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橘靖竜
第213話 ずれる衝撃
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
校庭の端で、黒い影が盛り上がった。
最初は、ただの染みのようだった。
だが、すぐにそれは爪になり、足になり、背中になった。
獣。
グレイウルフにも似ている。
だが、前に見た影獣よりも形が不安定だった。
四本足のはずなのに、一瞬だけ六本に見える。
頭が一つのはずなのに、横からもう一つの輪郭がずれる。
その体には、黒い文字列ではなく、白黒の細い記号が走っていた。
ノノの声が飛ぶ。
『獣影反応!』
『ジャバの黒影圧に近い!』
『でも、何か混ざってる!』
ハレルは主鍵を握ったまま、動けなかった。
三点同期は、もう始まっている。
ここで中心を外せば、学園の帰還線が乱れる。
リオも同じだ。
校舎側の線を支えたまま、獣影へ攻撃を向けられない。
アデルは外周から離れられない。
獣影は、ゆっくり校庭を踏んだ。
その足が地面に沈む。
次の瞬間。
ドンッ!
校庭の土が弾けた。
だが、揺れたのは校庭ではなかった。
イヤーカフから、悲鳴が入る。
『体育館側、揺れた!』
サキが目を見開く。
「え……?」
獣影は校庭を踏んだ。
なのに、揺れたのは体育館。
ハレルは思わず叫んだ。
「どういうことだよ!」
ノノの声が震える。
『分からない!』
『攻撃地点は校庭!』
『でも、負荷が出たのは体育館!』
『場所が……ずれてる!』
獣影の奥から、低い笑いが聞こえた。
ジャバの声だった。
『おいおい、面白えな』
『殴った場所と壊れる場所が違うのかよ』
その声のさらに奥に、別の気配があった。
冷たい。静か。
まるで、場所の下から細い針で地図を刺しているような気配。
アデルが低く言う。
「これが、新しい干渉か」
ハレルは主鍵を強く握る。
「止める」
『ハレル、中心から動かないで!』
ノノが叫ぶ。
『今動いたら、三点同期が切れる!』
「でも!」
『止めるんじゃなくて、保って!』
『攻撃を受けた場所じゃなく、揺れてる場所を名前で押さえる!』
ハレルは歯を食いしばった。
今までなら、敵を止めればよかった。
攻撃を受けた場所を守ればよかった。
でも今回は違う。
敵は校庭にいる。
壊れかけているのは体育館。
守る場所が、ずらされている。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・朝】
体育館の床が、大きく揺れた。
生徒たちが悲鳴を上げる。
「何!?」
「地震!?」
「床が浮いた!」
青山先生がすぐに声を張った。
「座って! 壁から離れて!」
「でも、名前確認は止めないで!」
白い線が、体育館の床で波のように歪んでいた。
床そのものが割れているわけではない。
だが、体育館という場所の輪郭が、一瞬だけ薄くなる。
ダミエが床に手をついた。
「ここは体育館だ」
白い結界線が広がる。
「ここは、避難所だ」
「檻ではない」
「校庭ではない」
「体育館だ」
セラの声がイヤーカフから入る。
『揺れたのは体育館です』
『でも、攻撃は校庭から来ています』
『場所の参照先をずらされています』
青山先生は、その言葉を理解しきれなかった。
それでも、やるべきことは分かった。
「ここは体育館です!」
「私は、青山和子です!」
「三年二組の担任です!」
「今、体育館中央にいます!」
生徒たちも続く。
「森下カナ、体育館中央にいます!」
「藤井タクト、体育館中央にいます!」
「安西リナ、体育館中央にいます!」
香川先生が叫ぶ。
「二年一組は、今、体育館に避難しています!」
「教室は校舎二階東側!」
「でも、今いる場所は体育館です!」
場所を混ぜない。
名前を混ぜない。
体育館は体育館。
校庭は校庭。
教室は教室。
生徒たちの声が重なるたび、床の白い線が少しずつ戻っていく。
ダミエは歯を食いしばった。
「まだ来るぞ」
その言葉の直後、また遠くで獣の足音がした。
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧学園跡地周辺/仮設指揮所・朝】
佐伯の端末が警告音を鳴らした。
「下層ノイズ、増大!」
村瀬が別画面を見て叫ぶ。
「校庭対応地点に黒影圧!」
「でも歪みは体育館対応地点に出ています!」
城ヶ峰の表情が険しくなる。
「攻撃と被害が一致していないのか」
佐伯が頷く。
「はい」
「校庭を押されたのに、体育館が揺れています」
「場所の参照先をずらされている可能性があります」
城ヶ峰はすぐに無線を取った。
『全班、場所確認を強めろ』
『校庭班は校庭、体育館班は体育館、外周班は外周』
『自分のいる場所を間違えるな』
各班から声が返る。
『北側二班、村井。旧学園跡地北側、光具維持!』
『東側三班、加納。旧学園跡地東側、封鎖継続!』
『南西一班、相馬。旧学園跡地南西外周、維持!』
その時、村瀬が白い研究施設側の画面を見る。
「木崎さんたちの移送ルートも揺れています!」
佐伯が顔を強張らせる。
「白いコアの封印容器が、帰還ラインに反応しています」
「重荷になってる……」
城ヶ峰は短く言った。
「木崎に繋げ」
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/石造建物・内部】
木崎たちは、通路を急いでいた。
日下部が封印容器を抱えている。
相馬班は、成人遺体二体のカプセルを移送台に固定し、慎重に押していた。
通路の壁が、何度も揺れる。
石造りの通路のはずなのに、一瞬だけ学校の廊下に見える。
白い研究施設の壁が見えた次の瞬間、古い石壁に戻る。
木崎は舌打ちした。
「場所が混ざってやがる」
イヤホンから佐伯の声が入る。
『木崎さん、聞こえますか』
『そちらのルートも下層ノイズに巻き込まれています』
『自分の現在位置を声に出してください』
木崎は走りながら答えた。
「木崎透!」
「石造建物内部、白い研究施設から撤収中!」
日下部も続く。
「日下部!」
「白いコア封印容器を保持!」
「石造建物内部、地上出口へ移動中!」
相馬班も声を出す。
「相馬、移送班先導!」
「佐久間、成人遺体カプセル一号を移送中!」
「宮野、成人遺体カプセル二号を移送中!」
声を出すたび、通路の揺れがほんの少し戻る。
だが、背後からまた声がした。
「持ち出しは、困りますねえ」
サラリーマン影と、OL影が通路の奥で並んでいる。
木崎は振り返らずに言った。
「残業代も出ねえ仕事に付き合う気はねえ!」
日下部が思わず言う。
「そこですか!?」
「怖い時は文句言ってた方が動けるんだよ!」
通路の壁に、白い線が走る。
出口まで、まだ距離があった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
獣影が、もう一度足を上げた。
校庭を踏む。
次に揺れるのは、また体育館かもしれない。
それとも、校舎か。
現実側の外周か。
分からない。
それが怖かった。
ハレルは主鍵の光を保ったまま叫ぶ。
「ここは校庭だ!」
「体育館じゃない!」
「校庭にいるのは、俺たちだ!」
リオが校舎側から続ける。
「校舎は校舎だ!」
「体育館じゃない!」
「校舎側の線は、俺が支える!」
サキも声を張った。
「体育館には、青山先生たちがいる!」
「校庭には、私たちがいる!」
「場所を勝手に混ぜないで!」
reが、スマホの中で強く揺れた。
まだ動かない。
でも、光はさっきより明るい。
アデルが外周から声を上げる。
「外周は外周だ!」
「私が支えている!」
「校庭の傷を、外周へ流すな!」
獣影の足が地面を打った。
ドンッ!
今度は、校舎側の窓が一斉に震えた。
リオが歯を食いしばる。
「今度は校舎か!」
ノノの声が飛ぶ。
『校舎側、負荷上昇!』
『でも、さっきよりずれ幅が小さい!』
『名前確認、効いてる!』
ハレルは叫んだ。
「続けろ!」
サキも叫ぶ。
「みんな、名前を止めないで!」
校庭、体育館、校舎。
三つの場所が、それぞれの名前で踏みとどまる。
だが、獣影はまだ消えない。
その奥で、ジャバの笑い声が響く。
『いいねえ』
『どこが壊れるか分かんねえってのは、楽しいな!』
ハレルは怒鳴った。
「楽しくなんかない!」
獣影が、初めてハレルの方を見た。
黒い目の奥に、ジャバとは違う冷たさがあった。
若い女の声のようなものが、ほんの一瞬だけ混じった気がした。
「参照先が、まだ甘い」
ハレルは息を止めた。
「……誰だ」
だが、その声はもう消えていた。
ノノが叫ぶ。
『今の声、拾えなかった!』
『でも、下層ノイズが一瞬跳ねた!』
アデルが低く言う。
「やはり、ジャバだけではない」
ハレルは主鍵を握る。
「名前が必要だな」
リオが聞く。
「敵のか」
「ああ」
ハレルは獣影を睨んだ。
「名前のないものは、いつも厄介だ」
サキのスマホの中で、reが小さく揺れた。
まるで、その言葉に反応するように。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/さらに深い場所】
Cは、静かに見ていた。
校庭を殴る。
体育館が揺れる。
次は校舎が揺れる。
だが、ハレルたちは完全には崩れなかった。
人の名前。
場所の名前。
小さな記憶。
それが、ずれを少しずつ戻している。
ジャバが不満げに言う。
「思ったより耐えるな」
Cは答えた。
「はい」
「だから、次はもう少し深く触ります」
カシウスの声がした。
「姿を見せるつもりかい」
「まだです」
「では、何をする」
Cは、サキのそばで揺れる小さな光を見た。
re。
「彼らは、名前のないものを嫌います」
「なら、こちらも少しだけ名を落としましょう」
ジャバが笑う。
「名乗るのか」
「いいえ」
Cの声は、どこまでも静かだった。
「気づかせるだけです」
学園の下で、針のようなノイズがもう一度光った。
◆ ◆ ◆
三点同期は続いている。
学園は戻り始めている。
だが、Cの獣影は、守る場所と壊れる場所をずらし始めた。
校庭を殴れば、体育館が揺れる。
校庭を踏めば、校舎が震える。
それでも、ハレルたちは名前で踏みとどまった。
人の名前。
場所の名前。
そこにあった小さな記憶。
それが、ずれた場所を少しずつ戻していく。
しかし、ハレルは聞いた。
ジャバではない声。
若いのか、年老いているのか分からない女の声。
参照先が、まだ甘い。
その声の主は、まだ姿を見せない。
だが、確かにそこにいる。
コメント
1件
読了したよ〜!! 第213話、めっちゃ熱かった🔥✨ 「殴った場所と壊れる場所が違う」っていうずらし攻撃、新しい敵の能力としてすごく怖いし面白い! 校庭踏んで体育館揺らすとか、場所の参照先をずらすって発想が斬新すぎる😳 でもそれに対して、みんなが「ここは〇〇だ!」って名前で踏みとどまるのが本当にエモかった…特に青山先生や生徒たちが声を揃えて場所を宣言するところ、鳥肌立ったよ😭💕 ラストの「C」って新たな気配、ジャバとは違う冷たさがヤバい…。次回、ハレルたちがどう立ち向かうのかマジで気になる!! 毎回新しい脅威を出してくる橘さん、天才すぎるよ…✨