり未知の
出来事らしく……
2人とも、『今までに見た事が無い魔法』という事で
納得しつつ、川から上がってきた。
「ではお昼はこれで―――」
と、2人に例のツナマヨもどきサンドと
鳥マヨサンドを、1個ずつ手渡す。
「う、うぉう!?
いいのかい、これを1人で」
「あれ?
依頼は賄い付きだと聞いてませんでしたか?」
「聞いてはおったがの。
こんなに豪勢な物が出てくるとは、思っても
みなかったのう」
そして3人で昼食タイムに入り―――
私はまた、彼らからいろいろと情報を引き出した。
ひとつは農業の事だ。
話を聞く限り、地球のひと昔前の農法で作物を
作っている。
農作物そのものが、あまり手が掛からないというのも
あるだろうが―――
せいぜい水やりくらいしか、魔法の手が入っている
部分が無い。
「あのー、一気に農作物が出来る魔法って
無いんですか?
何かこう、バーッと」
そう私が聞いた時、無言の―――
『あるわけないじゃん……』という
ブロックさんの視線と、
『この人、何を考えているのかのう……』という
ダンダーさんの眼差しは軽く黒歴史となり、
私の心の中の嫌箱にしまう事にする。
それはともかくとして―――
『魔法の手が入らない』部分は明確に存在し、
そこは改良の余地があるという事だ。
例えば家屋もそうだが―――
魔法でポンッと出来上がるような建築物はなく、
カゴやコップなどの小物、また衣類も魔法とは
関係の無い技術者、職人が作っている。
魔法が使えれば、多少は切ったり加工したりは
するだろうが。
それを考えると、地球にあった3Dプリンターの方が
よほど魔法に近いだろう。
まだまだこの世界について、知らない事が多いのを
実感した私は―――
昼食後しばらく休んでから、いったん魚を宿屋へ
運んでもらう事にした。
「おー、シンさん」
「また大量だね」
今日は魚を獲る日なので、宿屋でリーベンさんと
メルさんが待機していた。
2人で一度に30匹ずつ―――
60匹を渡し、主導権をクレアージュさんに渡す。
「またお願いしても構いませんか?」
「あいよ。
いつも通り適当に一夜干しを作って―――
それと、孤児院に届ける分の料理を作るんだね?」
最近は、このように加工も女将さんに任せるように
なっていた。
もちろん有料ではあるが―――
どちらにしろ料理は女将さんにしてもらわなければ
ならないし、一夜干しも時間的なロスを考えると、
彼女に手伝ってもらうのが一番コストが低くなる
からである。
「今日のところは、魚はこれで終わりですので」
「ん? そーなんだ?」
メルさんが軽い感じで返してきて―――
一応、事情は説明しておく。
「臨時で手伝ってもらっている、ブロックさんと
ダンダーさんに、仕事を覚えてもらおうかと
思って。
今日は初日なので、魚も鳥も実際に獲ってみて、
運んでもらおうかと」
あくまでも今回は臨時だが、今後また頼む機会が
来ないとも限らない。
一通り覚えてもらって損は無いだろう。
私は3人にあいさつして宿屋を後にし―――
川向こうの森へ向かう事にした。
「そんで、今度はこのカゴ……
こんなんで本当に獲れるんですかい?
まあ獲れるから今までも町で、肉が食えた
わけですが」
「鳥を獲るのも設置系の魔法か―――
これも初めて見る魔法だ。
しかしシンさん、疲れないんですかの?」
やはりというか、狩猟は魔法の範囲内でしか
ないので、それに基づいた疑問をぶつけてくる。
「じょ、常時発動系の魔法ではありませんので。
一回かけておけば、それだけで数時間は持つ
タイプの魔法です」
2人ともその説明だけで、『ほー』『なるほど』と
納得してくれたいいのかそれで。
そして川と同じく―――
『待ち』の時間に入った。
「これで待ってりゃ、鳥が来るんですかい?」
「はい。あの仕掛けから離れて、こっちが大人しく
していれば―――」
「道具と組み合わせるとは聞いておったが……
本当に面白い魔法だのう」
罠をあちこちに仕掛け、その中心に陣取って
待機する。
また何か情報収集でも兼ねて話を―――
そう思った時、森がざわついた。
「―――!?」
鳥が現れた。
しかしそれは想定していたものではなく―――
何十羽もの群れが、いきなり蜘蛛の子を散らすように
四方八方へ飛んでいく。
「シ、シンさん!
これが魔法ですかい!?」
はい当然違います。
異常です緊急事態です。
まさかジャイアント・ボーアでもまた出たか?
状況を把握するため、周囲を見渡す。
と、うっそうとした森の中、さらに影が濃くなった。
「2人とも、離れてください!!」
私の言葉にとっさに反応したブロックさんは、
すぐにバックダッシュのように距離を取ったが、
ダンダーさんは突然の事に、まず立ち上がる事すら
おぼつかない。
私は彼にタックルのように飛び掛かると、
抱え上げたまま前方へ―――
野球のヘッドスライディングのように倒れ込んだ。
そしてその背後で木の枝がベキベキと折れる音と、
何かの衝撃音がセットで発生した。
「一体何が―――」
振り返ると、土煙の中に6メートルほどの何かが
横たわっていた。
「ド、ドラゴン……!?」
ブロックさんが恐る恐る近付いてきた。
そう、あの『ドラゴン』である。
爬虫類を思わせる体に、コウモリのような翼。
するどい爪に牙、そしてウロコに覆われた全身は、
否応にも高い防御力を思わせる。
それが仰向けになって倒れていた。
「ピー、ピィー……」
「んっ?」
よく見ると、ドラゴンが前足で大事そうに抱えている
何かがあった。
小さなドラゴンだ……
体長は3、40cmほど、小型犬くらいの
大きさで―――
とするとこの2匹は親子だろうか。
「シ、シンさん!
あれを!」
と、倒れたままのダンダーさんの声に振り向き、
見上げている彼の視線を追う。
上空30メートルほどだろうか、2メートルほどの
細長い何かが、複数飛び交っている。
「ま、マジか!?
ありゃワイバーンだ!!」
おお、あれがワイバーンとやらか。
思ったより小さいんだな。
「ブ、ブロック! シンさん!
早く逃げるんだ!
ブレスを吐かれたらひとたまりもない!」
倒れたままのダンダーさんが叫ぶ。
その言葉に足元へ目をやると、なるほどドラゴンの
体には、それで付けられたと思しき火傷のような跡が
いくつか見られた。
という事は、このドラゴンを撃墜したのは上にいる
彼らという事か……
ダンダーさんが『逃げてくれ』と言ったのは、
自分の事は置いて行け、というのと同義だろう。
つまりそれだけの危険が迫っているという事だ。
確かに、このドラゴンにとどめを差しに来る
可能性は十分に考えられる。
だが、ブレスという事は遠距離攻撃だろう。
ここを逃げたところで、あの飛行する生物から
逃げられるという保証はない。
「くっ、くそっ!
シンさん、どうする!?」
そう言いながらも逃げ出していないブロックさんに、
私は取り敢えず指示を出す。
「あ、ブロックさんはダンダーさんをお願いします。
多分、何とかなると思いますから」
ポカン、と口を開ける2人を置いて、
私は上空を見上げた。
すでに勝利を確信しているのか、数体のワイバーンが
こちらへ向かって口を開く。
吐いてくるのは火炎放射器のような炎か、それとも
核となる弾に火をまとったものか―――
だが、どちらもそんな事は
・・・・・
あり得ない。
火炎放射器タイプであれば、まずは燃焼性の液体を
放出、それに着火しなければならない。
弾に火をまとったタイプだとしても、発火するだけの
素材と熱量、着火させる仕組みが必要となる。
さらに、体内から吐き出すのであれば、燃焼に
耐えうる構造になっていなければならず―――
「キイィッ!?」
「ケエェエッ!?」
上空では、思った通りの事が起こらない現実に
混乱しているのか、困惑したようなワイバーンの
鳴き声が聞こえてくる。
そして、改めて彼らの体を確認する。
遠目からでもわかるドラゴンとの違い―――
それは、羽と前足が一体化した、文字通りこちらは
コウモリのような翼になっている。
それ以外はいかにも屈強そうな筋肉と骨格、後ろ足に
生える凶悪そうな爪、爬虫類を思わせるウロコは、
地面に転がっているドラゴンとほぼ変わらない。
体長はやはり2メートル、尻尾まで入れると
3メートルほどか。
体重も地上の生物と比べれば若干軽いが、それでも
30kgは下らないだろう。
・・・・・
だが―――空を飛ぶにはあり得ない重量だ。
鳥がなぜ空を飛べるのか。
それは骨を空洞化させてまでの徹底した軽量化にある。
それが、あれだけの筋肉と骨格をしたワイバーンに
可能なはずはない。
地球にも古代にプテラノドンという
翼竜がいたが、8メートルほどの体長に
中型の犬程度の重量しかなく、それですら
滑空する事しか出来なかっただろう、
と言われている。
つまり……
彼らが今、空を飛んでいるという事自体が―――
「キイェエエッ!?」
「ケェーッ!! ケエェエエッ!!」
そして半径5メートルほどの範囲に、羽ばたきながら
ワイバーンは次々と墜落した。
時間にして3秒ほどだっただろうか。
上空30メートルの高さから、30kgの物体が
落下すれば―――
しかもそれが生物であれば、生存確率はほぼ無いと
言っていいだろう。
こちらに敵意を向ける生物たちが沈黙した後―――
やっと静寂が森に戻ってきた。
「シ、シンさん……!」
「どうやってワイバーンを―――」
ブロックさんと、ようやく起き上がった
ダンダーさんがこちらに近寄ってくる。
と、その時―――
私と彼らの間に、巨体が身を起こして合流を
分断した。
最初に落ちて来たドラゴンだ。
ところどころ、火傷でボロボロになったウロコが
痛々しく……
その手には大事そうに、子供と思われるドラゴンを
抱いている。
子供もケガをしたのか?
しかしそちらには外傷らしいものは見られない。
「わいばーんドモニハ不覚ヲ取ッタガ……
人間ゴトキニ、ヤラレハセヌ……!」
我が子を守りたい一心なのだろう。
しかし、言葉がわかるという事は、意思疎通が
可能なはず―――
「落ち着いてください。ワイバーンはもういません。
こちらに危害を加える意図はありません。
あなたに対する敵意は無い。
もしこちらに攻撃を加えるなら、あなたは死ぬ事に
なります。
子供がいるのなら、行動は慎重にお願いします」
「…………」
ドラゴンと私はしばらく対峙していたが、やがて
それに疲れたというふうに、目の前の巨体は全身を
ゆっくりと揺らし、
「……倒シタノカ、アノわいばーんドモヲ……」
「それよりお子さんが苦しそうですが、どこか
ケガを?」
するとドラゴンは腰を落とし、抱いたままの状態では
あるが、子供がより見えるような姿勢を取る。
「……ワカラン。急ニグッタリトナッタノダ」
「触ってもいいですか?」
特に抵抗もなく、観念したかのように
子供を差し出す。
その体に触れてみると―――
「……熱い?」
そのまま、抱いている親ドラゴンの手にも触れて
みるが、明らかに体温が違う。
まさかこれは―――
「ブロックさん!
土魔法が使えるんですよね!?
これくらいの窪みを地面に作れますか?」
私は手を広げて大きさを指定し、その魔法の
実行を促す。
「あ、ああ。出来るが」
「すぐにお願いします!
ダンダーさん、窪みが出来たら、水魔法で
その窪みを満たしてください!」
そのやり取りの意図を分かりかねているのか、
ドラゴンが不安そうに口を開く。
「何ダト言ウノダ?
我ガ子ニ何ガ起キテイルノカ、ワカルノカ?」
「説明は後でします!
とにかく子供を貸して!!
心配ならばそばで見ていてください!!」
そして子供を受け取ると、2人が作った小さな
水たまりに持っていく。
「ダンダーさん、この子に水を飲ませてください。
ブロックさんは次の窪みを作っておいて」
これは多分、熱中症だ。
パックさんから、毎年夏になると倒れる人が
続出する、特に子供が多いと聞いた事があった。
彼に症状を聞くに、熱中症だと判断。
それで町とギルドで相談して、熱中症対策にと
バスタブのような容器と水魔法の使い手を
各所にスタンバイさせた。
まさか自分が初めて対応する熱中症患者が、
ドラゴンになるとは思わなかったが……
体の構造的には爬虫類に近いのだろうが、実は
爬虫類でも熱中症になる。
砂漠が生息域の種でも、夏の日本、日中の
ベランダに10分でも放置すれば―――
かなり危ない状態になるらしい。
変温動物で汗をかかず、冷却するシステムが
無いので、あっという間に熱が行き渡って
しまうのだ。
「よし! 仰向けにしてゆっくりと……」
子供ドラゴンを持つ手を下ろして、顔を上向きにして
呼吸を確保しつつ、全身を水に沈めていく。
熱中症の対処方法は、とにかく冷やす事。
首、脇や股下を冷やすのが効果的だが……
お風呂のような感じで水にひたすのが一番
手っ取り早い。
しばらく水につかっていると―――
子供ドラゴンの意識がだんだんと戻ってくるのが
わかった。
「……ピュイ? ピィイ……」
「! ワ、我ハココニイル!
大丈夫ダ、心配ナイゾ!」
どうやら親がいる事で安心しているようだ。
親ドラゴンも、我が子の無事を確認したのか
落ち着きを取り戻してきた。
「ブロックさん、新しい窪みをもう少し広く
掘ってあげてください。
翼があるので、ゆったりと広げられる感じで」
「お、おう。わかった」
今度は親ドラゴンの方へ顔を向け、取り出した物を
差し出す。
「これ、子供に舐めさせてあげてください」
「コレハ?」
「岩塩です。塩です。
今、あの子は水分だけでなく、いろいろと
体内から失われているので」
その巨体は、しばらく首を左右に振るようにして
岩塩を凝視していたが、
「ココニ至ッテ、害ヲナスヨウナ事ハ無イデアロウ。
オ任セスル……」
それを聞くと、ダンダーさんが子供ドラゴンに
たっぷりと水を飲ませた後―――
岩塩を飴のように口に含ませ、新しく作った
水たまりにひたした。
それから10分ほどして―――
新たに2回ほど水たまりを作り、冷やすと、
子供ドラゴンは飛び回れるほどに元気になった。
一息つくと、今度は親ドラゴンから説明を求められ、
熱中症について一通り語った。
「ソウデアッタカ……
シカシ、ソレナラドウシテ我ハ無事ナノダ?
ナゼコノ子ダケ……」
「身体強化がまだ未熟な事もあるのでしょうが……
子供の体はあなたよりはるかに小さいんです。
温まるのも、冷えるのも―――
あなたに比べてあっという間なんですよ」
加えて、ワイバーンたちの火炎攻撃にもさらされて
いたのだ。
この強烈な日差しの中、何もない上空でそれは
厳しい状況だったろう。
それを聞くとドラゴンは、その巨体を地面に沈める
ようにして、頭を下げた。
その上には子供ドラゴンが乗り―――
親亀ならぬ、親ドラゴンの上に子ドラゴン、
という感じだ。
「我ガ子ヲ助ケテクレタ礼ヲ言ウ……
わいばーんドモを倒シテクレタ事モナ……
同族ガ心配シテイルデアロウカラ、スグニ
帰ラネバナラヌガ、何カ礼ヲシタイ。
出来ル事デアレバ何デモ言ッテクレ」
「あ、じゃあワイバーンもらってもいいですか?」
言っている事が理解出来ない、という様にドラゴンは
首を曲げる。
「ソレハオ前ガ倒シタノデハナイノカ?
イズレニシロ、我ガ仕留メタ物デモナイ獲物ヲ
礼ニハ出来ヌ」
「う~ん……
ではですね、この周辺の町や村で人間を
襲わないよう、仲間に言ってもらえる事は
出来ますか?」
するとまたドラゴンは、傾げた首を反対側へ振り、
「……ソノ程度デ良イノカ?
ナラバ、今ノトコロハソレデ良シトシヨウ。
イズレ正式ニ礼ヲサセテモラウ。
デハ、サラバダ……!」
頭を上げ、翼を広げ―――
飛び立とうとしたその時、
「あ、待ってください。これをその子に」
「ム?」
行動を止めたドラゴンに、私は残りの岩塩と、
おやつにと持ってきていたツナマヨもどきと鳥マヨ、
ポテマヨもどきを差し出した。
「岩塩ハワカルガ……
コノ美味ソウナ匂イノスルモノハ何ダ?」
「こっちの調味料で料理した、魚と鳥と芋です。
子供にも人気なので、その子にどうかと。
あと、今日と明日は絶対涼しい場所で、
大人しくさせてくださいね」
「何カラ何マデスマヌ」
ドラゴンは一礼すると、子供を連れてそのまま空へと
飛び去っていった。
しかし、今日はもう鳥を獲るどころではないだろう。
後ろを振り返ると、2人も放心気味のようだし……
事のあらましも伝えなければならないだろうし、
いったん町まで戻る事にした。
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