涼ちゃんが事故にあってから初めての合同練習とのことで、涼ちゃんが来るより早くに他のメンバーに来てもらった。そして、チーフから皆に涼ちゃんの状況を説明してもらう。
「というわけで涼ちゃんの記憶喪失は他言無用でお願いします。演奏は問題ないと元貴君は判断しましたが、他の演者さんと一緒になると記憶喪失のボロが出る恐れがあるのでしばらくはバラエティ系の番組は涼ちゃんはなし、音楽番組は厳選に厳選を重ねて出演番組を決めます。」
驚くサポートメンバーとまだ伝えていなかったチームのスタッフ達。
「トラックに撥ねられたって聞いた時はびっくりしたけど、まさか記憶喪失とか…..。」
「しかもチームの事だけ忘れてるって、漫画かドラマみたい….。」
「でもそんな状況で藤澤さん不安じゃないのかしら?」
「俺だったらパニクって引きこもるかも。」
「でも知らん内に人気絶頂有名人とか今流行りの”なろう系”小説みたいだね。」
ざわざわとなる中、スマホが鳴った。
「チーフ、涼ちゃん着いたみたいだから迎えに行ってくる。」
「あ、俺も行く。」
今まで静かに座っていた若井も立ち上がった。俺はみんなに
「構えてるかもしれないけど元々涼ちゃんあんなじゃん?あんま変わんないから期待しないであげてね?急に頭よくなったり、面白い話できるようになったりしてないから。」
笑いが起き、場の空気が和んだ。これで涼ちゃんも少しは安心できるでしょ。俺の考えが分かったのか、若井が笑う。
「過保護だねぇ。」
「うっせぇわ。」
若井と二人で涼ちゃんを迎えに一階に行くと、涼ちゃんと涼ちゃんの荷物を持ったマネージャーが入ってくるところだった。
「元貴君!若井君!」
ぱっと笑顔になる涼ちゃん。俺たちを見てほっとしてるから、やっぱり少し不安だったんだろう。
「元貴君、言われた通りフルートも持ってきたけど。」
「ありがとう。この前フルートは確認してなかったからね。」
フルートは技術的に問題ないだろうが、どうしても難しいという曲があればライブなどのセトリからは外そうと思う。
「一応全部練習してきた!」
「全部?!そんなに根詰めなくていいんだよ?」
驚く若井に、涼ちゃんは楽しそうに
「フルートは高校の頃やってた記憶があるからかな?問題なくすぐできたよ。担当のお医者さんも、出来ることは積極的にやっていった方がいいって言ってたし。」
「あぁ、JAM’Sの。」
俺たちのファンだと言っていたロマンスグレーのイケオジ精神科医。あの年代の男性に言われるって珍しいけど、素直に嬉しくもある。
スタジオに戻ると、待っていたみんなが一斉に涼ちゃんを見る。
「見せモンじゃねぇぞー。」
おどけた調子で若井が言うので、みんなは笑った。
「涼ちゃんの状況は話しておいたから。今日は体調見つつ参加できるようであれば参加してくれればいいから。」
「分かった。」
俺の言葉に涼ちゃんは頷く。最初っからは難しいと思うので、とりあえず空気を感じてもらうために涼ちゃん抜きで2~3曲する。
「よし。じゃあ次涼ちゃん入って。」
「はい!」
涼ちゃんが入り、キーボードが目立つ曲などをしてみる。チーフは驚き
「完璧じゃない?確かにこれならライブも問題なさそうね。」
そうなんだよ。間違いがないって点で言えば完璧なんだよな。ただやっぱり余裕はないのか真剣な表情で明るい曲弾いているのは違和感がある。
「次フルートやってみよう。涼ちゃん準備お願い。」
「はい!」
涼ちゃんの代表曲(?)にもなってるフルートが目立つ曲をする。
歌いながら涼ちゃんを見ると、
「!?」
とても楽しそうに吹いていた。
(涼ちゃんが帰って来た…..!)
俺も嬉しくなり、若井も感じ取ったのか楽しそうにしていた。
休憩時間
「え?問題なくない?」
サポートメンバーの一人が言った。別のメンバーも
「まぁ若干堅い感じはあるけど、慣れて行けば問題ないと思うよ。」
慣れて楽しいって思えるならいいけど、目を背けている問題がある。それは「忘れた原因」がチームに居ることへのストレスだった場合。
「涼ちゃん、ライブできそう?」
涼ちゃんは少し考えて
「演奏自体は大丈夫だと思うんだけど、今の僕は何万人っていう人の前で演奏した記憶がないから、ビビっちゃうかもしれない….。」
「無理そうなら事故のことを適当に理由付けして少し後ろにキーボード配置してもらおう。」
「俺らのところまでおいでよ、涼ちゃん。」
サポートメンバーが手招きする。
「後ろから見る景色も最高だよ。」
「そうそう。セットとメンバーとお客さん全体を見れるからね。」
「お水も気軽に飲めるし(笑)」
「それはある(笑)」
困難にも笑って立ち向かえる最高のチームができたと思った。今これだけすごいんだから、欠けたピースである涼ちゃんの記憶が戻れば、いや、戻らなくてもこれから俺たちは全員で最強で最高のチームになれるだろう。
そう思ってたのに….
「涼ちゃん!?」
練習が終わり、帰る準備をする。
「涼ちゃん、今日うち来れる?渡したデモの楽譜起こしの件なんだけど。」
「OK、大丈夫だよ。」
あの日以来、手は出していない。”手”は。なんかちょっと甘い雰囲気になった時軽くキスをするくらい。お互い気持ちを明確な言葉にしてはいないけれど、俺にとっては涼ちゃんは涼ちゃんだし、涼ちゃんも雰囲気から俺のこと好きでいてくれるのは分かった。しかし次にキス以上先に進むのは涼ちゃんがしっかり記憶戻ってからがいい。戻ってからがいいんだけど、今の生活に慣れてきた涼ちゃんに余裕が出て来たのか、よく笑うようになった。俺の大好きなあの笑顔で…。
涼ちゃんの記憶が戻るのが先か、俺の理性が壊れるのが先か….。
スタジオを出てエレベーターに向かうと、大量の荷物を持ったスタッフさん達がエレベーターを待っていた。俺たちは全然次を待っていいけど、ここ事務所が持ってるスタジオだし、スタッフさん達としては所属アーティストより先に乗るのは気が引けるだろう。
「涼ちゃん、階段で降りようか。」
「うん。」
俺たちに気を使うといけないから、スタッフさん達に気づかれないようにそっと階段へ向かった。
「今日どうだった?」
「楽しかった!皆さんすごくいい人で安心したよ。でも….。」
「でも?」
「だからこそ、僕はなんでこんな素敵なチームを忘れてるんだろうって….。」
「…まぁ今考えてもしょうがないよ。あまり思いつめないようにね?」
「うん….。」
「あ、そういえば涼ちゃんさ。」
タブレットを取り出し、確認したいページを開こうとした。その時
「え?」
踏み出した先に床がなかった。
それはまるでスローモーションの様に
俺の体は宙に浮き、そのまま階段下へ…
「元貴君!?」
次の瞬間、すごい力で引っ張られ、壁に背中から激突した。
「ったー….。」
助かったのか?でも、なんで….
「涼ちゃん!?」
慌てて階段下を覗く。そこには、頭から血を流して倒れている涼ちゃんの姿が….。
「お、おれの、俺のせいで…..。」
とにかく今は救急車を呼ばないとっ。震える手で何とかスマホを取り出すが、震えてうまく操作ができない。『誰か助けて!』そう叫ぼうとしても乾いた喉が張り付いてうまく声が出なかった。
今度こそ涼ちゃんがいなくなってしまう。
居なくなってしまったら….
神様!!涼ちゃんを助けて!!
「すごい音したけど?!」
若井とその後ろに騒ぎを聞きつけたスタッフ達がやってきた。
「元貴?!どうした!って、涼ちゃん?!!」
悲鳴と怒号が飛び交う中、俺は安心したのか現実逃避したのかそこで意識を手放した。
コメント
2件
あっえ?!どうなっちゃうのぉ