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マジル王国が戦争に勝利して五年後。
カルスーン王国はマジル王国カルスーン”領”へ名称が変わった。
カルスーンの王族は当時メヘロディ王国に亡命していた第五王子を除いて全員処刑された。
残された第五王子は旧カルスーン王国の象徴として生かされているものの、実権はマジル王国が握っている。
貴族制度は廃止され、彼らの財産と領地は全て没収された。
マジル王国の支配に逆らうものは、皆、カッラモンドの採掘地送りにされた。
それは平民も例外ではない。
カルスーンの民はそれぞれ区画分けされ、人口を管理されている状況だ。
得意な分野に分けて振り分けられたものの、そのせいで貧しくなった者たちを中心に反乱が起きた。
彼らの鎮圧には手こずったようで、カルスーン領の治安が落ち着くまで三年を要した。
波乱の中、私は――。
☆
「おかあさん!」
二階建ての豪華な屋敷、その一室で幼女が私を呼ぶ。
彼女は栗色の髪をサイドテールに結わえ、リボンとフリルが使われた可愛らしいワンピースを着ていた。彼女はイルーシャ。私とアルスの第一子だ。
イルーシャは父譲りのクリっとした藍色の瞳で、私を見ている。
「イルーシャ、今日も元気ね」
「うん! イルーシャ、きょうはね、なまえをかいたの」
ソファに座っていた私は、イルーシャに顔を向ける。
頭を撫でてあげると、彼女はとても喜んでくれた。
「まあ、自分の名前ね。よく出来たわね」
「えへへ」
イルーシャは年相応に順調に育っている。
最近は文字の読み書きを習っており、学習の時間が終わると私に成果を報告してくるのだ。
「あしたはママとパパのなまえをかくの」
「そう。それは楽しみね。お父さんもきっと喜ぶわ」
「パパ、きょう、かえってくるんだよね」
「ええ。イルーシャがいい子にしていたから、予定よりも早く帰ってくるわよ」
「やったー!! パパといっぱいあそぶ!!」
アルスは父の命令でカルスーン領へ出張しており、今日、この屋敷に帰ってくる。
私とアルスは結婚式を挙げた直後、父が用意した首都の屋敷で新婚生活をはじめた。
夫婦として生活をし、その二か月後に私はイルーシャを身ごもった。
「一緒にお勉強していたオリバーはどうしたの?」
「オリバーはメリルおばさんといっしょだよ。にわにいる」
「そう。あの子は庭のお花が大好きだものね」
私とアルスの間はもう一人子供がいる。
イルーシャと二歳年が離れた男の子、オリバーだ。
オリバーはイルーシャと対照的で大人しく、私よりもメイドのメリルに懐いている。
メリルはソルテラ伯爵のスパイとしての役目を終えた後、私たちの専属メイドとして生活している。カルスーン軍の男性と結婚し、住み込みではなく通いではあるが、彼女がいてくれて育児面でとても助かっている。
オリバーは土いじりが大好きで、庭の水やりを欠かさない。
花を育てるのが好きなようで、一人だと花の図鑑を開いて眺めている。
その様子をみて、アルスは「将来は軍人じゃなくて、学者になりそうだね」と息子の将来を微笑ましく思っていた。
「おかあさん。おなか、さわってもいい?」
「ええ、そっと触るのよ」
イルーシャは私の膨らんだ腹部に関心を示す。
小さな手でそっと私の腹部に触れた。
「あかちゃん、いつなの?」
「さあ、どうかしら……」
私のお腹の中には三人目の子供がいる。
あと三か月も経てば、産まれてくるだろう。
「あっ、動いた!!」
「お姉ちゃんに挨拶をしたんじゃないかしら」
「すごいね!」
イルーシャはお腹の子が動いたことにキャッキャと喜んだ。
彼女は満足すると、部屋を出て行った。きっと、アルスが帰ってくるまで玄関で待っているのだろう。私は彼女の元気溌溂な行動を目を細め、愛おしく見ていた。
マジルとカルスーンの戦争が終わり、五年が経った。
【時戻り】の水晶は検品を乗り越え、無事、私の元へ戻ってきた。
今は寝室の置物になっている。
けれど、水晶は青白く光らない。
オリバーはどこかで生きているのだ。
(オリバーさま……)
まだ私は家庭を持っても、元ソルテラ伯爵のオリバーの事は忘れていない。
その気持ちを忘れないために息子に彼と同じ名前を付けた。
私の想いを知っているメリルはその名前に大反対したものの、アルスは許してくれた。
「ママ! パパがかえってきた!!」
「今、行くわ」
昔のことを一人でぼーっと考えていたら、イルーシャが私を呼びにきた。
私は膨らんだお腹を抑えながら、ソファからゆっくりと立ち上がり、部屋を出た。
廊下を歩き、玄関へ向かうと荷物を置き、上着を脱いでいるアルスがいた。
「パパ、おかえり!!」
「ただいまイルーシャ。僕のいない間に、さらに可愛くなったね」
イルーシャはアルスに飛びつき、甘えていた。
アルスは彼女を受け止め、頬をすり寄せていた。
「おかえりなさい」
「ただいま、エレノア」
私はアルスに声をかける。
アルスは抱きかかえていたイルーシャを床へそっとおろし、玄関の前に立っている私を抱きしめてくれた。
「出張とはいえ、しばらく君に会えなくてさみしかった」
「しばらくって……、三日ですよ」
「三日でも、君の声が聞けないのは辛い。隣に眠っていないのは寂しいんだ」
出張や仕事へ帰ってくるたび、私にそう言って甘えてくる。
アルスの態度は新婚の時から全く変わっていない。
傍からすれば、五年経っても夫の態度が新婚時と変わらないのは稀らしい。
結婚式の時に「慕っている」呟いていたことは本当だったようで、彼が結期を逃していたのは私以外の女性との結婚を考えられなかったから、だそうだ。
家では私に甘い言葉を囁き、娘と息子を溺愛する家族想いの夫だが、外では義父である私の父の元、カルスーン領の反乱分子を淡々と鎮圧してゆき、実績を重ねている。
五年前の階級は少佐だったのが、現在は中佐に昇進しているのがなによりの証拠だ。
「体調はどうかな」
「平気よ」
「それはよかった。三人目が産まれてくるのが楽しみだよ」
「ええ……、そうね」
アルスは容姿、性格ともに非の打ちどころがない夫。
性格もあのオリバーとよく似ている。
五年前は父が勝手に決めた相手との結婚なんてと拒絶していたけど、アルスから注がれる愛情のおかげで、それも薄れてきている。
ずっと想い続けている人のことを考える時間も短くなっている。
「エレノア、愛してる」
アルスはそう私の耳元で囁くと、私の唇に軽くキスをした。
「……ありがとう」
唇が離れると、私は少し黙ってしまう。
「愛してる」と愛の言葉を返すべきなのか、と。
あの人の事を忘れ、今の幸せな生活に浸ってもいいのか、と。
五年間、ずっと考えても答えは出ない。
そのせいで私はずっとアルスに愛の言葉を言えないでいた。