テラーノベル
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ユーリが倉庫を出ると、もう夕暮れ時である。
掃除道具を片付け、行き合う荷運び人たちに挨拶をする。
「お疲れ様です」
「……おう、お疲れさん」
荷運び人たちに冷たく当たられたけれど、ユーリも無視を返していても仕方がない。挨拶くらいはしようと思ってのことだったが、最近は戸惑いながらも言葉を返してくれる人が増えてきた。
どうせすぐに音を上げるだろうと思っていたのに、ユーリが意外と頑張るので反応に困っている感じだ。
掃除で汚れた姿になったので、ユーリは今日は帰宅することにした。こんな格好で机に向かっても集中できないし、ナナも嫌がるだろう。
事務所に入るとナナだけがぽつんと机に向かっていた。そういえば彼女はいつも一人だな、とユーリは思った。
倉庫の事務員は彼女だけで、冒険者ギルドの宿舎でも孤立しがち。ティララなどとは部署が違うので、あまり接点がない様子だった。
「ナナさん、お疲れ様。私、お先に失礼しますね」
「…………」
返事が聞こえないほど小声なのはいつものことなので、ユーリは気にせず帰り支度を始める。
バッグを持って立ち上がろうとした時、いつの間にかナナが隣に立っているのに気づいた。
「わ、びっくりした。どうかした?」
「ユーリさんは……」
「ん?」
「ユーリさんは、どうしてそんなに頑張るんですか……」
見上げたナナの若草色の瞳は、涙が溜まっていた。
「ナナさん、どうしたの! 何か嫌なことがあった!? 私、なんかしちゃった?」
今にも泣き出しそうなナナに焦って、ユーリはわたわたと手を動かす。
ナナは首を横に振って、小さな声で途切れ途切れに続けた。
「みんな、言ってました。ユーリさんはどうせすぐに諦めるって。でも、もう三週間にもなるのに、たった一人で頑張り続けてる。……どうしてですか」
「どうしてと言われても……?」
ユーリは首をひねる。
倉庫の掃除も整理も、正直言えばきつい。一人っきりでやっているせいで、愚痴を言える相手もいない。けれど止めるつもりはなく、続けている。
これが仕事だから。
仕事をしなければ、異世界で生きていけないから。
倉庫があまりにひどい状況だったから、放っておけなかった。
それから、馬鹿にされて悔しかったから?
そのどれもが正解で、同時に少しだけ違和感を感じる。
(どうしてだろう……。私は異世界人で、言葉も習慣も何もかも違う世界に放り込まれて、それでも生きていかなくちゃならなくて)
考え込んだユーリを、ナナはじっと見つめている。
「私ね、遠い国から来たの。うんと遠くて、もう帰れない場所」
ユーリは言葉を選びながら話し始めた。
「故郷とここは、色んなことが違うわ。夜になると心細くて、泣いた日も多かった。でも、いつまでも泣いてばかりじゃいられなくて」
ちらりとナナを見ると、彼女は先をうながすようにうなずいた。
「倉庫の整理は、大変だけど。親切にしてくれる人もいた。助けてくれる人もいたよ。だから私も、もう少し頑張ってみようと思ったの。私一人の力じゃ足りなくて、何も変えられないかもしれない。でも、変わるかもしれない。変えることで、みんなの役に立てるかもしれない。
……ここで生きていくために。ここで生きていて良いんだと思えるように、頑張りたいんだ」
自信が欲しかった。ユーリはこの国でやっていける、生きていけるという自信が。
「そうだ。私は居場所が欲しかったの。誰も知らない国でたった一人でも、また仕事をして役に立って、友だちを作って、暮らしていける居場所が」
言葉にしてみると、それはすとんとユーリの胸に落ちた。
「うん。だからこの職場で、頑張りたかったの。逃げ出さないでやり遂げて、自信をつけて、ここが私の新しい居場所だと思いたかったんだ」
漠然としてつかみきれなかった感情が、すっきりと明確になる。ユーリは思わず微笑んだ。
それまで黙っていたナナが、ぼそりと言った。
「ユーリさんは……強い人なんですね。あたしなんかと違って」
「え? どうだろ、そりゃ今回は必死で頑張ってるけど、そんなに強くもないよ。この国に来て以来、めそめそ泣いた時もいっぱいあったし」
このカムロドゥヌムの町に移動してくる途中も、宿舎で部屋を割り当てられた後も。ユーリは何度か寂しさと心細さで泣いていた。誰にも気づかれないよう、声を押し殺して。
ナナは首を振った。
「それでもです。あたしもユーリさんみたいだったら良かったのに。こんな、何にもできないのろまじゃなくて……」
ナナの瞳から涙がこぼれた。
ユーリはびっくりしてハンカチを差し出し、「駄目だ、これさっきまでマスクにしてたやつじゃん」とテンパリ、焦ってキョロキョロと周囲を見渡した。しかし役に立ちそうなものは何もなかった。
ナナはそんなユーリを目を見開いて眺めていた。
困りきったユーリが手近な巻物の紙を破って差し出したら、ナナはこらえきれずに笑い出した。
「いくらなんでも、そんな固い紙で涙は拭けないですよ! 顔、痛くなっちゃう」
「そ、そうだよね。ごめん」
「ううん。あたしこそ急に変なことを言って、すみません」
「いいよ、いいよ。何か困ってることがあったら、相談に乗るくらいはするから」
「はい……。それじゃあ、あたしの話を聞いてもらえますか?」
二人はそのまま椅子に座って、少しずつ話をすることにした。
ナナは今、十七歳。十六歳で地方の村から出て来て、冒険者ギルドの職員になった。
たまたま故郷の村で、読み書きを覚える機会があった。簡単な計算もできたから、ギルド職員になれたのだとナナは言った。
「最初に配属されたのが、この倉庫の経理事務でした。先輩の女性職員は新婚さんで、赤ちゃんができたからもうすぐ仕事をやめるという話でした」
ナナの言葉にユーリはうなずく。
日本であれば必ずしも出産イコール退職ではないけれど、ここユピテル帝国では違う。出産は命がけの大仕事で、無事に赤ちゃんが生まれた後も手が離せない。家政婦を雇ったり家内奴隷を買う余裕のある家であればいいが、それならそもそも働きに出ない場合が多いのだ。そして、産休育休の制度もない。
「でも、いくら読み書きができても、事務の仕事は難しくて……。先輩は親切に教えてくれたけど、つわりが大変だったみたいです。予定よりずっと早く、退職してしまった。あたしはろくに仕事を覚えないうちに、放り出されてしまいました」
先輩がいなくなった後は、帳簿の付け方一つ取っても分からないことばかりで、それなのに誰も教えてくれなかった。
ティララのような他部署の事務員に聞いても「倉庫のことは分からない」と言われて、荷運び人たちには「事務しっかりしろよ」と言われる。ギルド長のガルスに相談してみても、答えは「事務なんぞ適当でいいよ、適当で」だった。
最終的に、「じゃあ前の年と同じ内容で帳簿書いておいてくれ」と言われて、面倒くさそうに追い払われたのだという。
「あたし、どうしていいか分からなくなっちゃいました」
分からないことだらけの無力感が募ってゆく。元々の内気な性格もあり、ナナはいつしか自分の殻に閉じこもりがちになった。
どうせ頑張って仕事を覚えようとしたところで、誰も教えてくれない。
言われたとおりに帳簿に記入さえしていれば、お給料がもらえる。
そんな虚しい思いがどんどん心を侵食して、気づけば彼女はすっかり心を閉ざしてしまっていた。
ナナの告白を聞いて、ユーリはむかっ腹が立った。
もちろんナナにではない。社会経験のない若い女の子にそんな環境しか用意してやらなかったガルスと冒険者ギルドに、である。
日本であればネットもあって、経理のやり方を調べるなり勉強する方法はあるだろう。
またナナの家族や友人がそばにいれば、相談できたはずだ。
そのどちらも不可能で、孤立してしまったナナをユーリは他人事だと思えなかった。
「あのね、ナナさん。それ、あなた悪くないから。仕事は教えてもらわなきゃできないのは、当たり前なの! 私の故郷の国なら、注意勧告入るレベルだよまったく」
「え、でも……」
「冒険者ギルドのみんなはいい加減すぎるのよ! あと、事務を軽く見すぎ。事務をおろそかにするから、倉庫があんなハチャメチャなことになったんだから」
「ハチャメチャ……」
ぷっとナナが吹き出した。
「本当ですね。もう、ハチャメチャのめちゃくちゃ」
「だよね!? いくら何でもあれはひどすぎ」
二人でくすくすと笑い合う。
少しして笑いをおさめて、ユーリが言った。
「それにしても、もっと早くナナさんの話を聞いておけば良かったね。でも今からでも、変えていこう」
「変えられますか……?」
心配そうな目で見上げてくるナナに、ユーリは力強くうなずいた。
「もちろん! ちょうど、経理の帳簿を見せてもらおうと思ってたとこだったの。問題を改めて洗い出して、どうすればいい方向に変えられるか、一緒に考えよう」
「一緒に……」
一緒、いっしょにと何度か呟いてから、ナナは顔を上げた。
「はい、ユーリさん。私も一緒に、頑張ります!」
彼女の瞳にもう涙はない。まだ少しだけ迷いと弱気はあるけれど、自分の力でどうにか乗り越えようとする光が輝いていた。
翌日、ユーリとナナは経理の書類をチェックし始めた。
ナナが担当していた過去一年分はもちろん、数年前までさかのぼって確認する。
書類置き場も倉庫ほどではないにしろ雑然としていて、目当ての書類を探し当てるだけで一苦労だった。
書類を見る当初の目的は、入出荷の頻度が高い素材を確認して配置する参考にするためだった。
ユーリは簿記三級(いかにも『雑学』らしい資格である)の知識を生かして、ナナに経理の基本を教えながら数字をまとめていく。
ところがその結果、冒険者ギルドの赤字は予想以上に大きな額になっていると判明したのだ。
ユーリはナナと二人で内容を書類にまとめて、ガルスに突きつけた。
「ガルスさん。冒険者ギルドの収支がここまで悪化していると、ご存知でしたか?」
ギルド長室に乗り込んで、ユーリはガルスを問い詰める。
「なんだと、これは……」
ガルスが真っ青になっている。
冒険者ギルドはブリタニカ属州総督をトップに置く公的組織だ。
故郷を離れた貧しい農民たちを冒険者として受け入れ、日銭稼ぎをさせている。農民たちが食いっぱぐれないよう、社会のセーフティネットの役割を果たしているといえる。
ギルドの主な収入は、素材の売却費。冒険者たちが取ってきた素材を一度ギルドが買い取り、魔道具協会や鍛冶ギルドなどの大手から個人まで、売り払って収入にしている。
魔物討伐の依頼なども、個人や組織から出されて報酬が支払われる。冒険者ギルドはそれらの依頼の仲介手数料を取っている。
そして主収入の素材関連が、あまりにずさんな管理から赤字化していたのだ。しかも相当な金額で。
ユーリは畳み掛けるように言った。
「ここまでの赤字、それも今や全く管理できていない倉庫が生み出し続ける赤字です。冒険者ギルドの財政がいつ破綻してもおかしくないですよ。この話が属州総督や、そうでなくてもドリファ軍団のアウレリウス様の耳に入ったら、どうなりますか?」
「そ、それは……」
ガルスは呻いた。
コメント
1件
いやあ、今回も良かった…!まずユーリの「居場所が欲しかった」って言葉にグッときたわ。異世界に飛ばされて、誰も知らない土地で必死に仕事してる姿、めっちゃ共感できる。そしてナナの過去…17歳で放り出されて、誰も教えてくれなくて心閉ざしちゃうの、辛すぎる。でもユーリが「あなた悪くない」って言ってくれたシーンで、私も一緒に泣きそうになったよ。二人で帳簿見直す流れ、最高のバディ感!次は赤字問題をどう解決するのか、もう続きが気になって仕方ない🔥
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