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パパーッ・・・
「すっかり遅くなっちゃったね、タクシー乗り場まで送るよ・・・」
食後の1杯のエスプレッソをここまで長くもたせた男もめずらしいだろう
桜はマヨネーズでお好み焼きにハートマークを描いてジンを笑わせた、彼女にかかると何でも可愛らしくなってしまう、それもそうだろう、本当に彼女の存在が妖精のように可愛いのだから
しかもこの妖精は外見とは裏腹に中身はとても男前だ
二人でお好み焼きとデザートを食べ終えた後も、彼女はオレンジジュース、ジンはぐずぐずと時間をかけてエスプレッソを飲みながら、彼女との楽しいひと時を終わらせたくはないと思った
ジンの女性関係は数少ないけど、それなりには経験してるつもりだ、でもどういう訳かすぐに相手とは破局してしまう
それは自分の掴みどころのない性格が原因だろうと考えていた、知らず知らず、どれだけ仲良くなっても他人を遠ざけてしまう、男も女も・・・残念だが性格なんだからしょうがないと諦めていた
だが桜とは何かが違った、彼女はこちらが心の壁を作る暇もなかった、ジンの事をこよなく理解しようとしてくれる彼女は、数多く雇って来たアシスタントの中でもいつの間にか距離感の近い関係になっていた
そして今ではそれがなくてはならないほど、すっかり心地よく感じてしまっている
ジンは桜との時間を終わらせたくなかった、もっと彼女と一緒にいたい・・・
店を出てタクシー乗り場まで道頓堀の川沿いを歩きながら、彼女の横顔をそっと盗み見る
夜風に桜の頬がピンクに染まり、クルクルカールされたおくれ毛が顔の周りで舞い踊っている
「あのさ・・・っ」
桜に何か言おうと向き合った瞬間、ジンの視線が後方に向かってピタリと止まった、ハッとした彼の目が鋭く見開かれる
「・・・?どうしました?ジンさん?」
桜がジンに微笑む
「桜・・・気づかれないように、後ろを見れるかな・・・無理?」
彼の声は低く、そこには先ほどのリラックスした様子は無く、どことなく緊張の色が滲んでいる
桜は、慌ててカバンからディオールのコンパクトミラーを取り出し、顔を見るふりをして自分の背後を伺った
ミラーに映った背後の風景には、道頓堀の雑踏の中、電柱の陰に隠れるようにして、こちらを伺う人影・・・
桜もハッとして口を開けた
「入国管理局の審査官浜崎」がいた
スーツに身を包み、丸眼鏡がキラリと蛍光灯に反射している、彼は電信柱から二人を観察している
あの男は、ジンと桜の偽装結婚を見破るために執拗に追いかけてくる
「監視は始まってる・・・ってことか・・・」
「ど・・・どうしましょう・・・これじゃ家に帰れないわ・・・」
結婚しているのだから二人は同じ家に帰って当然だ、しかし今日は配偶者ビザを取得することしか二人は考えていなかった
たとえば、どっちがどっちの家に住むなど、実際これから先のことなどまったく二人にはプランがなかったのだ
ジンは焦る桜を見てすぐに冷静さを取り戻す
「タクシー乗り場は一旦やめだ、デートっぽく振る舞おう、ちょっとブラブラして心斎橋の方へ行こう」
そう言ってジンは桜のピンクのショルダーバックを自分の肩にかけ、彼女の手をサッと掴み、道頓堀の川沿いから心斎橋の方向へ歩き始めた
桜はドキドキ胸が高鳴った、自分のバックを肩にかけている彼が、親切で持ってくれているとはいえ、あまりにもピンクのショルダーバックは彼には似合わない、思わず笑いそうになる
いつしか二人は恋人同士のように指を絡ませて手を繋いでいた、そうしようとした覚えはジンには無かったが、二人の手の自然な状態だという気がした、桜がジンを見上げるようにして訊いた
「浜崎さんはまだ追いかけて来てる?」
「さぁ・・・どうだろう、確かめるためには振り向かないといけない」
「わかりました!念のため演技を続けているのですね」
ボソ・・・
「・・・そういうわけでもないが・・・」
使命感に燃えた桜がぎゅっと手を握り返して来た、ジンは手を繋いで密かにときめいた心に水を差された気分になった
心斎橋の名所の橋にたどり着いた二人は、綺麗に舗装された階段を降り、「道頓堀川遊歩道」の手すりにもたれた
道頓堀川のネオンが映る水面を眺め・・・グリコの看板や、たこ焼き屋の提灯、行き交う観光客の笑顔が、川面に揺れる光と混ざり合う
カップルがとても多い、今この街の夜は、まるで恋人達のために輝いているかのようだった
「とってもキレイ・・・ネオンが水面に映ってるわ、みんな写真取ってる」
「どうして阪神タイガースが優勝するとみんなここへ飛び込むの?外国人から見た、日本人三大不思議のひとつだよ」
クスクス・・・
「タイガースファンの父から聞いたけど、始まりは人間じゃなくて、道頓堀にあったケンタッキーの「カーネルサンダース」の等身大の看板人形を落として祝っていたらしいの、でもその看板が撤去されたら、今度はカーネルの扮装をした人間が飛び込み出したんだって」
「どっちにせよ、不可解だよ」
クスクス・・・
「深くは考えないで、そういうものなのよ」
桜は目をキラキラさせながら、身を乗り出して川を覗き込む、すぐ近くにいる彼女の髪が夜風に揺れ、ジンの頬をそっとくすぐる・・・その瞬間、なぜか心臓がドクンと跳ねるのを感じた
偽装のはずなのに・・・彼女の無垢な笑顔がジンの心をブンブン揺さぶる、思わずもっと近づきたくて桜に覆いかぶさるように手すりを両手で掴んで、出来た胸のスペースに桜を収めた
クスクス・・・
「信じられない!私の顔!ジンさんの胸の辺りですね、まるで子供みたい」
「君を子供なんかと思った事ないよ」
「本当?」
「僕は嘘はつかないし、お世辞も言わない」
心斎橋の橋の上で、二人はまるで時間が止まったかのように静かだった
沈黙が長く続いた、そしてまたジンはハッとした、今度は頭上の橋の上から浜崎が二人をじっと見ていた
スマホで写真を撮るカップル、たこ焼きを頬張りながら通り過ぎる若者達・・・
周囲は賑やかさを増し、外国人観光客が「オー! ラブリー!」と叫んでネオンを激写しているのに、浜崎だけは鋭い視線を二人に向けていた
「浜崎さんがこっちを見てるわ・・・」
桜も不安そうに言う
「しつこいヤツだな」