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小猿
「お陰で邪魔者は片付いた」
堂本一家の親分須賀の鉄吉が、長火鉢の縁で煙管の灰を落としながら言った。
「いえ、御恩の一端をお返ししただけの事です」
「いや、いい仕事をしてくれた・・・ところで、あんたここに腰を落ち着ける気はねぇかい?」
鉄吉には、吉田宿の唐草一家の親分吉田の権蔵の毒殺に成功した小猿を、一家に迎え入れたいと言う下心があった。
「ありがてぇお言葉ですが親分さん、あっしは頭かしらの仇を討てればそれでいいんでやす、今更人の下で働こうなんて思っちゃいません」
小猿は鉄吉を正面から見据えて言った。
「だが、その頭の雇い主も殺されたって言うじゃねぇか、これからどうするつもりでぇ?」
「仇を討った後は故郷に帰って薬師くすしで身を立てようと思っておりやす」
「毒薬使いが今度は薬師で人助けかい?」
「毒と薬は紙一重、使い様によっちゃ毒も薬になる」
「人も同じって事だな」
「さいです、毒で人を殺すのは今度で終ぇにしたい」
「まぁ、いいさ・・・ところで、お前ぇの狙っている侍ぇと女武道が二川宿の大和屋に居るという話だが・・・」
「えっ、本当ですかい?」
「嘘を言ってどうする」
「・・・」
「そこでだ、一つお前ぇさんに頼みがあるんだが、聞いてくれるか?」
小猿の目を覗き込む様にして鉄吉が訊いた。
「命からがら船から逃げてきたあっしを匿ってくれた親分さんの頼みとあらば、お断りする訳にはいきますめぇ」
「別に恩を着せようってんじゃねぇ、たまたま目的が同じだって言うだけだ」
「と言いますと?」
「事のついでに山形屋も一緒に殺っちゃくれめぇか?」
「山形屋を?」
「嫌かい?」
「いえ・・・」小猿は真っ直ぐに鉄吉を見詰めた。「山形屋はあっしを縛って帆柱に括り付けた張本人です、一刀斎と一蓮托生だ」
「なら、いいんだな?」
「へい、やらせたいただきやす」
「そうか、恩に着る!」
「その代わりと言っちゃなんですが・・・」
「なんでぇ?」
「ここに腰を落ち着けるってぇ話は、無かった事にしておくんなせぇ」
「いいだろう、あの話は忘れてくれ」
「ありがとうごぜぇやす・・・」
小猿は丁寧に頭を下げると鉄吉の部屋を出た。
「さあて、どうするか・・・」
思案に暮れながら、小猿は堂本一家内にあてがわれている二階の部屋へと階段を上って行った。
*******
「その、一刀斎を吹き矢で射って船から逃げた小猿ってのが、茶屋でわっちらに毒を盛ったって言うのかい!」
お紺が飯粒を飛ばしながら一刀斎に迫った。
「汚ねぇなぁお紺、ものを食いながら喋るんじゃねぇ!」
一刀斎が呆れ顔で文句を言った。
「なに言ってんだい、こちとら殺されかけたんだ。それもあんたを射った犯人と同じだってんだろ?これが黙っていられますかってんだ!」
「まぁまぁお二人さん、言い争いはよしにしてください。夫婦喧嘩は犬も食わぬというじゃありませんか」
伊兵衛が笑って仲裁に入る。
「あらやだ、山形屋さん誤解しないでくださいな、わっちと一刀斎はそういう仲じゃ・・・」
「でも、小猿が堂本一家に付いたっていうんなら、私たちにとっても堂本一家は敵と言う事だわ!」
何となく向っ腹が立って、お紺の言葉尻に被せるように言ってしまった。
「あら、志麻ちゃんなんだか冷たい言い方ね?」
「そうかしら、一刀斎とお紺さんが呑気なだけじゃない?」
「まぁまぁまぁ、ここは冷静に」伊兵衛が手の平を見せて抑えた。
「志麻、お紺、お前ぇ達はすぐに出立しろ!」
一刀斎が真顔で言った。
「何でよ、わっちらがいちゃ邪魔だって言うのかい?」
「そうよ一刀斎、私だって闘えるわ!」志麻が一刀斎に噛み付く。
「そうじゃねぇ、俺がお前ぇらを探させたばっかりに要らぬ争いに巻き込んじまった。俺が小猿を片付けてりゃこんな事にはならなかったんだ」
「もう遅いわ、私たちが出立したところで小猿はすぐに追ってくる。それならここに留まって決着をつけた方が確実だわ」
志麻が言うと一刀斎が困った顔をした。
「一刀斎の旦那、志麻さんの言う通りですよ。お二人がこの山形屋に入ったことは既に知れているでしょう、ならお二人を行かせるより、ここにいた方が安全だ」
「そうよ一刀斎、山形屋さんの言う通り!」お紺が山形屋を後押しする。
「参ったなぁ・・・」
「参る事は無いわよ一刀斎、こうなったら一緒に戦うより他ないでしょ!」
志麻が駄目を押すと、一刀斎が腹を決めたように皆を見回した。
「よし分かった、とっととケリをつけようぜ!」
「そうこなくっちゃ!」
志麻とお紺が手を叩いた。
「そうと決まったら堂本一家とその賭場を見張らせましょう」伊兵衛が言った。
「店の者に見張らせるのは危険じゃねぇか?」
「ご安心を、手前どもの大番頭は荒事には慣れておりますので」伊兵衛がしたり顔で頷いた。
「あの吉兵衛さんが・・・かい?」
「はい、吉兵衛は清水のある任侠の若頭だったのを、無理を言って山形屋の番頭に貰い受けたんでございます」
「道理で・・・ただの貫禄じゃねぇと思ったぜ」
「それでは早速手配して参ります」
伊兵衛は座を立って丁場の方に出て行った。
「さて、俺らも戦い方を決めなきゃなんねぇな」
「どう言う事よ?」
「敵に小猿がいるんじゃ、力任せの戦いは出来ねぇって事よ」
「毒を想定した頭脳戦になると言う事ね」
「ああ、だが最後はやっぱり剣で決着を着けなきゃなるめぇな」
「一刀斎、あんた足は大丈夫なの?」お紺が心配そうに訊いた。
「うん、もうだいぶ良いぜ。後は鈍った躰を慣らすだけだ、志麻、後で相手をしてくれるか?」
「お安い御用、躰が慣れるまで手加減してあげるわね」
「いらねぇ!」
*******
小猿は山形屋の勝手口に佇んで、目的の人間が現れるのを待った。
朝の静寂を破って威勢の良い振り売りの声が聞こえて来た。
「来たか・・・」
小猿は塀の陰に身を隠し、吹き矢を取り出した。
棒の前後に魚の入った桶を吊るして、法被はっぴを着た棒手振りが駆け足でやって来る。
フッ!
小猿が鋭く息を吹くと棒手振りの魚屋の脚がもつれた。
「おっと、兄さん大丈夫かい?」
小猿がわざとらしく塀の陰から飛び出して魚屋を支える。
「な、何だか急に眠くなっちまって・・・」
魚屋はもう目を閉じかけている。
「そりゃ大ぇ変だ、そこの陰で休んでいねぇ!」
小猿は防水桶の後ろに魚屋を引き込んで、目立たないように隠した。既に魚屋はぐっすり眠っている。
「暫く眠ってて貰うぜ・・・」
魚屋の法被を脱がせて素早く羽織る。誰も見ていないことを確認して棒を担いだ。
「魚いらんかね〜・・・生きの良い魚だよ〜!」
大きな売り声を上げて山形屋の勝手口の前をゆっくりと行き過ぎた。
「ちょいと魚屋さん、待っとくれ!」
勝手口の戸が開いて山形屋の女中が出て来た。
「おや、いつもの人と違うようだね・・・」
「毎度ご贔屓に、ありがとうごぜぇやす。いつもの奴ぁ風邪で寝込んでまして、今日はあっしが代わりということで・・・」
「近ごろめっきり寒くなってきたからねぇ。帰ったらお大事にって伝えてくれるかい?」
「へい・・・」
「伝言だけ頼んだんじゃ申し訳ないねぇ・・・今日は魚は何が入ってるんだい?」
「へい、見ての通り鯛に鰤、珍しいところで脂の乗った戻り鰹なんぞ如何です?」
「おや、初もんだねぇ。分かったそれを貰おうか」
「ありがとうごぜぇやす、あと良かったらお捌さばき致しやすが?」
「あらそうかい、そりゃ助かるよ、今時分は店の台所も天手古舞だからねぇ」
朝は店の主人から丁稚奉公の小僧まで、一緒に食事をするのが山形屋の習いだ。
女中は勝手口の戸を開いて小猿を招じ入れた。
「そこを入った所が台所だよ、水はそこの井戸で汲んでおくれ」
女中が指差す方を見ると裏庭の一角に屋根付きの井戸があった。
「井戸端で捌かせて貰いやす・・・へい、すぐ済みやすんで・・・」
「そうかい頼んだよ」
女中は小猿に一瞥をくれると、忙しそうに台所へと入って行った。