テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
放課後。
校舎裏の空は、溶けた飴みたいに赤く染まっていた。
西日が校舎の窓ガラスに反射して、
まるで教室ひとつひとつが灯りを持った箱みたいだ。
ギター部の練習を終え、俺と若井は部室を出たところで足を止めた。
廊下の向こうから、遠く澄んだ音が聞こえてきたからだ。
「……これ、涼ちゃんの音だな」
若井が鼻で笑う。俺は何も言わず、その音に耳を傾けた。
まるで空気が音の形に変わって、肌を撫でていくような感覚。
吹奏楽部の練習室から漏れるフルートの音色は
俺たちが出したことのない種類の“静けさ”を生んでいた。
音は流れては途切れ、また紡がれていく。
まるで誰かの記憶をそっとなぞるように。
俺たちはつい、練習室の窓まで足を運んでしまった。
中では、涼ちゃんがひとり、金髪を肩にかけながらフルートを吹いていた。
細い指先が銀色のキーを押し、息が管の中をすり抜けていくたび、
窓から差し込む夕陽がその輪郭を金色に縁取る。
音の終わりと同時に、
涼ちゃんはそっとフルートを膝の上に置き、机の上のケースに触れた。
それは普通の黒ではなく、落ち着いた金色をしていた。
「それ…珍しい色…」
俺が声をかけると、涼ちゃんが振り返った。
驚いた表情は一瞬だけで、すぐに穏やかな笑みになる。
「元貴くん、若井くん……見てたんだ」
「悪かったな、盗み聞きみたいになって」
「いいよ。……これはね、兄さんの形見なんだ」
俺も若井も、次の言葉が出てこなかった。
涼ちゃんはケースを撫でながら、少し視線を下げる。
「兄さんも吹奏楽部で、フルートを吹いてたんだ。
僕が中学生のとき、事故で……帰ってこなくなった。
それで、これも楽器も、ずっと僕の宝物」
窓の外の夕陽が傾き、ケースの金色がやわらかく滲んだ。
若井が気まずそうに笑いながら言った。
「……なんか、かっこいいじゃん。兄ちゃんの分までやってる感じ」
涼ちゃんは笑った。でも、その笑顔はどこか遠くを見ていた。
「うん。だから、僕は下手でもやめないよ」
俺は言葉を探したけど、何も見つからなかった。
ただ、ふと気づけば、あの音色は涼ちゃんだけじゃなく、
兄の息遣いも一緒に響いていたのかもしれないと思った。
帰り道、3人で並んで歩いた。
街灯がつき始めた商店街を抜けると
焼き鳥の匂いや夕飯の支度の香りが風に混じる。
若井が「元貴、遅い!」とわざと俺を突き飛ばし、
涼ちゃんが「こらこら」と笑いながら間に割って入る。
その笑い声が、ゆっくりと夜に溶けていった。