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「ね、おとーたん、サッカーしようよ」
「そうだな、今度の休みにやろうな」
病室に戻ると、圭太と雅史が何やら指切りをしていた。
「なにを約束したの?」
「ん?今度の休みに圭太とサッカーするって約束」
ニコニコしている圭太を見て、雅史に釘を刺す。
「そうやって約束しても、今までほとんど守られてないでしょ?圭太からの信用まで無くすから、できない約束はしないでよ」
「わかってる、でも、これからはキチンと圭太との約束は守るから」
ポリポリと頭をかきながら、バツが悪そうな雅史の言い方だった。
「私とも約束してほしいことがあるんだけど?」
「養育費のことなら、なんとかするし慰謝料も待って貰えば頑張るから」
「そうじゃなくて、ね……」
私はずっと持っていた離婚届を雅史の前に広げた。
私が書くところはもう記入してある。
「……ちゃんと書くよ」
「それでね、条件なんだけど」
「……うん」
私が何かとんでもない条件でも言い出すと想像しているのか、雅史の顔が緊張している。
「離婚しても、今のままで暮らしていいかな?」
「え?」
「慰謝料もなくて養育費も怪しいから、引っ越すのも無理な気がするんだよね。圭太に貧しい暮らしはさせたくないし。私と雅史は離婚して法律上は他人になるけど、圭太の父親と母親としてあの家にそのまま住みたいのよ」
「えっと、それは……」
「離婚すれば、雅史が他の誰かとどんなことをしても私には関係ないから、好きにすればいいわ。でも圭太の前ではちゃんと父親でいると約束して欲しいの。私は、夫としてのあなたはいらない、ただ圭太の父親としていてくれればいい」
「……」
「私もできるだけ早くちゃんとした仕事を見つけて、あの家を出ていくようにするから。それまではこのままで」
「……わかった、そうだな。そうしてくれると俺も助かる。まとまったお金が貯まるまで、それで辛抱してくれ」
「それでね、もうそろそろうちに帰ってきてよ、圭太が寂しがってるから」
「いいのか?」
「その方が、雅史もいいんじゃない?お義母さんも大変だろうし」
「ありがとう、そうするよ。あ、身の回りのことは俺のことは俺がするから」
「やったことないから、あまりあてにはしないけど。私が手を抜いても文句はなしだからね、法律上は他人になるんだから」
「うん」
ちゃんと言いつけを守りますみたいな顔つきの雅史を見て、ちょっとおかしかった。
「圭太、おとうさんね、お仕事終わったから病院を退院したら帰ってくるって。よかったね」
ソファで本を読んでいた圭太に声をかけた。
「ほんと?おとーたん、ほんと?」
「あー、また一緒に風呂入ろうな」
「うん、やった!」
両手を上げてはしゃいでいる圭太を見ていたら、これが今の一番の答えだと感じた。
次の日、雅史は退院したその足で実家に行き、荷物を持って私と圭太がいる家に戻ってきた。
私は久しぶりに家族3人分の夕食を準備する。
あんなに、雅史のための家事はしたくないと思ってたのに、雅史の好きなものばかりを作ってしまい、自分でも笑えた。
「お?美味そうだな。杏奈の手料理は久しぶりだ」
「あら、帰りが遅かったり付き合いで飲んできたりするからでしょ?」
「あー、でもこれからは無駄な金は使わない、そんな時間も体力もないよ」
「おとーたん、ご飯食べたらお風呂だよ」
圭太の手には水鉄砲があった。
「わかった。だからちゃんとお母さんのご飯を食べてからだぞ」
何日振りだろうか、家族3人で食卓を囲むのは。
これが当たり前の景色だったはずなのに、いつからかすれ違って歪《いびつ》な家族になっていた。
_____いや、離婚しても生活を変えない方が歪かな?
「少しのぼせたかな?大丈夫か?圭太」
「ほら、髪を乾かしたらベッドに行くよ」
「はーい」
赤い顔でニコニコしている圭太の髪を、バスタオルでそっと拭いてあげると、私の顔を覗き込んできた。
「おかーたん、うれしい?」
「え?どうして?」
「おかーたん、わらってるよ」
知らないうちに、顔がほころんでいたのだろう。
思い返せば、雅史の浮気がわかってからずっと、圭太の前でもしかめっつらをしていたのかもしれない。
「そうだね、うれしいね、お父さんと圭太がいるからね」
「ぼくもうれしい、おとーたん、いっしょにねようよ」
パジャマの裾を引っ張る圭太に、雅史も笑っている。
_____お父さんとしては、合格!
「わかったから。歯磨きしてからな。あ、杏奈、あとでちょっと……」
何か話があるのだろう。
「うん、わかった。その前にお風呂に入ってくるから、圭太をお願いね」
1人で入れるお風呂は、気持ちものびのびして体も芯からほぐれるようだ。
「あれ?1人でゆっくりのお風呂って、ものすごく久しぶりな気がするなぁ」
湯船でつい独り言が出る。
窓辺には水鉄砲とアヒルのおもちゃが並んでいた。