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#ローファンタジー
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10-1◆盤上の実体◆
いろいろあったが今日も長い1日が終わった。
俺はいつものように誰にも気づかれないように席を立つ。
だがその隣には予想通り、山中駿平がまだ興奮冷めやらぬ顔で立っていた。
「おい、音無! マジでお前、これからどうするんだよ!?」
彼は俺の腕を掴もうとして躊躇する。
その目は今日の俺の行動への畏怖と得体の知れない好奇心に爛々と輝いていた。
「どうするもこうするもない。もう後戻りはできない」
俺は淡々と答える。
学校の敷地を出て、駅へと続く並木道に入るとようやく少しだけ息がしやすくなった。
「Elysionが動き出すぜ!?」
俺は山中の言葉に無言で頷く。彼が言う『Elysion』とは。いわゆる学園の1軍グループ。
その本質は、俺がこれまで「観客席」から分析してきた通りだ。
天宮 蓮司という太陽を中心に、久条 姫乃が『空気』という名の引力で全てを支配する歪んだ惑星系。
その時だった。並木道の向こうから、聞き慣れた嬌声が聞こえてきた。
数人の女子生徒がこちらに向かって歩いてくる。
その中心にはやはり久条亜里沙。その隣にはNo2の結城莉奈。
そして取り巻きの女生徒たち。
彼女たちの手には真新しいTシャツの山が抱えられていた。
白い生地に金の刺繍で蓮の花の意匠。『Elysion』のTシャツ。
(あ、あいつらは)
右目のカーストスカウターには彼女たちのステータスが瞬時に表示される。
【Target:久条亜里沙】
【感情:優越感(60%)、支配欲(30%)、警戒(10%) 対音無への警戒レベル上昇】
【思考:このTシャツでクラスはまとまる。余計な波風は立てさせない】
亜里沙は俺と山中を視界に入れると一瞬、その笑みを深めた。
その瞳にはまるで「あなたも、これを見なさい」とでも言うかのような冷たい光が宿っていた。
彼女は、持っていたTシャツの束を結城に渡しながら、わざと少し大きめの声で言った。
「ねえ、莉奈。明日のホームルームで選ばれた数名に配る分、確認しておいてね。
結束は形からって言うでしょ?これを着ればきっと文化祭の準備でもみんなの心が一つになるわ」
その言葉の端々には
「選ばれた者だけが属するこの絶対的な結束の前にお前の反逆など無意味だ」という無言の圧力が込められていた。
久条たちのグループは、俺たちの横を何事もなかったかのように通り過ぎていった。
山中は、その光景を呆然と見つめていた。
「おい、音無。マジかよ。あいつらElysionTシャツまで作ってやがる。
明日ホームルームで演劇がどうこう言ったって、もうこのTシャツが『喫茶店』だって空気、完全に作るんじゃないのかよ」
彼の言う通りだ。
明日のホームルームでこの『Elysion』の結束によって形成された「喫茶店」への圧倒的な空気を覆すのは至難の業だろう。
(『Elysion』彼らが自分たちをそう呼ぶのは、神話に出てくる楽園の名。
選ばれた者だけがいる場所か。まさに彼らの選民意識そのものだ。
女王は自らの支配をより強固な『形』で示してくるというわけか)
(『みんなに配る』か。いや違う。
このTシャツが配られ実際に身につけられるのは久条亜里沙に忠誠を誓った『Elysion』の精鋭たちだけだ。
その選ばれし者たちの結束を示すこのTシャツはクラスの多くの生徒にとって喉から手が出るほど欲しい『承認』の象徴でもある。)
俺の思考は亜里沙の「空気の支配」のメカニズムを完璧に理解し、
それを打ち破るための無数のシミュレーションを脳内で開始していた。
山中は俺の腕を軽く叩いて我に返らせた。
「音無。なあ、 文化祭の出し物、結局まだ決まってねえだろ?明日のホームルームで決めるんだぞ?」
俺は静かに顔を上げた。俺の口元には初めてこの男に向けて嘲笑ではない微かな笑みが浮かんでいた。
「さあな。どうなるんだろうな。いずれにしろ俺は、観客席から飛び出てしまった。
どうせならこれを機会に少しは演劇案を押してみるよ」
10-2◆女王の盤上操作(マニピュレーション)◆
放課後。私立 洛北祥雲学園の敷地内、本館の裏手にひっそりと佇む別棟。
久条亜里沙は、その日、最後の授業を終えると数人の取り巻きの女生徒たちと共に、
足早に校門を潜りまた学園へ戻ってきた。
その瞳の奥にはさきほどのホームルームで起きた、計算外の「波紋」への冷徹な苛立ちが宿っていた。
彼女が向かうのは茶道部室『祥雲庵』(しょううんあん)
学園の奥まった一角にあるそこは『Elysion』のそして久条亜里沙の「玉座の間」だった。
室内には既に数人の亜里沙の最も信頼する『Elysion』の幹部クラスの生徒たちが待機していた。
皆、私立 洛北祥雲学園の制服を身につけているが、その表情は女王の「指令」を待つ部下のようだった。
亜里沙は優雅に奥の座布団に腰を下ろすと、結城莉奈が淹れた香りの良いお茶に口をつけた。
「今日のホームルームでのクラスの空気の変動について報告してくれるかしら?」
彼女の問いかけに一人の生徒がある生徒が発言した後の「空気の揺らぎ」について分析された報告を始める。
亜里沙はその報告を聞きながら微かに眉をひそめた。
「で。あの波風を立てた取るに足らない存在、彼は誰なの?」
「は、はい。音無 奏と言います。普段は目立たないのですが学力は中の上程度で奨学金で中学から入学しています」
久条はその名前を静かに反芻した。
(音無奏?そんなのいたっけ?聞いたことないわね)
今まで一度も視界に入れることのなかった景色の一部だった『観客席』の人間。
(少々厄介な駒かもしれないわ。だが彼はこの『Elysion』という盤面の真の力をまだ理解していない。
所詮、ただの名もなき『石ころ』が偶然、波紋を立てたに過ぎない)
「明日のホームルームで文化祭の出し物が最終決定されるわ。
皆、それぞれの持ち場で『喫茶店』がいかに『調和』と『効率』をもたらすか、
改めて周知徹底しなさい。特に天宮くんの負担を考慮している、という点を強調するのよ」
「そして明日、私が配る『Elysion』のTシャツ。あれが最終的な『踏み絵』となるわ。
Elysionに忠誠を誓えば、いずれあのTシャツが与えられる。
クラスで”ぼっち”になりたくなければ忠誠を誓うしかないのよ」
久条の思考が、一瞬だけ音無奏という彼女にとっての「異物」へと向けられた。
(音無奏。観客席の奨学金受給者。なるほど。身の程を知らない、というわけね)
彼女のその美しい横顔に、底知れない冷たい笑みが浮かんだ。
(まず彼に教えてあげなければ。この盤上で彼が本来いるべき場所を。
そして観客が舞台に口出しをすればどうなるのかを。ええ、簡単な仕事よ)
彼女の意識はすでに音無奏という小さな「ノイズ」から離れていた。
『祥雲庵』に差し込む西日がその冷徹な横顔を、鮮やかに照らしていた。
明日のホームルーム。
彼女は自らが創り出す「空気」によって、音無奏の反逆を完全に押し潰すつもりだった。