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#ローファンタジー
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11-1◆黄金の象徴と太陽の光◆
翌朝。京都の空は、昨日の曇天が嘘のように澄み渡っていた。
だが俺の心に去来するのは、そんな秋空のような清々しさではない。
重い賭けに出る前の、張り詰めた静けさだ。
通学路の喧騒も今の俺の耳には届かない。
ひたすら頭の中で今日の盤面をシミュレーションする。
久条亜里沙が作り出すあの強固な「空気」を、どうやって打ち破るか。
未だ決定的な一手は見えていなかった。
洛北祥雲学園の正門を潜るとその「空気」は、すでに肌で感じられるほど濃厚だった。
そして教室に足を踏み入れた瞬間、その「正体」は視覚的な暴力となって、俺の眼前に現れた。
クラスの中心にいる久条亜里沙。
その制服の下に見慣れない白いTシャツが見える。
胸元には、金糸で刺繍された蓮の花。
昨日、彼女が持っていたものと同じデザインだ。
だが今日の俺にはその蓮の色がまるで玉座から放たれる後光のように毒々しいほどの「黄金の輝き」を帯びて見えた。
そしてその久条の周囲。
結城莉奈、斎藤律、柴田隼人、三好央馬――
わずか数名の「Elysion」幹部クラスの精鋭だけが同じく「黄金の蓮」が刺繍されたTシャツを誇らしげに身につけていた。
クラスの他の生徒たちは、そのTシャツの輝きに圧倒され、
羨望と疎外感の入り混じった表情で遠巻きにしている。
まだTシャツを着ていない生徒の表情には、一様に「どうすべきか」「どうすればあっち側に行けるのか」という迷いと焦りが浮かんでいた。
(やはりか)
俺の右目に融着した視界に彼女たちのステータスが瞬時に表示される。
【Target: 久条亜里沙】 >
【装備:Elysion Tシャツ(黄金の蓮/支配者の象徴)】
【思考:これでクラスは完全に掌握。波紋など無意味】 >
【クラス感情:喫茶店(92% 圧倒的優勢)】
久条が作り出した「喫茶店」への圧倒的な「空気」はすでに物理的な質量を持って、教室全体を覆い尽くしている。
演劇を提案した桜井恵麻たちのグループは、顔には諦めの色が浮かんでいた。
彼女たちの小さな挑戦の火は、圧倒的な「怠惰への引力」と久条の「形」になった支配の前に完全に消えかかっている。
予鈴が鳴り響き、担任の烏丸が教壇に立つ。
午前中の授業はこの張り詰めた緊張感の中、淡々と進んだ。
Tシャツを着た生徒たちは、どこか特権階級のような優越感を滲ませ、
着ていない生徒たちは、非国民であるかのように萎縮している。
俺の「カーストスカウター」はその残酷なコントラストを全てデータとして収集していく。
昼休みを告げるチャイムが鳴り響くと教室は再びわずかな喧騒を取り戻した。
俺は自分の席でパンの袋を開ける。
その喧騒の中、俺の耳にある会話が滑り込んできた。
クラスの女子生徒二人がひそひそとしかし熱のこもった声で話し込んでいる。
「ねえ、午前の美術の時間あったでしょ?絵の具セット忘れちゃった子がいたんだけど、
そしたら天宮くんが自分の使わない余分な道具をサッと貸してくれたんだって!マジで神対応すぎない!?」
「わかる!私もこの前、食堂でトレイごとランチをひっくりかえしてしまったんだけど、
天宮くんが何も言わずに一緒に拾い集めて、片づけてくれたんだよね。
超エリートなのに全然偉そうじゃないの、もう神対応すぎて」
彼女たちの声からは偽りない純粋な「憧れ」と「尊敬」が伝わってくる。
天宮 蓮司。その太陽は、常に誰かの世界をさりげなく、しかし完璧に照らしている。
俺の視界には彼女たちの感情データに、天宮への【純粋な敬愛】が揺るぎなく表示されていた。
(なるほどな)
俺はパンをかじりながら冷徹に分析する。
久条亜里沙の支配の根源は、恐怖だけではない。
この「天宮 蓮司への敬愛」を人質に取っている点にある。
「天宮くんのために」という大義名分がある限り、誰も彼女に逆らえない。
11-2◆敗北へのカウントダウン◆
放課後。終業を告げるチャイムが鳴り響く。
烏丸がそのいつもと変わらない諦めたような顔で教壇に向かう。
クラスの喧騒が急速に静寂へと変わっていく。
運命のホームルームが始まった。
教壇に立った担任の烏丸が、まるでただの形式的な手続きをこなすかのように口を開く。
「さて、昨日からの文化祭の件だが。最終的な意思確認をしたいと思う。何か意見のある者はいるか?」
その問いに答える者は誰もいない。教室は昨日とは比べ物にならないほど静かだった。
いや違う。これは静寂ではない。
久条亜里沙が作り出した『喫茶店』という一つの答えへと収束していく重く、そして逆らうことのできない圧力そのものだ。
演劇をあれほど熱っぽく語っていた桜井恵麻たちの顔には昨日の希望の光はない。
ただ色のない諦めだけが浮かんでいた。
彼女たちの小さな挑戦心は、この黄金のTシャツが象徴する絶対的な支配の「形」の前に完全に踏み消されようとしている。
久条は何も語らない。ただその完璧な笑顔で静かに教室を見渡すだけ。
その彼女の意を汲むように側近の結城莉奈がすっと立ち上がった。
「先生。昨日の件ですが私たち『Elysion』で話し合った結果、やはり『喫茶店』がこのクラスにとって
最も調和が取れた効率的な選択だと考えます。天宮くんの負担も少ないですし、全員が楽しく参加できると思うんです」
その穏やかでしかし微塵の揺らぎもない声。
その言葉が最後の引き金となって、教室の空気を完全に固めていく。
俺の右目のカーストスカウターが無慈悲なデータを表示する。
【クラス感情:喫茶店への賛同率95%に到達】
【桜井恵麻:感情諦観(99%)】
その数字を睨みつけた俺の脳内に、忌々しいウィンドウが開く。
ノイズ交じりの声が響く。
ミラー:「終わったな。お前の負けだ」
奏:「うるさい」
俺は思考で応える。
画面にはリアルタイムでテキストがタイピングされる。
ミラー:「どうする?ここで尻尾を巻いて、空気に従うのか?またあの夜と同じように」
その言葉が中学時代のあの無力な自分の記憶を蘇らせる。
ある女生徒の手帳を破った感触。嘲笑う声。
奏:「嫌だ。だがどうしようもない。手がない」
ミラー:「本当にそうか?お前は、まだ何もしていない。このまま諦めるのか?音無奏』はそんなにダサい男なのか?」
その問いに俺は答えられない。
奏:「この盤面をひっくり返す方法、何かないのか?」
教室全体に烏丸が「では、特に異論もなければ、喫茶店で決定と――」と言いかける。
俺がその敗北を受け入れようとした最後の瞬間。
俺のその絶望した視線が、最後の悪あがきのように教室を彷徨った。
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