テラーノベル
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「お呼びですか?」
と顔を出すと、椅子に座った渚が膝を叩いてくる。
「……乗りませんよ」
と蓮は言った。
「犬か猫じゃあるまいし。
喜んで飛び乗ったりしませんよ。
御用がないのなら、戻ります」
と言うと、
「まあ、待て。
ちょっと疲れたから、お前の顔が見たかったんだ」
と言ってくる。
なに言ってんですか、と言いながらも、悪い気はしなかった。
赤くなりながらも、
「さっさと家帰って寝ないから、疲れがたまってるんですよ」
と言ってやる。
「そうだな。
じゃあ、今日から、真っ直ぐ家に帰るか」
溜息をついて、渚はそう言って見せる。
「……そうですね。
そうしてください」
そう言い、出ていきかけて振り返る。
渚が笑い出した。
「なんだ、そのしょげた仔犬みたいな顔は。
渚さん、今日も来てくださいって、言え」
と言う。
「結構です。
さようなら」
「いや、待て。
お願いです。
来てください、ご主人様、の方がいいかな」
と渚は真剣に悩んでいる。
……阿呆か。
にんまり笑う渚を放って、
「失礼します」
と頭を下げた。
「あっ。
こら、蓮、待てっ!」
扉を閉める。
「おいっ、こらっ!
お願いしないと、本当に行かないぞっ!」
と中から聞こえた。
別に狙って待っていたわけじゃない。
脇田が会社の外に出たとき、ちょうど蓮も出てきた。
「あの、脇田さん」
と蓮が遠慮がちに話しかけてきたとき、余計な声がした。
「はっはっはっはっはっ。
僕は魔王に洗脳されなかったぞっ、蓮」
こいつは待ってたんだろうな……。
何処からともなく現れた和博が立っていた。
渚じゃなくとも、仕事しろ、と言いたくなるところだ。
「いや、洗脳って……。
和博さんに渚さん、大好きになられても困るけどね」
と蓮は言う。
「やっとあいつらが出したんだ」
と和博は写真を見せてきた。
渚が社長室で蓮を膝に乗せ、いちゃついている写真だ。
和博の部下が一応撮っていたのだろう。
「……すみません、脇田さん」
と蓮が謝ってくる。
「最近は、ブラインド下げるようにしてるんですが」
いや、まず、社長室でいちゃつくな、と思った。
こっちに向かっては殊勝な素振りを見せていた蓮だが、和博の方を向いたときには、顔つきが違っていた。
「和博さん、そんなもの出して、渚さんを脅したつもり?
それには、私も写ってるのよ。
秋津の恥になるじゃないの」
としゃあしゃあと言う。
「……データごと貸しなさい」
と睨まれ、和博は、逃げ腰になる。
「出しなさい」
和博はUSBメモリと写真を蓮に渡した。
……弱い。
蓮はそれを手に行こうとして振り返り、
「和博さんのパソコンのデータ全部消すように未来に言っとくから」
と言う。
ひっ、と逃げようとした和博が身をすくめた。
走って逃げる。
「……ネットに繋がなきゃいいのに」
と見送りながら、冷ややかに蓮が言う。
怖いよ、この人、渚より。
仕事では敵には回したくないタイプだ、と思う。
これは、孫可愛さで後継者を決めたんじゃないな、と思った。
今の和博は、まるで、コブラの前の小ネズミだった……。
「でもさ、秋津さん。
ほんとに家を捨てて、渚のところに行けるの?」
思わずそう訊いてしまうと、蓮は黙る。
それは彼女にとって、数少ないウィークポイントのような気がした。
「今だって自立してるようでしてないよね。
渚とのことだってそうだよ。
結局、自分と同じような相手を選んでるじゃない」
「……そうですよね、すみません」
としゅんとして言う蓮に、
「いや、僕に謝る必要はないんだけどさ。
これからどうするのかなって、ちょっと気になって」
と言うと、
「そうですよね。
ありがとうございます」
と言う。
少し、心此処にあらずな感じに思えた。
蓮自身、いろいろ迷っているのかもしれないと思う。
「いや、ごめん。
ほんとに責めてるわけじゃないんだ」
そう重ねて言ったが、自分で、いや、責めてるだろうと思っていた。
ただの嫉妬なのだが、蓮はそれを嫉妬だとは受け取らないだろうから。
ほんとにただの忠告だと思って、悩んでしまうかもしれない。
だからって。
ごめん。
君と渚に嫉妬して言ったんだよとは言えないよな、とか考えている間に、蓮は、
「失礼します。
ありがとうございました」
と言って、しょんぼり帰っていってしまう。
その後ろ姿をうっかり見送りながら、ほんとにこの人、ギャップあるよな~と思っていた。
さっき、和博を言い負かしたくらいの感じで、僕にも言い返してくればいいのに。
だが、誰彼構わず噛み付いたりしないのが、蓮なのだろう。
そんなことを考えているうちに、蓮がマンションに入っていくのが見えた。
信号の向こう、小さくなった彼女の姿に、走り出していた。
脇田さんの言うことも、もっともだな、と思いながら、蓮が、しょんぼりと部屋の鍵を開けたとき、誰かが後ろから、ドアに手をついた。
振り返ると、脇田が立っていた。
「わ、脇田さん、どうやって?」
どうやって此処まで来たのだろうと思う。
エントランスを入るには、暗証番号を打ち込む必要があるからだ。
「この間、君が開けるとき、見てたから。
渚みたいに誰かを脅したりとか、卑怯な真似しなくても、入れるよ。
……いや、まあ、僕の方が卑怯かもしれないけどね」
ちょっと中に入って、と脇田は言ってきた。
「ごめん。
少し話があるから」
脇田の手が蓮の腕をつかむ。
ちょっとまずい状況な気がしたが、エレベーターが開く音がした。
渚のものではない靴音が聞こえる。
此処で騒ぎを起こしても、のちのち脇田もまずいだろうと思い、蓮は仕方なく、脇田を連れて玄関まで入る。
「ごめん。
さっきは言いすぎた」
と脇田は謝ってくる。
「いえ……。
ほんとのことです。
私もずっとそのことを考えていたので。
和博さんには、ああやって言い返せるんですけど、実は私、お爺様には弱いんです」
だから、本当は、これから先、どうしたらいいものかと迷ってるんです、と白状する。
渚と別れる、という選択肢がないのは確かだが。
だが、脇田は、
「……ごめん。
そうじゃないんだ」
と言ってきた。
「君と渚のことを心配してるのも本当だけど。
そうじゃない気持ちも僕の中にはあって。
もうわかってると思うけど。
その……好きなんだ、僕は。
秋津さんのことが」
いや、わかってなかったです、と言いたかったのだが、なんだか言える雰囲気ではなかった。
「渚のことは嫌いじゃないよ。
上司として、尊敬してる。
ついていくに値する人間だと思ってる。
人としてっていうか、友達としては、…… まあ、いろいろとあれだけど」
と言葉を濁す脇田に、まあ、そこは同意だな、と思っていた。
あの強引さ、いいときもあり、悪いときもありだ。
「人の本性なんてわからないって話を前したよね。
石井に君が脅されたとき。
あのとき僕が言ったのは、本当は、石井のことじゃなかったんだ。
僕は僕のことを言ったんだよ。
あのときにはもう、僕は自分の気持ちに気づいていたから。
僕は自分がこんな人間だと思わなかった。
ねえ、秋津さん」
と呼びかけながら、脇田が頬に触れてくる。
びくり、と蓮は後ろに逃げた。
下駄箱に腰が当たる。
「昔から、渚が望んだものは。
欲しいと言ったものは、全部渚のものだ。
僕だって、他の会社に就職したかったのに、渚がうちに来いって言ったら、逆らえない。
なにを脅されるわけでもないんだ。
渚に望まれたら、嬉しくて、ひょいひょいついてっちゃうんだよ。
そんな僕が一番、あいつがすごい奴だってわかってる。
だから、君が、他の男とくっつくよりは、渚とって方が百万倍マシだってわかってるのに……。
なんでだろうね。
今回だけは、ちょっと納得がいかない」
そう脇田は言った。
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