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夜の空気は、やけに静かだった。
「……ごめん」
その一言だけが、やけに重く落ちた。
吉田仁人は、何も言えなかった。
目の前にいる佐野勇斗の顔を、ただ見つめることしかできない。
「俺、もう……無理だ」
声は震えていた。でも、その言葉ははっきりしていた。
「なんでだよ」
やっと出た声は、自分でも驚くくらい掠れていた。
「理由、教えてよ」
沈黙。
風が吹いて、木の葉が揺れる音だけが耳に残る。
「……言えない」
「は?」
思わず一歩近づく。
「言えないってなにそれ。俺たち、ここまで来て——」
「仁人」
遮るように名前を呼ばれる。
その呼び方が、あまりにも優しくて、残酷だった。
「頼むから……これ以上、聞かないでくれ」
「無理だよ!」
声が裏返る。
「無理に決まってるだろ!俺、何かした?嫌われるようなことした?直すから言ってよ!」
「違う」
即答だった。
その速さが、逆に苦しい。
「じゃあなんで——」
「俺の問題なんだ」
視線を逸らす佐野。
拳が、ぎゅっと握られているのが見えた。
「仁人は悪くない」
「じゃあ別れる理由にならないだろ!」
「……なるんだよ」
その一言は、あまりにも静かで、でも決定的だった。
もう戻れないと、分かってしまうくらいに。
「……ほんとに、終わり?」
恐る恐る聞いた言葉。
佐野は、少しだけ間を置いて——
「ああ」
頷いた。
その瞬間、何かが完全に切れた気がした。
「そっか」
笑おうとした。でも無理だった。
顔が歪む。
「……じゃあ、いいよ」
声が震える。
「もう、いい」
くるりと背を向ける。
「仁人」
呼ばれる。
でも振り返らない。
振り返ったら、終わる気がした。
「……バイバイ」
それだけ言って、歩き出した。
足がふらつく。視界が滲む。
でも止まらなかった。
止まったら、全部崩れる。
だから——
そのまま、走った。
「……っ、は……」
息がうまく吸えない。
気づいたら、人気のない場所まで来ていた。
壁にもたれかかる。
「なんで……っ」
涙が止まらない。
「意味わかんねぇよ……」
膝から崩れ落ちる。
「理由も言わねぇで……勝手に終わらせて……」
声がどんどん大きくなる。
でも止められない。
「俺、こんなに……っ」
好きだったのに。
その言葉は、声にならなかった。
ただ、嗚咽に変わる。
「仁人?」
ふいに声がした。
顔を上げると、そこには太智が立っていた。
「……なにしてんの」
驚いた顔。
でもすぐに、表情が変わる。
「……泣いてるじゃん」
近づいてくる。
「どうしたの」
「……別れた」
それだけで、十分だった。
太智は一瞬だけ目を見開いて——
「そっか」
静かに隣にしゃがんだ。
「つらいね」
その一言で、また涙が溢れる。
「なんでだよ……」
「うん」
「理由も言わねぇんだよ……」
「うん」
「俺、なんも悪くねぇって……」
「うん」
全部受け止めるように、ただ相槌を打つ。
それが、逆に優しかった。
「っ……太智ぃ……」
「ここいるよ」
ぽん、と頭に手が置かれる。
その温もりに、完全に崩れた。
「うわあああああ……っ」
子供みたいに泣きじゃくる。
太智は何も言わず、ただ隣にいてくれた。
背中をさすりながら、ずっと。
その頃、別の場所。
「……っ、は……」
佐野勇斗は、誰もいない部屋で、床に座り込んでいた。
「……くそ……」
手で顔を覆う。
でも涙は隠しきれない。
「なんで……こんな……」
声が震える。
「俺の方がッ……」
息が詰まる。
「俺の方が……無理だろ……」
嗚咽が漏れる。
「好きなのに……」
その言葉は、誰にも届かない。
「守りたいのに……」
拳を床に打ちつける。
「離れるしかねぇじゃん……!」
涙が、止まらない。
「仁人……っ」
名前を呼ぶ。
でも返事はない。
当たり前だ。
自分で、終わらせたんだから。
「っ……ごめん……」
何度も、何度も繰り返す。
「ごめん……」
部屋に響くのは、その言葉と、泣き声だけだった。
「え、ちょっと待って?」
「いやいやいや、今の見た?」
山中柔太郎と曽野舜太は、廊下で顔を見合わせていた。
「勇斗、やばくない?」
「やばいってレベルじゃないでしょあれ」
さっき見た光景が、頭から離れない。
「え、なにがあったの?」
「知らないって!てか聞ける雰囲気じゃなかったし!」
「確かに……」
二人とも、困惑している。
「あんな泣いてる勇斗、初めて見たかも」
「俺も」
沈黙。
「……仁人、関係ある?」
ぽつりと曽野が言う。
山中は少し考えて——
「……ありそうだけど」
「だよね」
「でも、聞けなくね?」
「無理」
即答だった。
「絶対なんかあるじゃん」
「あるね」
「でもさ」
曽野が少しだけ真面目な顔になる。
「今は、そっとしとくしかないんじゃない?」
山中は頷いた。
「……だな」
二人とも、それ以上は何も言わなかった。
言えなかった、が正しいかもしれない。
あまりにも重すぎて。
軽々しく触れていいものじゃないと、分かってしまったから。
それぞれの夜は、まだ終わらない。
誰も、本当の理由を知らないまま。
𝓉ℴ 𝒷ℯ 𝒸ℴ𝓃𝓉𝒾𝓃𝓊ℯ𝒹
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