幼い頃から親父に虐待まがいの訓練を受けていた。俺にとっては、他の兄姉たちと遊ぶことも禁じられ、どんなに泣いても吐いても訓練が続く地獄の日々だった。そんな日々でも俺が頑張れていたのは、お母さんがいたからだ。お母さんはいつも守ってくれようとしていた。それが救いだった。でも、ある日お母さんに左側が醜いと熱湯を浴びせられた。それから、親父がお母さんを病院に入れたと知った。こんなことがあったにもかかわらず、それからも訓練は続いた。そんなある日、プツンと糸が切れたように何も感じなくなった。怒りも悲しみも苦しみも。痛みさえも。
何も感じなくなって過ごしてみて分かったことがある。食事をしていても美味しいと思うことができなくなってきていた。それから俺にとって食事は、楽しむものではなく生命を繋ぐためだけのものになっていた。
ある日、風呂場にあったカミソリで小さな傷ができて血が流れてしまった。風呂から出たら忘れてしまうような小さな傷。でも何故かすごくそれに惹かれた。血が流れ出るということは生きている証だ。血が流れている自分は生きている。血を見ると何故だかすごく安心する。何も感じなくなった自分にとってこれだけが救いになった。最初は風呂場のカミソリで切っていた。でも何か物足りない。だんだんとカミソリで満足できなくなっていた。だから、自室でカッターを使って切る事にした。カッターで切ると深く切ることができた。でも親父にバレて、カッターを没収された。切れない。切れない、切れない、切れない、切れない。….苦しい。死んだら楽になるのかな。そう思った。早速行動に移した。学校帰りにロープを買った。天井に縄をくくりつけて、輪に頭を通す。やっと楽になれると思って、足を置いていた台から足を離した。酸欠になって頭が真っ白になってきた。もう少しってところで姉さんに見つかって縄を切られた。縄を切られたことにより、一気に酸素が入ってきた。思わずむせる。姉さんが何か話しかけてきたが、頭に入らなかった。ただ思ったのは、「….あぁ、死ねなかったな」だ。首に跡が残ってしまい、首に包帯を巻いて過ごすことにした。その後もいろいろな自殺を試した。その度に様々な偶然が重なり失敗で終わっていた。リスカをやっていることもあって、身体中包帯だらけになった。自殺とリスカを繰り返しながら過ごす日々。時が過ぎ、今日は雄英の入学式。雄英に向かうために家を出た。
「今日こそ死ねるかな….」
コメント
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リスカって、何故か心落ち着くらしい…没収しないで欲しいけど、焦凍君傷ついて欲しくない… 続き楽しみです(・_・)