「暑かったから、アイスコーヒーにしよ」
「私もそれで」
オーダーをとった店員さんは、綾菜に似ているな、なんて思った。
そうか、綾菜は若いから離婚してもこんな仕事もできるだろう。
「ところで、なに?私に聞きたいことって」
あらたまって言われるとどう切り出していいか、考えてしまう。
「えっと…名札が変わってたので、その…」
「あっ、そのこと?そうよ、離婚したのよ亭主と」
「やっぱり?」
「聞きたいことってそのことだったの?」
「はい、娘が離婚したいって言い出して。身近に離婚経験者がいないので、ちょっと聞いてみたくなって」
「あれ?小平さんもバツ、ついてなかった?」
「そうなんだけど、私の経験はあまり参考にならない気がして」
「そうなの?まぁ、いいわよ。何が聞きたい?」
「理由は何ですか?」
「離婚の?お金よ」
「借金、ですか?」
「そう!私が知らないあいだに、亭主が借金作ってたの」
噂は本当だったんだ。
「ギャンブル、ですか?」
「ううん」
「愛人?」
「あはは、まさか。そんなんじゃないよ、生活費」
「生活…?」
意外な答えに、次の質問がとまった。
「うちの人ね、3年前にリストラにあってさ。でも、それを私に黙ってて。給料がなくなったのをごまかすために借金してたのよ」
「え?じゃあ、悪いお金じゃないし…」
「離婚する必要はない、とか?」
「そう思っちゃいました」
「お金だからかなぁ?これが浮気だったら離婚しなかったかも?」
「浮気の方が、腹立たしいと思うんだけど」
「浮気ならバレないようにやってくれてればそれでいいし、もしもバレても別れて戻って来てくれれば許せそうな気がする。浮気女に勝った、って思えるしね。でもお金はねー」
「生活費でも?」
「生活費だからよ」
「どういうことですか?」
「リストラになったその時に、言って欲しかったのよね」
ずずっとアイスコーヒーを飲むチーフ。
「チーフに心配かけるから、言えなかったんじゃないのかな?」
「ちょっ!チーフはやめてよ、職場じゃないんだし、同じ年でしょ?」
「あ、ごめんなさい、えっと松下…」
「洋子でいいよ。とにかくさ、勝手に借金作ってリストラ隠して、どうにもならなくなってから打ち明けるって、ひどくない?」
私もアイスコーヒーをごくりと飲む。
「どうにもならなくなったから、打ち明けたんじゃ?」
「あのね、私が頼んだ私の生活費のためだったら私も責任を負うよ、でもね、私は頼んでないの。リストラされたってわかったらその日から生活を変えてなんとか乗り越えようとしたよ。でもあのバカ亭主はそうしなかった。それは私のことを思ったからじゃない、自分のプライドというか見栄のためにしか思えない。それにね…」
「それに?」
「リストラのとき少しだけ退職金が出たらしいんだけど、それも自分の両親に小遣いとして渡したみたい。ボーナスが出たからって」
「ご両親はお金に困ってたの?」
「まさか!2人とも定年まで働いたから厚生年金でうちより金回りがいいくらい。今は田舎で趣味で畑やってのんびり暮らしてるわよ」
「借金で離婚したってことは、チー…じゃなかった洋子さんにも借金取りが来たってこと?」
「督促状がきてわかったんだけどね、問い詰めたら500万くらいあって。利息がどんどん増えていってた。こりゃダメだと思ったから離婚。その方が万が一の自己破産もしやすいだろうし、亭主も実家に帰りやすいじゃない?」
「まぁ、そうだね」
「家は賃貸だったから私1人で住むのに小さな部屋に引っ越したし、今の給料があれば自分1人ならなんとかなるよ。それになんといっても気楽!」
「旦那さんは?」
「あ、実家に帰って親と暮らしてるみたい。借金はどうしたのか知らないけど、もう私には関係ないしね」
第二の人生ってとこだろうな。
うらやましい気がする。
「子どもは?息子さん、いたよね?」
「うん、息子がさ、一緒に暮らそうとか言ってくれるけど、それもめんどくさくてね。動けなくなるまでは1人で生きてくって言っちゃった」
「そっか。なんか今は楽しそうだよね?」
「自分のことだけ考えればいいからかな?」
「あのさ、もう一つ、聞いてもいい?」
「いいよ。なに?」
「旦那さんとは、その、セックスしてた?」
ぶっ!とコーヒーを吹き出した洋子。
「それ?聞きたいことって」
「うん、変なことでごめん」
「いや、いいけどさ。うーん、たまにしてたよ月に2回?あ、そうそう!明日は離婚して引っ越すって前の晩、したわ」
「え?」
「これで最後かぁ、とか思いながら妙にしんみりしたけど。でも、考えてみたら離婚してもセックスはしていいよね?どっちも1人なら」
「ま、まぁ、かまわないと思うよ」
「もしも、あんまりにも寂しくなったら、誘ってみるかな?フフッ」
外でしてこいとか言われてしまった、なんて洋子には言えなかった。
お金の方が許せない、か。
チーフ(洋子)と別れての帰り道、運転しながら考えていた。
『浮気だったら、こっちも浮気してやって仕返しができるけどお金、それもこっちのためにやったという借金だとさ、仕返しできないよね?それが許せない!』
なんて言ってた。
仕返しねぇ。
綾菜の話だけでは、よくわからないから健二くんの話も聞いてみようかな。
玄関ドアを開けたらカレーの匂いがした。
「ただいま!いい匂い!」
「ばぁば、おかえりぃ」
翔太が走ってきた。
抱きかかえながらリビングに行く
「あ、お義母さん、お邪魔してます」
立ち上がって出迎えたのは、綾菜の夫で翔太の父親の健二だった。
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