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2話
翌日。
現場に入った瞬間、空気が少しだけ重く感じた。
「……仁人」
呼ばれて振り向くと、太智がいた。
いつも通りの距離、いつも通りの声——でも、その目だけは違った。
「大丈夫?」
「……大丈夫に見える?」
苦笑にもならない表情で返す。
「見えない」
即答だった。
「だよね」
少しだけ間が空く。
周りにはスタッフの声や準備の音があるのに、そこだけ切り取られたみたいに静かだった。
「で、聞いていい?」
太智が、少しだけ真剣な顔になる。
「……なに」
「何があったの」
まっすぐな問い。
逃げ場はない。
でも——
「……わかんない」
視線を落とす。
「ほんとに、何も言われてない」
「理由も?」
「うん」
短く頷く。
「言えないって」
「……それだけ?」
「それだけ」
太智は一瞬黙り込んだ。
「……それで納得できるわけないよね」
「できるわけない」
即答だった。
声が少しだけ強くなる。
「いきなりだよ?昨日まで普通だったのに」
「うん」
「なんも変わってなかったのに……急に、“無理だ”って」
言葉にするたび、胸が痛む。
「意味わかんねぇよ……」
太智はその様子をじっと見ていた。
「……勇斗、泣いてたよ」
その一言で、空気が止まる。
「……え」
「俺、直接じゃないけど、聞いた」
仁人の目が揺れる。
「やばいくらいだったって」
「……なんで」
理解が追いつかない。
「振ったの、あいつだろ……」
「そうだね」
「じゃあなんで泣いてんだよ……」
声が掠れる。
「こっちの方が泣きたいわ……」
「もう泣いてるじゃん」
静かに言われて、言葉に詰まる。
「……会う?」
太智が聞く。
少しの間。
仁人は、ゆっくり首を横に振った。
「無理」
「理由聞かないの?」
「聞きたいよ」
即答。
「でも……」
拳を握る。
「聞いたら、終わる気がする」
「終わる?」
「完全に」
視線を上げる。
「今はまだ、意味わかんない別れで済んでるけど」
「……うん」
「理由知ったら、多分……」
言葉が途切れる。
「戻れない気がする」
太智は何も言わなかった。
その感覚が、なんとなく分かってしまったから。
「……そっか」
「うん」
「じゃあ、今はそのままでいいんじゃない」
「……え?」
「無理に暴かなくていい」
太智は少しだけ肩をすくめる。
「本人が言えないって言うなら、それなりの理由があるんでしょ」
「……」
「それがクソみたいな理由か、どうしようもない理由かは知らないけど」
仁人は小さく息を吐く。
「……優しいな」
「優しくないよ」
即座に否定される。
「ただ、壊れるの見たくないだけ」
その言葉に、少しだけ救われる。
「……ありがと」
「どういたしまして」
軽く返すその感じが、ちょうどよかった。
その頃。
佐野勇斗は、すでに帰宅していた。
靴も揃えず、電気もつけず、そのまま部屋の中へ入る。
カーテンは閉め切られたまま。
光は一切ない。
「……」
鞄を落とす音だけが響く。
それ以外は、何もない。
静かすぎる空間。
「……っ」
一歩進んだだけで、足がもつれる。
壁に手をつく。
そのまま、ゆっくりと崩れ落ちた。
「……は……」
呼吸が浅い。
苦しい。
何もしていないのに、息が続かない。
「……っ、……」
喉がひりあつく。
昨日から泣き続けたせいで、声が出ない。
それでも——
涙は、止まらなかった。
「……」
スマホがポケットから滑り落ちる。
画面が一瞬光る。
そこに映る名前を見て、反射的に目を逸らした。
触れられない。
触れたら終わる。
「……仁人……」
かすれた、ほとんど音にならない声。
胸が締め付けられる。
「……っ」
その瞬間、頭の奥に焼き付いた言葉が蘇る。
——『次は、あいつにする』
「……っ!」
息が止まる。
全身が強張る。
恐怖が、一気に押し寄せる。
「……だめだ……」
首を振る。
何度も、何度も。
「だめだ……だめだ……」
あれは冗談じゃない。
軽い脅しでもない。
あの目は、本気だった。
狂気だった。
「巻き込めない……」
声にならない声で、絞り出す。
「絶対に……」
仁人に何かあったら。
想像しただけで、息ができなくなる。
「……無理だ……」
涙が落ちる。
止まらない。
「好きなのに……」
言葉が崩れる。
「こんなに……」
喉が詰まる。
もう、うまく話せない。
「……っ、……」
ただ、泣く。
呼吸も言葉もぐちゃぐちゃになりながら。
「……ごめん……」
何度も繰り返す。
「ごめん……ごめん……」
届かないと分かっているのに。
それでも、止められない。
「……っ……ぁ……」
体を丸める。
暗闇の中で、小さく、小さく。
「……」
光はない。
音もない。
あるのは、壊れたみたいに流れ続ける涙だけ。
そして——
誰にも言えない理由だけが、胸の中で重く沈んでいた。
𝓉ℴ 𝒷ℯ 𝒸ℴ𝓃𝓉𝒾𝓃𝓊ℯ𝒹
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