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 これは、アニスがティートと共に王都に戻って、3ヶ月後のおはなし。


*


「あー…… 面倒くさい」


 うんざりした表情を作りながら、アニスは馬車から降りた。


 降り立つ彼の姿は光沢のあるネイビー色のジャケットに、艶やかな緋色のタイ。袖口のカフスと、タイピンは透明感のあるアクアマリンが輝いている。


 口調とは裏腹におめかしをしているアニスは、王城の夜会に招待されたのだ。


 晩春から秋の中頃まで、アーディチョーク国は社交シーズンとなる。


 連日連夜、至る所で夜会が開かれ、貴族同士で親交を深めたり、牽制したり、結婚相手を物色したりと、大忙しなのである。


 アニスは侯爵家当主であり、昨年、第二王子であるフランとの不仲が少々改善されたので、今年はあちらこちらから招待状が届き、多忙を極めていたりする。


「アニス様、これも貴族の務めでございます。どうぞ、お顔を元に戻してください」


 腕を組んで不貞腐れた表情を作っていたアニスに、護衛騎士の一人であるソレールがそっと囁く。


 その口調は聞き分けの無い弟を諫めるようなもので、更にアニスはぶすくれた表情になる。


「お前はいいよな。くそっ。俺の機嫌を直したいなら、彼女と喧嘩をしたとか、振られたとかそんな嬉しい報告をしてくれ」

「あいにく、大変仲睦まじく過ごさせていただいております」

「けっ」


 忌々しそうに吐き捨てるアニスだが、実のところ、ソレールとその恋人が喧嘩などしてほしくない。末永く幸せになって欲しいと思っている。


 だが何となく、自分の大切な人を他人に取られたような気持ちで面白くないのも事実だ。


「ほらほらアニス様、拗ねないでくださいよ。ね? 」


 肩に手が乗ったと思ったら、もう一人の護衛騎士であるティートに顔を覗き込まれ、アニスは不覚にも一歩後退してしまっが、すぐに肩に乗った手を乱暴に振り払った。


「俺は拗ねていない!」


 ダンッと足を踏み鳴らしながら、自己主張するアニスに返って来たのは、生温い笑みだった。


(くそっ。どいつも、こいつも……!)


 アニスはギリギリと歯ぎしりしながら、二人の護衛騎士を睨む。けれど、二人揃って肩を竦められてしまえば分が悪い。


「ああっ、行くぞっ。それとティート、フランがこっちに来たらお前が盾になれよ」

「えー。フラン殿下は、愚痴が長いから嫌だなぁ。ソレール君、変わってくんない?」

「それは構いませんが、フラン殿下は私のことが苦手のようなんで、お役に立てるかどうかはわかりません」

「あー確かに、フラン殿下は君を前にすると居心地が悪そうにするよね。それって多分、君がソーブワート殿下に似てるからなんだろうね」

「そうでしょうか」

「うん、似てるよ。穏やかな口調で、きっついこと言うこととか。この善人顔に似合わず以外に、頑固なところとか」

「自覚は無いですが…… そうなのでしょうか」

「うんうん。絶対にそうだよ」

「……はぁ」


 夜会会場に向かうアニスの背後で、護衛騎士の二人は呑気な会話をしている。


 それをアニスは何とはなしに聞いていた。けれど、


「見つけた!!」


 突然、可憐な女性の声が聞こえてきたと同時に、華やかなサーモンピンクのドレスの裾を引っ掴んで、こちらに掛けてくる令嬢がいる。


 丁寧に結い上げたチェリーブラウン色の髪が崩れることなど構わず距離を詰めた令嬢は、あっという間にアニスと向き合う形になった。


 アニスの顔が恐怖に引きつる。女性慣れしている彼には、相応しくない表情であるが、それは仕方がない。


 なぜなら令嬢は鬼の形相で、手を振り上げていたのだ。


 ─── バッチーン。


 綺麗な弧を描いた令嬢の手は、勢いよくアニスの頬に見事に的中した。


 夜会会場に向かう渡り廊下には幸いにもアニス達だけであったので、この醜態を他の貴族達に見られることはなかった。


 だがアニスの頬にはそれはそれはくっきと手形が付いている。しかも、平手の勢いは凄まじく、アニスはその衝撃でみっともなく尻餅をついてしまった。


 そんな無様な侯爵家当主を見下ろす令嬢は、清々しい笑みを浮かべてこう言った。


「あーすっきりした」


 まるで前世からの因縁に決着をつけたかのような晴れ晴れとした表情は、非の打ち所が無いほど可愛らしい笑みだった。


 だが、やったことは暴力に他ならない。アニスの護衛騎士達はすぐさまアニスの前に立ち、剣の柄を強く握りしめる。


「……それは何よりです、美しいお嬢さん。ところで、一つ聞いてもいいですか?」


 なんとか自力で立ち上がったアニスは、騎士二人を片手で制して令嬢と向き合った。


 そうすれば、にこっと笑った令嬢は、アニスに続きを促した。


「ありがとうございます。では、聞きますが、私はなぜ頬を打たれなければならないのでしょうか? 」

「まぁ。あなた、そんなことのわからないの?!」

「…… ええ。お恥ずかしい限りですが…… 先程から必死に考えておりますが…… どうしても思い当たる節が無く……」


 信じられないと言った感じで目を丸くする令嬢に、アニスは心底申し訳なさそうな顔をする。


 だが、アニスはてんで意味がわからなかった。この令嬢とは初対面である。


 亡き父と同じように、浮き名を流す所謂プレイボーイを演じていたアニスだが、実際は細心の注意を払っているので女性を泣かしたことはないし、もちろん女性達の名誉を傷つける行為をしたこともない。本当に身に覚えがないのだ。


 けれど名も知らない令嬢は殴られた理由もわからないなんてと、キッと目を吊り上げて口を開こうとした。けれども──


「……あれ?」


 何かを叫ぼうとした令嬢は、寸前のところで首をかしげてしまった。


「あの…… わたくし何であなたを殴ったのかしら?」


 逆に問われてしまったアニスは貴族としての最低限のマナーで、レディからの質問を無視しなかった。


「それはこっちが聞きたいです」


 苦々しい思いをなんとか押さえ込んでアニスがそう返せば、令嬢は困ったように眉を下げた。


「あの……理由を忘れてしまったのに、叩いてしまってごめんなさい。でも……なぜかしら……私、こんなことをしておきながら、あなたに謝らないで良いような気がするの」

「……そうですか」


 アニスは、なんとか答えたけれど、顔のひきつりは隠すことができなかった。


 後ろの護衛騎士は、ついさっきまでの険しい表情などなかったかのように、口許に手を当て横を向いている。小刻みに震える肩は、どう見ても必死に笑いを堪えている。


 夜会など始まっていないのに、今日はさんざんな日だ。そんなふうに心の中でぼやいたアニスは、本気で屋敷に帰ってふて寝をしたかった。けれど理性を総動員して、なんとこさ笑みを浮かべる。


「わたくしも可愛らしいお嬢さんに謝られるのは、心苦しいです。張り手一つであなたの憂いが取れたなら本望です。では、これで」

「ええ。そんなふうに言ってもらえてほっとしたわ。ご親切にありがとう。あと……わたくしが言うのもアレかもしれないけれど、会場に入る前にどこかの部屋で顔を冷やしたほうが良いわ。じゃあ──素敵な夜になることを祈ってるわ」


 令嬢は、気の強い天使のような笑みを浮かべて去って行った。


 残されたのは、顔に手形を付けた侯爵家当主とその護衛騎士2名。


「……なんだったんだ……あれは?」


 今ごろになってヒリヒリと痛み出した頬を擦りながら、アニスはポツリと呟いた。


「さぁ」

「さぁ」


 同時に声を発した騎士達にアニスはギロリと睨み付けた。だがすぐに、令嬢が去っていった方向に視線を戻す。


「名前くらい聞いておけば良かったな」


 アニスは性別に関係なく、気が強い人間が嫌いではなかった。


 初対面で張り手をされたのはどうかと思うが、気が強い笑みは魅力的だった。何より、アニスもなぜか彼女には頬を打たれても仕方ないと思ってしまった。


 理由など、わからないけれど。


「あの服装からしても、きっと夜会に参加されるご令嬢でしょう。会場は広いですが、どこかでお会いできると思います」

「そうだな」


 控えめに告げるソレールの言葉に、アニスは素直に頷いた。


「んじゃあ、自分は一足早く会場に行って、すぐに使用できる客室をお借りしてきますよ」

「ああ、頼む」


 軽く一礼したティートを見送り、アニスもソレールと並んで会場へと向かった。





 それからアニスは、先程の令嬢と無事再会した。エルダーという名であることも知った。夜会の雰囲気に酔って、ダンスも1曲だけ踊った。


 そんな二人が恋に落ちるかどうかは、また別のおはなし。


<おわり>

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